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34件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1948-05-24 第2回国会 参議院 治安及び地方制度委員会 第16号

一知と書いてありますが、神戸の市會議員日本共産黨兵庫地方委員、これが二十四日の事件の起ります直前、午前十時十分頃に鮮人數名を帶同して、知事控室知事に面接をして、學校明渡しについて會談をしたいという押問答を重ねられた事實があります。それで暴動をやれというようなことを、この共産黨員が言われたという、はつきりした事實は、まあ今のところ擧つておりません。

岡本愛祐

1948-04-28 第2回国会 参議院 予算委員会 第19号

こういう御意見でありましたが、一昨日キレン氏との御會談官房長官から御發表になつておりますが、その時期は遺憾ながら當分止むを得んとこういうことでありましたが、もうその時期が來たと、こうお思いになりますかどうか、このことはこの時期に御解決になりますかどうか、それを伺つて置きたいと思います。

左藤義詮

1948-04-26 第2回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

二時間半に亙つて會談したが、家族の人々は懇談して心持がすうつとした、ソ連當局の好意も分るような氣がするといつておりました。尚私達と引揚團體代表との懇談會で、代表の人々は共産党の調査を聞けばゆゆしき問題である、國會でもう一度調査されたい、日本側に落度はないかどうか、もう一度調査する要がある、という結論に達したわけであります。

中西功

1948-04-26 第2回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第6号

御報告申上げたのでありますが、とにかく十二月から三月まで、この引揚問題が一應停止されたということに對し、日本國民が非常に言語に盡し得ないくらいの眞劍な氣持を以て、成行を注視していたのであります、たまたま私がソ連大使館に参りましてチェトロフさんに御面會をして、その實情を縷々訴えたのでありますが、チエトロフさんは昨年十二月十九日に共産黨徳田書記長その他の方々が見えたときの、ソ連キスレンコ少将との會談

淺岡信夫

1948-02-12 第2回国会 参議院 議院運営委員会 第11号

○議長(松平恒雄君) すでに新聞發表にはなつておることでありますけれども、今朝衆議院松岡議長が來訪されまして、昨日四黨總裁會議のことについて、吉田總裁のところに行つて話をしたところが、他の三黨首は異存はなかつたのでありまするが、吉田總裁だけは、これを拒否された、却つてそういう會談をしても明朗性を缺くようになるから、四黨首會談には出られないというお斷りがあつたということと、それならば四黨の幹事長

松平恒雄

1947-11-26 第1回国会 衆議院 農林委員会 第52号

御承知の通り總務部長からもお話があつたと思いますが、今度の割當は過ぐる知事會談の結果、遂に關係方面から三千五十五萬石を十月七日までに全國に割當てろという覺書が手交されまして、この覺に基いて十月五日の知事會談で、これを御承認願つて、それぞれ各縣の生産高に應じて割當をいたしたわけでございます。從つてこの割當についてはそれぞれ各縣のいろいろ特殊事情がありまして、なかなか容易ならぬ縣もあろうと存じます。

井上良次

1947-11-26 第1回国会 参議院 治安及び地方制度委員会 第18号

例えば片山内閣の副總理芦田外相が、六月五日の外人記者團との會談におきましても、警察力の強化、機關銃自動小銃の携行というようなことを訴えておりますし、又反對黨たる自由黨大村内相は先の議會で警官二十萬人の増員を訴えております。而もこれらの人々は同じように、警察を強大にしなくては治安の責任を全うすることができないということを主張されております。

守屋典郎

1947-11-15 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第34号

しかるにこの十二日の新聞、續賣、毎日、朝日等におきまして、西尾長官談といたしまして、きようの三黨首會談では國管案全般にわたり修正點等について相談した結果、完全な意見一致をみた。内容黨議決定發表したい。参議院では十五日までにまわしてもらわなければ責任がもてないと稻垣委員長から申し入れてきているので、衆議院側審議はおそくも十五日までには完了したい。こういう談話が出ております。

神田博

1947-11-13 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第33号

生越委員 きのうわが民主黨兩院議員總會において、議員の一人か、新聞に出ておりましたところの三黨首會談なるものにおいて、修正案なるものに對して芦田總裁審議された、これで妥結點を見出されたということに對して、かくのごとくまだ未完成であるところの修正案をもつてやることが、はたして大臣のやるべき問題だろうか、あるいは總裁のとるべき問題だろうか、ということが問題になつたのであります。

生越三郎

1947-11-08 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第31号

なおこの外ぼり問題につきましては、これは新聞に出ておるのでありますが、當日午後三時二十分に沖の山炭鑛に行かれまして、勞働組合の連中と會談せられた際にも、こういうことを申されたと、郷里の新聞であります宇部時報に出ておるのであります。それをちよつと讀んでみますと「とにかく今囘の國管は呱々の聲をあげた社會化への第一課程で、まず外ぼりを埋めて、次に内ぼりを埋めるという手もある。

