2000-03-07 第147回国会 衆議院 本会議 第8号
その言葉どおり、前島先生は、石橋氏のもとで、同氏の書記長時代には党派遣の秘書として気配り十分の仕事ぶりを示し、委員長時代には再度の総務部長として書記局の切り盛りを一切任されるなど、期待されたとおりの働きをされたとお聞きします。 このような赫々たる実績を上げられた書記局時代は、前島先生の次の飛躍を準備せずにはおかなかったのであります。時あたかも、勝間田代議士の引退の時期でもありました。
その言葉どおり、前島先生は、石橋氏のもとで、同氏の書記長時代には党派遣の秘書として気配り十分の仕事ぶりを示し、委員長時代には再度の総務部長として書記局の切り盛りを一切任されるなど、期待されたとおりの働きをされたとお聞きします。 このような赫々たる実績を上げられた書記局時代は、前島先生の次の飛躍を準備せずにはおかなかったのであります。時あたかも、勝間田代議士の引退の時期でもありました。
そこで、じゃ、大蔵大臣は、今細かいことを御存じないとおっしゃるのですが、当時大蔵大臣は、書記長時代を長い間務められたわけでございますし、それからまた大蔵大臣にもなられたわけですから、このスキームの内容についてはいろいろと御存じのことだと思うのです。
自治体外交というお話がありましたが、例のコンスタンチン君の治療等で北海道が果たした自治体外交、私も書記長時代、沖縄の知事選挙の応援に行きまして、ぜひ大田さんも積極的な自治体外交を展開したらどうかということを申したこともありましたが、そういう意味で自治体外交の意義というものは痛感しております。
○山口国務大臣 私、社会党の書記長時代、しばしば沖縄に参りましで、嘉手納の軍事基地を上原さんと一緒に手をつないで取り巻くというような行動にも参加をいたしました。その後、党の沖縄対策特別委員長もずっとやっておりまして、現在は上原さんが非常に御努力をいただいておると承知をいたしております。
ですから、先ほど申し上げた政府統一見解はおかしい、改めるべきだ、もっと国政調査権を尊重せよということは、私、社会党の国会対策委員長、書記長時代に随分強調したことがございます。まさに「苦汁をのまされた経験」の連続でございました。「国政調査権の拡充は、政治改革とりわけ国会改革の大きな柱にすべきものである。」こう述べています。このことについて賛成ですか、反対ですか。
極東における旧ソ連軍につきましては、ゴルバチョフ書記長時代の一方的削減発表以来、最近二年間におきまして量的縮小は示しておりますが、極東における旧ソ連軍の軍事力は依然として大きな存在でございまして、これまで質的強化が図られてまいりました装備及び再編合理化、近代化されてまいりました戦力が依然として蓄積された状態にあります。
体制と体制の対決とか対立とかというものから全人類的課題というものへ人類が力を合わせて進んでいかなきゃならない時代へ来ているんだというような、こういう認識だと私受けとめておりますけれども、こういうような中でやはり来年の来日というものも迎えるわけでありますから、北方領土の問題を解決してそして平和条約を締結するという大きな課題についての官房長官の決意も含めて、今ほどの私が読みましたゴルバチョフ大統領また書記長時代
事実、例えばゴルバチョフ書記長時代ですが、ゴルバチョフのウラジオストク演説というのがあります。ヨーロッパには先ほどの全欧安保会議のヘルシンキ宣言があるわけでありまして、これは信頼醸成措置について画期的な内容を盛り込んだ宣言であります。このヘルシンキ会議を手本にして、太平洋に面するすべての国が参加する太平洋会議を提唱しました。その場所は広島にしようじゃないかとまで言っているわけであります。
やはり何でも交渉というものは粘り強いことが必要であって、こうした問題も、実はブレジネフ、さらにはアンドロポフ、チェルネンコと三代を経て、やっとゴルバチョフ書記長時代に米ソがその問題に関しては合意するに至ったのだ。
数年前でございましたが、当時失野書記長時代でございますが、この問題が提起され、そうして党首会談で各党から申されたのは、昨年末の予算編成の際でございました。
