1952-02-19 第13回国会 衆議院 予算委員会 第19号
ところが「昭和二十七年度農林予算の概要」というのが官房會計課から配付されております。それの十七ページを見ますと、麦及び砂糖については二十七年四月から統制を廃止するということがちやんとはつきりここに言明されております。また二月七日の参議院の農林委員会におきまして、東畑食糧庁長官は統制撤廃につきまして、二十七年四月より麦及び砂糖について統制を撤廃する。
ところが「昭和二十七年度農林予算の概要」というのが官房會計課から配付されております。それの十七ページを見ますと、麦及び砂糖については二十七年四月から統制を廃止するということがちやんとはつきりここに言明されております。また二月七日の参議院の農林委員会におきまして、東畑食糧庁長官は統制撤廃につきまして、二十七年四月より麦及び砂糖について統制を撤廃する。
例えば官廳の會計課長が會計課において普通の俸給その他の支給金のようなもので拂つたのでなく、全くプライヴエイトに勞働組合というものが組合員に拂つたという手續を取つておりますから……現實には、只今御説明でありますが、役所で普通の、今までの、例えば二・八の二ケ月と同じような方法で拂つておられるとしますれば、只今そういうような御説明をなさいましたが、事實上はやはり官廳がやつたと同じようなことになつておる。
しかもその最終的決定は、大臣官房會計課が行つておるということがありますので、行刑局といたしましては、ほとんど何らの力をもつていないというような結果が、ひいては不祥事件を招來しておるのではないか。現に神戸に起りましたあの戒護課長の悲劇のごとき、これを救濟するのに何らの具體的の方法が一時講じられなかつた。
もとの陸海軍から引繼きがありました國防獻金、恤兵金、學術技藝奬勵金といつたようなもので、その後大藏省の會計課に引繼ぎになりまして、その中には債券等もありましたので、處分して一般會計に受入れることになつておつたのでありますが、昭和二十二年度の補正第四號に五千二百七十六萬圓雜收入の雜入の中に計上して大體完了したわけであります。
從いまして、白濱製造所が金を支拂つたのでございますが、その契約の内容について、一應書類上形式的に大阪造兵廠會計課からその契約は移されておりましたけれども、契約の内容は知らない。
尚會計課が燒けたのでございます。會計課の帳簿については、これは支拂先その他を、やはり十五年の例によりまして調査をいたしまして、そうして成るべく速かにこの帳簿の囘復をいたしたい。かように考えておる次第でございます。で、燒けました點において、最も殘念でございますのは、關税に關する統計資料と、それから給與局の、各職員の生活その他に關する調べの資料であります。
なお會計課が燒けて帳簿その他が燒失したわけでございます。これについてはこの關係の支拂先その他等を、昭和十五年の例年もあるので取調べて、帳簿上の數字をさらに討究の上、あらためて帳簿を複製をいたしたい。かように考えておりますが、これには若干の日數もかかるかと思つております。燒けたのはただいま申したような次第でありまして、あとは皆殘りました。
まず官房の新規八百八十九萬五千圓、この内容を簡單に申し上げますと、官房は大體各省とも共通でございますが、大臣、次官、政務次官、參與官、そのほかに課としまして秘書課、總務課、會計課のこの三課できまして、大體この人件費が相當な部門を占めております。それと官房の經費の中に大きく占めておりますのは、省創設に伴いましての各種の設備費、机とかいすとかその他のそういつた家具類、これが相當な部門を占めております。
○國務大臣(米窪滿亮君) 第一の原さんの御質問は、大藏省の給與局をなぜ勞働省内に収めなかつたというお尋ねでありますが、これは大藏省、給與局は、官廳の從業員に對する給料の原則を決めたりする、いわゆる勞務管理する所でございまして、會社でいえば會社の會計課、人事課というような所に相當すると思うのでありまして、勞働行政を扱つておりません。
またその當時會計課の一部にありました資材の關係を扱いますところの出先といいますか。むしろ駐在員のたまりといつた程度のものが八箇所ほどつくつてありまして、これらのものが先ほど申しました直轄營繕の關係と同じような、直轄部面を對象とした仕事をいたしておるのであります。
それは官房會計課長、ただいまの施設局長の伊藤日出登氏、學校教育局長の日高第四郎氏、教科書局長の有光現次官、この三人の連名をもつて、地方長官に通牒を發したのでございますが、事の性質が故紙の囘収でありますので、その實際の仕事につきましては、會計課の方で擔當するということにきまりまして、會計課の方で一切の仕事をやつております。
從來文部省のそれらの資材は、會計課の一つの係でやつておつたのであります。なぜそういうふうに小さい、ごく小人数でやつておつたかと申しますと、文部省が直接割當配給その他をやつておりましたのは、直轄學校だけでありまして、いわゆる中學校、小學校その他の大部分を占める大きい部分が、商工省、府縣というようなルートでやつておつたのであります。