1986-05-13 第104回国会 衆議院 対フィリピン経済援助に関する調査特別委員会 第3号
それによりますと、「あさひ」と「はつひ」は最初米国から日本に昭和三十年六月十四日に貸与され、昭和五十年、米海軍に返還された。それから昭和五十三年十二月二十三日にフィリピンに引き渡され、昭和五十四年、修理と装備の近代化のために韓国に曳航された。両艦は、昭和五十五年二月二十七日に再就航した、こういうふうに英文で書いてあると思うのでありますけれども、この事実関係はどうですか。
それによりますと、「あさひ」と「はつひ」は最初米国から日本に昭和三十年六月十四日に貸与され、昭和五十年、米海軍に返還された。それから昭和五十三年十二月二十三日にフィリピンに引き渡され、昭和五十四年、修理と装備の近代化のために韓国に曳航された。両艦は、昭和五十五年二月二十七日に再就航した、こういうふうに英文で書いてあると思うのでありますけれども、この事実関係はどうですか。
最初米国、そしてやがてはソ連にも訪れるこのような過渡期には、本当に防衛に専念した姿勢をとることになり、双方とも相手に第一撃を加える脅しをかけず、したがって安定した状態が生まれるだけでなく、もっと広範な軍縮協定を追求する上で最大の助けとなるだろう。何とか新しい軍縮の局面を、きっかけをつかもうということでこのSDIができたというふうに私は理解しておるところであります。
○正森委員 そこで伺いたいのですが、五十五年六月二十九日付の毎日新聞の社説を見ますと、これは政府にとって当たっているか当たっていないか知りませんが、「日本は最初、米国に同調して基金にそっぽを向いたが、七七年ごろから、この基金が東南アジア諸国連合(ASEAN)の国々にとってきわめて重要なことに気付き、積極的な推進派に転じた。」こう書いてあるのです。
そしてまた、はっきり申し上げますと、交渉の経緯におきまして、最初、米国は頭から、協定の改定だというふうな調子でございました。
しかし、レバノン事件当時、あなたは、さっきも言ったように、最初米国の行動が間違っていると、こう思ったればこそ、米国の行動に対してこれを非難する声明にあなたは参加したはずなんです。それがどうですか。米国の決議案が出るというと、一夜のうちにころりと変わった。そして、途中で態度を変えて、今度は、条件つきとはいいながら、米国の決議案に賛成した。
しかるに一体この引き揚げ問題について最初米国を通じていろいろ話しをしたことも事実であるのだし、また国連の特別委員会というものも設けられておる。一体国交のない国が直接交渉するということは、外交の問題を取り扱っている人間としては、そういうことができないということは御承知のはずです。中立国を通じてやるとかあるいは特別の機関を通じてやるということは当然のことである。
それからなおかつそのほかに、やはりこれは幣原さんの書かれたものによるわけでありますが、それだけじやありません、ほかの文献にもよるわけでありますが、最初米国側が帝国憲法の改正について示した要綱があります。その中には軍備を捨てろとか、戦争をやめろという指示事項はなかつたのです。後にこれが加わつた。
先般の報道によりましてこれを非常に重大視したのでありますが、この問題は最初米国の化学繊維業界一が業者を擁護するために、わが国の特産であるところの絹の輸入に対するところの弾圧ではなかつたかという説がかなり強かつたのであります。
○増原政府委員 最初米国側に外務当局の方から話をいたしました際は、フリゲート十隻、支援艇——LSの方が五十隻を下らざるというふうなことで話をしたのでありますが、先方でフリゲートが十八隻、支援艇が五十隻、計六十八隻までを貸してもよろしいという法律をつくつたわけであります。このつくりました基礎は、明確に数字を割つてつくるというほどのところから出たものではありません。
しかるに、今回締結せられた漁業條約は、わが国の公海における漁業の制限を、漁区の制限という形で定めておるのでありまして最初、米国及びカナダは、條文の上にはつきりと、日本が漁業の権利を放棄するという文句を入れようとしたのでありますけれども、交渉の結果、わが国は一定の海域において自発的に漁業を抑止するという表現にかえられたと伝えられております。
先ず最初米国航路を開設したいという大体意向を以て今調査をいたしておる次第であります。