○安倍国務大臣 最終的にそこまで決まっているわけではありませんが、これはブレジネフ書記長時代に、田中・ブレジネフ会談の際に、ブレジネフ書記長の訪日を要請しておりますし、そうした日本の要請というのは、その後ずっと続いてきておるというふうに私は承知をいたしております。
これが私の年来主張していることでございますし、既にことしは総理に対しましても民社党の塚本現委員長が書記長時代に質問いたしておりまして、総理から、関係者の意見をよく聞いて、よく検討いたしますという御回答をいただいているわけです。
私も元総理の田中さんという方とは縁がありまして、私が労働組合の書記長時代の、三十九歳何カ月というお若い郵政大臣でございます。徹夜で交渉をやったことも何遍もあります。人間的には好きな面もたくさんございます。だが、それとこれとは違う。
○大出委員 総理は、私が全逓の組合の書記長時代に郵政大臣で、総理が大臣になった初めてでございましたが、なかなかむずかしい労使関係をあのときまとめた相手方でございまして、おわかりいただいていると思うのでありますが、ぜひひとつ、いまお話がございましたが、その方向をもうちょっと深めていただいて、この問題の話し合いをまたひとつお続け願いたい、こうお願いをいたしておきたいのであります。
その後、昭和三十九年に成田さんが書記長時代、成田さんを団長とする訪ソ団の一員として私ソ連へ参りました。そしてソビエトのミコヤン副首相、それからスースロフ、ボノマリョフ氏と、特にスースロフ、ボノマリョフ氏はソ連の最高の理論的指導者であることは言うまでもございません。ナンバーフォーと言われておりますが、実際上はこの人がほとんど理論的指導をやっておる。三回時間をかけて会談をいたしました。
ということでございまして、それが有利でございますので、私実は全逓信労働組合という組合の出身でございますから、電電公社の電報局、電話局の諸君は郵便局と一つ屋根の下においでになりましたから、五現業の方も何とか――私は、筋論として、本来公務員に対して共済組合へ持ち込むというのは筋が通らぬと思っておりましたが、時の情勢やむなく、永岡光治参議院議員、横川正市参議院議員、二人に私が話しまして、当時私が全逓中央本部書記長時代
私は全逓本部書記長時代に一生懸命、徹夜で二日にわたってお話を聞いていただいた時代がございます。そのときにも一つの問題点でございました。だから、大臣はそういったいにしえの経験が一つおありの上に再度郵政大臣におなりになっておるわけでありますから、ほかの方がおなりになったより以上にこの点はおわかりのはずなんですけれども、確かに政治的には、全国の特定局長さんの集団もございますから、大きな問題はあります。
○大出委員 これは、実は私が全逓という労働組合の書記長時代に、横川、永岡両参議院議員から議員立法で出してもらった。岸本さんが大蔵省給与課長でおいでになるころです。ということもこれあり、二つの国会にまたがったから、このあたりで政府提案で共済年金に持っていきたいという人事主任官会議等の話もありまして、政府立法でお出しをいただいた。あわせて数年ずれて地方共済の形になった経過がございます。
昭和三十三年春闘で私が全逓本部書記長時代に、田中角榮郵政大臣がおられまして私の首を切ったわけでありますけれども、三十三年から四十九年でありますから、まあ足かけ十六年間たつわけであります。
私も、昔あなたが郵政大臣で、私が全逓の書記長時代ならけんかしちゃう。腹が立つから、いきなり帰っちゃう。総理なんて価値がないんだから帰ってくれとぼくは言う。私も少しはしらがはえているからがまんしているんだ。あなただって昔のあなたなら、すぐおこったかもしれぬが、がまんしているんだから、がまんついでに、もうちょっとまともに答えてくださいよ。日本の将来にとって大きな問題なんだ。
局長の青木さんから駅前の局の部長の神石君から、神石さんなんというのは、もう東京郵政の全逓の役員をやっておりまして、私が書記長時代、神石君にものを言って、彼は一生懸命やっていた。いまはみんな管理者です。あそこの局を処分したときは、私は一週間ぐらいたってからあの入り口に立っていた。みんな私の顔を見ないで入っていく。そういうことにしてはいけませんよ。