1954-01-29 第19回国会 参議院 本会議 第6号
曾つて芦田内閣が、敗戦後の荒廃、窮乏の国情を国民に訴えまして、耐乏経済の基本方針から経済復興五カ年計画を立てました。そうして重要産業に対しては必要な統制計画を立てました。一面、労使の協力、国民の耐乏生活を訴えたことがございます。而も国民に対しましては救国貯蓄運動さえ展開いたしたのでございます。この復興方式こそが、即ち西ドイツ及びイギリスのとつた態度であると私どもは確信するのであります。
曾つて芦田内閣が、敗戦後の荒廃、窮乏の国情を国民に訴えまして、耐乏経済の基本方針から経済復興五カ年計画を立てました。そうして重要産業に対しては必要な統制計画を立てました。一面、労使の協力、国民の耐乏生活を訴えたことがございます。而も国民に対しましては救国貯蓄運動さえ展開いたしたのでございます。この復興方式こそが、即ち西ドイツ及びイギリスのとつた態度であると私どもは確信するのであります。
曾つて芦田さんは、社会党を含まないところの講和なんというものは意味はないと言われました。賢明な人でありましよう。それを憂えられた元の衆議院議長が又超党派外交を唱えられたのもそれでありましよう。最後にダレス特使も、どうか社会党にも全権に加わつてもらいたいということを示唆されたとか噂されているのも、又奈辺に意味があるでありましようか。御存じであるはずであります。