庄忠人

1947-11-06 第1回国会 衆議院 運輸及び交通委員会 第33号

高瀬委員 ただいま小笠原委員より御質問がありましたが、私どももあの非公式の會談においては、第四條に關する限り、種々熱心な討議の結果、民主黨側におかけましても打合せをなされ、あの第四條の原案には全部御贊成になつたと了解いたしまして、過日小委員會を開いた次第でございますが、その際に原君より、その了解は實は違うのであるというような御發言もありまして、いろいろ伺いましたところが、貨物輕車輛につきましては府縣知事

高瀬傳

1947-10-27 第1回国会 衆議院 外務委員会 第16号

すなわち第一は、マーシャルの提案に基きまして、西歐諸國十六箇國がパリで會談を開いて、すなわち被らの經濟復興の共同計畫をつくる。それに基いてアメリカ經濟援助を要求する。これと併行してアメリカの國内においては經濟援助の限度、經濟援助に利用し得べきアメリカの資源、こういうようなものをアメリカ政府において研究する。この二つの處置が本年の夏以來行われたのであります。  

近藤晋一

1947-10-27 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第24号

從つて私はこの前この法案が出る前の三頭會談においても主張いたしたのでありますが、現在の石炭廳の方がおられたので、非常に言いにくいのでありますが、率直に申しまして、石炭廳政治力なり行政力は、私は弱いと思います。この臨時石炭鑛業管理法案は、畫期的の法律でありますが、この機會政治力なり、行政力なりを、大幅に強化しなければならないというのが私の信念であります。

早川崇

1947-10-27 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第24号

管理をするのでございますが、經營者の方は、この法案では義務が加重されておりますが、たとえば生産をどんどん經營者が増大していつた場合に、どういう報いを國家的にやるのであるか、さらに政府がこれを管理いたすのでございますが、政府が當然負うべき資金、資材、勞務、厚生の面において、炭鑛が要求し三千萬トン達成に必要とするそういつた手を十分やらなかつた場合に、どういう責任が生ずるのであるか、この法案が出る前の三黨會談

早川崇

1947-10-23 第1回国会 衆議院 外務委員会 第15号

それではどういうことが批判されておるかという例を若干拾つてみますと、たとえば地方共産黨の黨部のボス化した幹部が會談の席上におきまして、平黨員批判に對しまして強壓的な態度に出るというような點が批判された。あるいはまた黨の役員が國營企業首腦部との間に情報關係を結んで、わざと監督を怠つているというような點が批判の對象とされていた大きなものであります。

曾野明

1947-10-23 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第22号

これに反對すべき筋合のものは何もないというお言葉を兩方から最近の會談においても聞いておるような次第であります。從つて、われわれこの兩者の一番要求されておるところの炭價の問題、あるいは勞働賃金の問題というものをば、日本經濟事情その他に即しまして、ある程度解決できる。時期が來ますれば、これは全面的に御協力を願えると思います。

水谷長三郎

1947-10-20 第1回国会 衆議院 鉱工業委員会 第19号

その間私どもは毎日新聞を見ておつたのでありますが、それによりますれば、何とか會談何とか會談と、三箇月間繰返し繰返しやられて、その間折衝折衝を重ねられ、幾多の紆餘曲折を經て、結局九月の下旬に提案されたのであります。案の内容のごときは、あたかも猫の眼のようにぐるぐる變つていつたように思うのであります。世間ではいろいろ話しております。

淵上房太郎

1947-10-18 第1回国会 衆議院 運輸及び交通委員会 第29号

質疑はこれを許しますが、その前にまず委員長から、過日當委員會がC・T・Sのスカー氏、パウエル氏、ストウーブカー氏に非公式でありまするが、お目にかかつて、本法案について會談をいたしたわけでありまするが、それの經過を簡單に申し上げたいと思います。ちよつと速記をやめて……。     〔速記中止

正木清

1947-10-16 第1回国会 衆議院 外務委員会 第14号

しからばその形をかえた講和外交とは一體何とか申しましたならば、それは今總理の申されましたことく、一昨年八月十五日にスタートを切りましたポツダム宣言履行に伴うところの渉外折衝でありまして、この渉外折衝ということこそは、來るべき講和會談に直結するところの、ただ一つの實質上の講和外交ではなかろうかと私は考えるわけであります。

佐々木盛雄

1947-10-15 第1回国会 衆議院 農林委員会 第33号

ども調査によりまする、全國の農業者各位の手もとから集めてみました、供出しにくい理由の調べは、先般農業復興會談においてもまとめて發表してありますように、そのうちの事項を讀み上げてみますと、どうしても米價問題と關連が非常に深い。ですからその點をどうお考えになるかということを伺いたいのでありまして、この供出しにくい理由を要約いたしますと、その一は、公定價格で出したのでは引合わぬ。

八木一郎

1947-10-15 第1回国会 衆議院 農林委員会 第33号

しかも一國の總理大臣が、この重大な米價問題を中心として、議員と一問一答されるにあたつて委員長開會を宣せず、速記を付さず、私的な會談をなさるということは、何としても私は承認しがたいのであります。ただいま委員長もおられますし、總理大臣もお見えになつておりますし、また北君からもさよう考えを承りたいと思うのであります。

大島義晴

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