2018-11-15 第197回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
ということで、その滅私奉公を通じて戦争に駆り立てた部分があるということも記者会見等の場で私は申し上げているところでございまして、議員が最初、明治百五十年について、光の部分もあれば影の部分もあったということは全くおっしゃるとおりでありまして、こういった戦前からの教育についても、今紹介をさせていただいた負の面とともに、世界に類例をほとんど見ないような形で、例えば様々な災害の場においても規律正しくみんなが
ということで、その滅私奉公を通じて戦争に駆り立てた部分があるということも記者会見等の場で私は申し上げているところでございまして、議員が最初、明治百五十年について、光の部分もあれば影の部分もあったということは全くおっしゃるとおりでありまして、こういった戦前からの教育についても、今紹介をさせていただいた負の面とともに、世界に類例をほとんど見ないような形で、例えば様々な災害の場においても規律正しくみんなが
つまり、最初、明治時代の英語の達者な方たちがデモクラシーを民主主義と訳したんですね。ところが、その後、日本に来た中国人の学者が、民主主義というのはおかしいぞ、イズムじゃないよということで、中国語では民主主義のことを民主と言うんですよ、民主。私たちは民主主義と言っています。韓国語でもミンジュジュイと言いますね。中国ではミンジュです。
そこで貯金も行われ、簡易生命保険も行われたということでございますから、これは、私は郵政の文化、郵便の文化ということをいつも申し上げているわけで、とりわけそこに生まれた、今御講演をいただいた三等郵便局の局長さんたち、特定郵便局長さんたちは、まさしく先生が今お話をされましたように、最初、明治五年に各地の名望家が、いわゆる自分でもうけるということではなくて、名誉としては官吏としての立場をもらったということではありましょうが
これはまさに郵政省、戦前からも、本当に基盤と申しますか、一番最初、明治初年ですね、郵便局をつくり、特定局をつくり、大変日本の近代化に、御存じのように、郵便、貯金、保険というのが、全国に二万四千の郵便局、一万八千の特定郵便局、全国にネットワークとしてあるわけでございまして、まさに明治初年の民活であったと私は思うわけでございます。
これは問題は、さっき言いました教育制度、医療制度全部絡んだ問題であるというので私は最初明治百年病だ、こう申し上げましたが、対策というのは、つまりその辺からひっくり返して日本の国全体、社会全体を国際経済社会とハーモニアスにする努力がない限り、経済面なんかの出っ張ったところだけで勝負しようとしたってこれは問題がただ先送りされて深刻になるだけなんですということを申し上げたいのです。
あそこは、一番最初、明治二十年か三十年ごろ、松木村という村が一村取りつぶしになったところがあるのですね。やっとこのごろその歴史がわかってきたらしいのです。それはいま地底に沈んでいます。ほんとうに悲しい町ですよ。それがまた、昭和のこのような御代にこうなることは、これはたいへんだ。これは自治省に大いに責任があると私は思うんです。
というのはどういうことかと申しますと、たとえば利根川は、最初明治時代の改修のときにとりました流量と、それから現在とっております流量とは、何回も変遷を来たしておりまして、だんだんと流量がふえておりますので、それによって計画河床というものが、あまり大きな変動はございませんが、ある程度変動を来たして、護岸につきましても根入れを深くいたしておりますが、そういうところで高さは一応きめております。
最初明治二十五年にできまして、昭和二十八年八月に全面改正いたしまして、現行の法律ができている次第でございます。
日本におきましても、最初明治の初まりの国会のごとく、日清戦争までの日本の歴史を見ると、その当時の政党というものは、分れておりましたが、互いによく争いました。尾崎幸雄氏がよくこのことを言ったのでございますが、今日におきまして、ことに戦争後において、各政党がだんだんといろんな変化をしてました。社会党が二つが一つになる。また保守党が一つに固まった。
たとえば、電気の問題でありますならば、電気に関する保安行政の規定は、一番最初明治何年かに東京電力の火力ができた時分に、これは危ないものだといって作られた。その危険物を民間の安寧秩序のために特別扱いするときの、その取扱い、取締りの規定が、ほとんどそのまま残っておるわけです。
○富田證人 それは最初明治商会の事件について多額の金が動いて、事件のもみつぶしが行われる、その金が後藤つぎを通じて檢察廳の部内にばらまかれているという風評を聞いたのであります。それでこれは容易ならぬと思つて調べたところが、ちようど私の手持ち事件に明治商会の事件がなつておりました。