1949-11-21 第6回国会 衆議院 外務委員会 第5号 この工場は最初冨士製紙の江別工場として発足をいたしましたが、それが昭和八年王子製紙に合併されまして、昭和二十一年五月連合軍からいわゆる賠償工場に指定されました。その登緑の機械の台数は九百九十、そのうち五百十五台の使用許可を得まして、現在操業を続けておる次第でございます。 竹尾弌