1984-07-27 第101回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号
ただ、先生御指摘の県立芸術大学用地に係る国有地について無償で譲渡していただきたいという点でございますが、この点につきましては、先生がただいま御指摘の事情は私どもも十分承知しているところでございますが、ただ一般的に申し上げますと、国立大学所管の国有地の処分というのは、特別会計制度の建前上一自己財源、収入確保に努めるという観点から、現在時価売買というものを原則としてやってきております。
ただ、先生御指摘の県立芸術大学用地に係る国有地について無償で譲渡していただきたいという点でございますが、この点につきましては、先生がただいま御指摘の事情は私どもも十分承知しているところでございますが、ただ一般的に申し上げますと、国立大学所管の国有地の処分というのは、特別会計制度の建前上一自己財源、収入確保に努めるという観点から、現在時価売買というものを原則としてやってきております。
○戸田委員 これは今後の時価売買ですから結局時価相場によっては若干変わることもありますね。大勢、余り大きな開きはありませんか。
ですから、もしこれが市場に出回っていく場合には、五百円の金を出した人が四千五百円もうけるという、そういう事態が時価売買になりますと出てくるわけですね。幸いというかどうかわかりませんが、KDDの場合には大体株式取得者がほとんどコンスタントになっておりますね。一般の持ち株というものは非常に少のうございました。
○水田国務大臣 いまの問題ですが、この時価売買価格と固定資産の評価は相当違っておりますが、公共用地の取得ということについては、そういう考えを取り込むことは、私はやはり一つの方法じゃないかと思います。それによって、いまの時価と評価額のあまりに大きい違いというようなものが徐々に是正されていく一つのきっかけになるということは、私はいいことじゃないかと思っております。
こうなりますと、もちろんこれは国有財産の中でも普通財産と同じ程度に時価売買方式ということになると思うのです。ですから、一方では司法上の行為でありますから、払い下げるにしても現在の時点、昭和四十年から四十三年までの間に坪に直せば百四十一円とか百九十八円とか、こういう低い価格で一方では転用者に売り渡している。
完全な補償というのは、そのときの時価、売買価格というものを補償しろということになるわけであります。しかし相当補償説といいましても、何が相当かということは、内容を見なければほんとうのことはわからないわけで、やはり相当補償説でも普通の場合はそのときの時価を補償する。
そういう意味では、一方において、ある程度まで客観的な基準を求めながら、 一方においては、それを現地の時価、売買実例、あるいは精通者の価格というものによって調整するというような方法を現在とっておるのでありまして、おそらく評価の筋道としては、それ以外の方法はないと思います。
○武藤委員 従来の規定に抜け穴があった場合、時価売買の場合に、五年というのは少し短過ぎるのではないか。これをもう少し延長するほうが、中間にブローカーを介在する余地を除いたり、あるいは適正な指定が遂行される。そういうような見地からこの五年というのをもっと延ばすことの検討に対してはどのようなお考えを持ちますか。
いま仰せのようにほとんど流通性がないというような場合には、付近の時価売買実例というようなものは参考にすることはできません。でございますが、一般の場合にはそういうものもございますので、大蔵省のほうでそういった全国的に統一した客観的な基準でやった値段というものと、実際のその辺で売買されている時価というものが非常にかけ離れたものになっても困るわけでございますから、そういうものも参考にする。
端的に申しますれば、その地方の農地は一反歩が五十万円なら五十万円に時価売買されておるといっても、ぐずぐずやっておれば三十万円、二十万円と押しつけられましても、行く人は行く日がさまっているのですから、処分をして行かざるを得ない、幾らでもつかんでいかなきゃならぬということで、不自然な処分が行われて、せっかく雄図を抱いて行く人に対して、気の毒な仕打ちになっておるという事実を、あちらこちらで聞くのであります