2020-12-25 第203回国会 参議院 議院運営委員会 閉会後第1号
今度は安倍晋太郎先生の時代からの秘書さん、しかし実際は東京の秘書だと言われている。でも、その東京の秘書は今回の地検はおとがめなしじゃ、国民納得できないじゃないですか。それで何であなたは議員に居座り続けられるんですか。 今日の質疑で疑惑は更に深まっています。前総理の不誠実な姿勢もはっきり見えました。
今度は安倍晋太郎先生の時代からの秘書さん、しかし実際は東京の秘書だと言われている。でも、その東京の秘書は今回の地検はおとがめなしじゃ、国民納得できないじゃないですか。それで何であなたは議員に居座り続けられるんですか。 今日の質疑で疑惑は更に深まっています。前総理の不誠実な姿勢もはっきり見えました。
総理、このような人に、それも安倍晋太郎先生の時代からの秘書さんに責任をなすりつけちゃいけないんじゃないでしょうか。安倍前総理が潔く自らけじめを付けるべきではないでしょうか。私はそう考えますが、いかがですか。
だあっといって、祝電が、内閣総理大臣中曽根康弘、郵政大臣、大蔵大臣、外務大臣は安倍晋太郎さんです、自民党最高顧問は元総理大臣福田赳夫さん、日本民間放送連盟会長とか読売新聞社社長とか朝日新聞社社長とか、つまり、そうそうたるメンバーが勢ぞろいしているわけであります。 森本社長にお聞きしたいんですが、こういう方が介在されているんです。
米寿を祝う会というのをやったそうなんですが、開会の辞は福井銀行頭取、発起人代表が福井県知事、そして衆議院議員代表福田一さん、参議院議員代表熊谷太三郎さん、祝電披露は、内閣総理大臣中曽根康弘、郵政大臣、大蔵大臣竹下登さんと並んで外務大臣安倍晋太郎さんまで出てくる、自民党の最高顧問福田赳夫さんとか、日本民間放送連盟会長、読売新聞社社長、朝日新聞社社長など、まさに日本の政財界のトップが勢ぞろいしている。
そこで、まず外務大臣にお聞きしますが、この女性差別撤廃条約の批准の際の参議院の外務委員会で、当時の安倍晋太郎外務大臣は、条約について画期的とした上で、日本もこれに加入することによって条約の趣旨を生かして、今後まだ日本に残っている問題を解決し、条約の趣旨が完全に履行されるよう努力していかなければならないと述べておられますけれども、当然この立場には変わりありませんね。
一九八六年二月の衆議院予算委員会、大分前ですけれども、当時の安倍晋太郎外務大臣は、一九八四年九月にニューヨークの国連を訪問した際にジャパンライフの山口会長が同行したんじゃないかということを質問されて、当時、認めておられます。
ジャパンライフの山口元会長とは個人的な関係は一切ないと言いましたが、かつて安倍晋太郎外務大臣が訪米時に山口氏と面談した際に、大臣秘書官として同行していたことが明らかになっており、虚偽答弁の疑いは放置できません。 安倍総理の説明には納得できないという声が圧倒的多数であります。桜を見る会をめぐる疑惑の徹底解明は、国民の負託を受け、行政監視機能を担う国会の重要な責務です。
今委員からアフリカに毛布を送る運動への言及がございましたが、この毛布を送る運動につきましては、これは随分、安倍晋太郎外務大臣当時、私も秘書官をしておりましたが、当時、エチオピア、ソマリアが非常に危機的な状況にあったわけでございますが、当時は、夜、アフリカの場合は温度差が激しく、夜になると子供たちがまさに寒さに凍えながら命を失うという状況がある中においてこの毛布を送るという運動を展開をしたわけでございますが
これ、総理、御記憶にあられると思いますけれども、お父さんの安倍晋太郎先生が当時中心となってやられたとき、総理はその当時は秘書官か何かであったんじゃないでしょうか。この運動、もう三十五年近くずっと続いているんですよね。これは、北は北海道から南は沖縄まで、多くの国民の皆さんがこの運動をずっと続けていらっしゃる。
それから、九ページには、七十二国会請願の教訓ということで、このときの衆議院大蔵委員会の委員長は、安倍首相のお父さんである安倍晋太郎委員長だったわけですけれども、この七十二国会で、一の(2)を見ますと、「大資本に対する特権的な租税特別措置を無くし、法人税を累進制とし、小法人の税率を大幅に引き下げること、」こういうことが決まっているわけです。
加藤大臣と安倍総理は、義父の加藤六月氏と安倍晋太郎氏との関係以来の親戚のような深いつき合いと言われており、加藤大臣は総理のお友達の一人です。森友、加計問題では、総理や昭恵夫人のお友達によって行政がゆがめられていることが問題となっております。総理のお友達として内閣人事局長に抜てきされた加藤大臣は、官邸の全自動そんたく機のシステムをつくり上げた戦犯の一人であります。
私自身も、かつてお父様、晋太郎先生に御指導いただいてまいりまして、信なくば立たず、まさに信がなければ国も人間関係も立たないということを教えをいただいてまいりました。 是非、信頼回復のためにはこの真相究明を徹底的に、これは与野党かかわらず、立法府としても、あるいは政治のトップとしてもしっかりとやっていかなければいけない。
