1951-05-28 第10回国会 衆議院 文部委員会 第28号
ただ、これにつきましては、私も育英会長の経験があるのですが、とにかく晝間学校に行つておる連中は、夜アルバイトをやるわけですが、逆に晝間仕事をして、夜、学校に行くという人は、ある意味で、人からかつてになりやすいと言われるのです。ほかの人はいつまでも仕事をしておるのに、途中から帰つて行くのですから、よほど注意深くやらないと、ほかの人にさわりを起すというおそれがあります。
ただ、これにつきましては、私も育英会長の経験があるのですが、とにかく晝間学校に行つておる連中は、夜アルバイトをやるわけですが、逆に晝間仕事をして、夜、学校に行くという人は、ある意味で、人からかつてになりやすいと言われるのです。ほかの人はいつまでも仕事をしておるのに、途中から帰つて行くのですから、よほど注意深くやらないと、ほかの人にさわりを起すというおそれがあります。
むしろ五十銭とか一円というものにぎざぎざが付いておつて、そして十円がぎざぎざのつかない、穴が明いているということは、ちよつと今までの国民の常識に反するように思うのですが、先程小川委員もいろいろお話がありましたが、この銀行などは晝間仕事をするので、これはもう銀行員は随分その点は馴れていますから間違いもないだろうと思うのですけれども、大衆がこれを使用して行く、晝夜の区別なく、又非常に忙しく取扱うというような
これは今までの社会的な認識というものが低かつたために、雇主の方で夜間学生というものは晝間の学生と同じようにアルバイトの一種としてしまつたり、或いは夜の学校に行く人は晝間仕事を怠けるというようなことで、雇うのを嫌つたり、そういうような結果から、殊更安く働かざるを得ない、そういう現象、結果が、一ケ月平均千八百円何がししか收入が挙らないのです。