1966-12-20 第53回国会 参議院 運輸委員会 第1号
なお、若い部員と申しますか、普通船員につきましては、これは外航船の部員も非常に逼迫しておりますので、その方面への希望があれば、就職のあっせんを強力に進めるということで、実は私は率直に言って、過剰による失業船員という事態はほとんどないのじゃないか。むしろ、こういう措置によっていままで海に職場を持っていた人が陸に逃げてしまうということが一番おそろしいことだと考えております。
なお、若い部員と申しますか、普通船員につきましては、これは外航船の部員も非常に逼迫しておりますので、その方面への希望があれば、就職のあっせんを強力に進めるということで、実は私は率直に言って、過剰による失業船員という事態はほとんどないのじゃないか。むしろ、こういう措置によっていままで海に職場を持っていた人が陸に逃げてしまうということが一番おそろしいことだと考えております。
ただ、現在までのところ、私どもとしては、これがLSTの乗り組み員であるということは十分想像がつきますけれども、その文言がないということ、また、普通船員を紹介する場合には、その労働条件その他必要な事項を明確に職業安定機関に求人側が明示するということでございますので、その明示を求めるようにいたさせております。
それからいわゆる普通船員といわれる、部員といわれる者は、これはレーダーの監視は、航海士の命を受けて、その隣で見てはおりますけれども、しかしいま言ったような電波計器の取り扱いに関する免許は特に得させるようにはいたしておりません。これは航海士の横におって手助けをしておるだけでありまして、責任者、大型船についてはすべてレーダーを取り扱い得る者ということにいたしております。
しかし一実態は、その学校だけでは非常に足りませんので、やはり現在船舶職員でなく普通船員として働いておる人たちを教育いたしまして免状を取らす、これが働く人にとっても将来への希望であり、安定した職場としてそれを考えていくという面もございまして、各地でそのための講習会が行なわれておることは、先ほど参考人からお話のあったとおりでございます。
船というのは、船長から普通船員まで全部一緒になって、これはいわば一つの家庭ですよ。家庭の気分でもって仲よく仕事をし、笑って仕事のできるような職場環境をつくってやらなければ、いかに陸上から局長の命令だからといってどんどん業務命令ばかり流したって、下に徹底するものでもない。また、いまの民主主義の時代になって、長がついたからといって、それほど力があると思っていない。
従いまして、今後の商船大学校あるいは商船高等学校の卒業生の就職の問題については全く心配はないというような状況でございますけれども、部員クラスの普通船員の就職につきましては、相当の問題があるわけでございます。
普通船員、下級船員については商船の高等学校があるということでございます。今回の提案では、この商船ではございませんけれども、短期大学に付属の高等学校を設ける。
で、この属員、いわゆる普通船員のうちで、やはりこれは先ほど平均で申し上げましたように、汽船が一番高うございまして、汽船の場合において一万三千二百五十一円となっております。それから帆船の場合におきましては、これは平水の機帆船の場合で一万二百六十八円。先ほどの例で引きましたカツオ漁業を例にとりますというと、これは一万一千十二円。しかもこれらの大部分は歩合給によっておるというのが現状でございます。
船員の教育の問題は、これは御承知のように商船大学及び商船高等学校は文部省の所管でございますが、そのほかの再教育機関あるいは普通船員の教育機関は、運輸省の所管でございます。その学校等は十一ございます。それで海運の発展に応じて、船腹の拡充とともに優秀な船員を確保するということが必要なわけでございます。
たとえば船員の素質向上という面から、船員教育というものをもっと高度にしようとしましても、普通船員と高級船員と違うのですし、その場合にこういうものは特別に技術とかなんとかいうものの特殊な研究を必要とするのでありますから、むしろこれは切り離して――高級船員に対するところの技術指導であるとか、あるいは免状の問題であるとかいったようなものは、一つ切り離してしまって、一般の船員局で今やっておいでになるような船員
こちらでいえば、一般の属員士官でない者まで適用して入れておりますが、これを全体内に見ますと、普通船員の方でそういうものはある程度カバーしております。そこで、全体的な数字から申しますと、日本の乗組員の方が多い、その点で私はこの点はそう無理がない、ことに、各国でもやっているのですから、そう無理はないと思います。 もう一つ御心配の点は、私どももわかります。
そのうち甲板、機関、事務という三つの部は船舶職員のほかに、普通船員——法律用語では属員と申しますが、普通船員というものがおるわけです。一例を申しますと、機関部でいえば、船舶職員が四名ないし五名、そのほかに普通船員というものが十五、六名おります。これは甲板部も医務部も同じです。ところが、無線部に限っては通信士だけしかいない。普通船員は一人もいない。
しかしながら商船大学並びに商船高等学校のように五ヵ年間もかかるような長い教育でこの船舶職員を養成することは、時間的に間に合いませんので、運輸省の所管いたしております海技専門学院並びに海員学校を活用いたしまして、これによって再教育、あるいは普通船員の養成をいたしたいというのがこの項目でございます。
これに応ずるために、船員ことに高級船員の充足をやっていくためには、省の所管いたしております海技専門学院、それから普通船員につきましては海員学校の活用をいたしまして、ここで必要な船員を急速に養成いたしたいという考えをいたしております。
大東亜戦争の期間中に日本の船員がどのくらい多く犠牲になったかということは、数字をもって申し上げますれば、終戦当時の統計によれば、今次戦争のために身命を賭して出動しました船員は、高級船員が三万九千二百六十八名、普通船員が十四万二千五百五十名であります。
これは運輸省の船員局でもってむろん管理をしておられるわけでございますが、漁船の船員は漁船としてのまた立場もありまするし、いろいろな面において都合の悪い点が多いものでございますから、水産庁に漁船船員を直接管理するところの一課が設けられて、そうして所要の資料なり何なりをお集め願っておいて、そうして漁船船員の普通船員と違って困っているところの問題につきまして御配慮にあずかりたい、かように考えます。
そのうち船長、機関長、それに警備船の人が三名残り、あとの普通船員は警備船に乗り移され、欲知島に連行されました。その夜は港で一泊いたして、十日に釜山港に入港いたしました。釜山港に着きまして、韓国海上警察にみなが取調べに連行されました。海上警察で二日間にわたって調べられ、調べが終ったのが十一日の夕方でした。それから牧島の水上警察の留置場に監禁され、二日留置場にいました。
釜山の港に着きましてから、海上警察で取調べを二日間にわたって受けましたけれども、その取調べの内容は、私調理員でありますゆえに、はっきりとわかりませんけれども、まあ普通船員の人が言うのには、李ラインの侵入のことについて、履歴書、こういうことを調べたということですが、私は調理員であったために、はっきりそのことはわかりません。
また普通船員の団体である日本海員組合も、昭和四年から毎月組合費と同額の一円を醵出して、普通船員のための厚生施設を作りましたが、日本海員組合は法人格を有しなかったので、昭和七年、別に財団法人日本海員会館を設立して、これにこれらの施設の所有権を移すとともに、その経営をまかせたのであります。
すなわち日本海員会館は、船員の福利厚生事業を行なっている財団法人でありますが、この団体の沿革につきまして申し上げますと、明治二十九年高級船員の団体である船員倶楽部が結成され、これは後に社団法人海員協会に改組されたのでありますが、一方普通船員も大正十年に日本海員組合を結成し、この組合員は、昭和四年から毎月組合費と同額の一円を醵金して、普通船員のための厚生施設をつくったのであります。