○アントニオ猪木君 私が一九八九年に国会に出まして、そのときにスポーツ省をつくりたい、当時のスポーツ平和党の公約にも入っていましたが、その後、安倍晋太郎、今の総理のお父さんに何回かお目にかかった節に、是非スポーツ省をつくりましょう、つくってくださいという話をしたときに、猪木君、それはとにかく言い続けなさいと言われたことが非常に記憶に残っておりますが、あれから二十六年、二〇一五年十月一日、スポーツ庁が
ちなみに、このときの自民党の幹事長は、総理のお父上、安倍晋太郎先生でした。私の父、江藤隆美も、総合農政調査会長として、たびたび米国を訪問しまして、ブロック通商代表などと、まあ、あの性格ですから、机をたたいて、本当にけんか腰の激しい交渉をしておったのを私も記憶しております。 そして、これが決着後は、肉用子牛生産者補給金制度を創設し、総額で一千五百億円もの国内対策を取りまとめました。
御指摘のとおり、私の父、安倍晋太郎は、一九九〇年一月に、自民党代表団を率いましてソ連を訪問し、ゴルバチョフ大統領と会談をいたしました。新たな日ソ関係を展開させていくとの決意のもと、父より、経済、文化、人的交流等、幅広い分野から成る八項目の協力計画を提示いたしました。
これは政治献金として、例えばうちの父の場合は政治献金として来たお金ですから、当時は安倍晋太郎個人という形で来ますけれども、これは政治献金なんです。
○後藤(祐)委員 今認められていないんですが、当時は、会社から安倍晋太郎元外務大臣に対して寄附をして、その寄附を安倍晋太郎元外務大臣がこういう三つの団体に対して寄附をするという形ができました。 つまり、これはお父様のお金なんです。少なくとも一旦はそうなっているんですね。
総理のお父様である安倍晋太郎元外務大臣、きのうが御命日であったというふうに聞いておりますけれども、この故安倍晋太郎元外務大臣のところに、安倍晋三総理は一九八二年に外務大臣秘書官になられたと伺っておりますが、この八二年から安倍晋太郎先生がお亡くなりになった一九九一年までの十年間にわたって、晋太郎会、晋和会、夏冬会、この三つ、当時、指定団体という制度があって、御本人に対して企業なんかが寄附することができました
○内閣総理大臣(安倍晋三君) このパネルを見まして、山陰、特に島根県、山口県が大変厳しい状況のままでございますが、かつて青木幹雄先生もおられ、竹下登先生もおられ、そして安倍晋太郎もいたわけでありますが、非常にこれ公平にやっていたんだなという結果でもあろうと、自分の選挙区にどんどん持ってくるということではなくて。しかし、少し謙虚過ぎたのではないかという声も地元にはあるんだろうと思いますが。
歴代内閣で三年以上の長期にわたりまして同じ総理と同じ外務大臣が同時期に務めているという政権は実は余り例がなく、戦後でいいますと、吉田茂総理兼外務大臣、そして中曽根総理と安倍晋太郎外務大臣のとき以来、実に三十年ぶりのことであります。
そこで、総理は、お父さんは安倍晋太郎元外相、私は大変尊敬しております。いろんなものを読まさせていただいて、幼少の頃から秋霜を踏みながら春風を思わせるような人格を磨き抜いてきた方だと思っております。さらに、おじいさんは今松陰と呼ばれた安倍寛さんであります。
御尊父晋太郎氏は、俺は安倍寛の息子だと父を誇りとされていたとのことです。なぜ貴殿が安倍家の誇りを大切にされず、受け継がず、日本を危険な方向に導かれるのでしょうか。 昨年七月のこの要望書、これは、地元事務所のあなたの秘書は、選挙区の皆さんの声として安倍に伝えますというふうに答えたそうですが、今度の要望書も届いているかと思います。
そのため、安倍晋太郎外務大臣、安倍総理のお父さんが何度もイランに来られていろいろと会談をされた。つまり、イランと日本は当時は非常に友好関係があったわけですね。その友好関係の先頭に立って安倍晋太郎外務大臣が努力されていた、その姿を私は現場で見ております。
この通産省勤務時代に、当時通産大臣であった安倍晋太郎先生と、北海道のリーダー格であった中川一郎先生に勧められ、政界入りを決意されたのであります。 その際、父金五先生からは、本当に政治家なんぞになりたいのか、余り感心しないね、一生涯、官僚として国家国民のために尽くすべきではないかと強く反対されたそうです。
私も、一九九〇年に衆議院に当選したとき、安倍晋太郎先生の政策集団、清和会で町村先生に大変先輩として御指導いただいてまいりました。本当に見識の高い、そして議会人として優れた能力をお持ちになって、この御逝去については我が国の議会にとっても大きな損失だと、本当に痛恨の極みでございます。何度も私の地元にもおいでいただきましたし、町村牧場のおいしいヨーグルトも何度も頂戴をしたこともございます。