2013-02-25 第183回国会 参議院 文教科学委員会 第1号
さらに、もう一点付け加えさせていただくと、近代以降、学制が制定されてから、又は戦後という時代区分になってから、体罰とかいじめというのは、まあいじめはもっと前からあったかもしれませんが、体罰ということがクローズアップされてきたんではないかなと思います。
さらに、もう一点付け加えさせていただくと、近代以降、学制が制定されてから、又は戦後という時代区分になってから、体罰とかいじめというのは、まあいじめはもっと前からあったかもしれませんが、体罰ということがクローズアップされてきたんではないかなと思います。
確かに、時代区分として、第二次世界大戦後あるいは一九九〇年代以降、国民投票の実施された数が増大している。これは、いろいろな人の統計を見てもはっきりしている事柄だというふうに思います。量的には拡大をしている、これは間違いないというふうに思います。 しかし、その量的な拡大も、ある程度相対化して見てみる必要があります。 現在、世界で実施された国民投票の半分以上がスイスで行われています。
これは現在だけではありませんで、時代区分で中世という言葉を使っていいかどうかわかりませんが、十世紀、十一世紀ぐらいにもそういう運動はありますし、十八世紀、十九世紀にもあります。現在のサウジアラビアという国家もそういう一種の宗教運動によってできた国家であります。
瀬戸内海の漁獲量と魚種組成の推移から海の変化を例えるなら、一九六〇年ごろまでを富栄養化以前で表層も底層も生物の種類が豊かな多様性の高いマダイの海、それ以降、一九九〇年ごろまでを富栄養化時代で表層の生物量が多いイワシの海、それ以後現在まで、富栄養化により生態系がバランスをやや欠いたクラゲの海、こういうふうに時代区分ができると言っているわけですね。
すべての時代区分が首都機能の所在地で呼ばれている歴史を持つ国は世界で我が国だけであります。このことは、日本では首都機能が移転しなければ本質的な改革はできなかったということを意味しています。 また、首都機能が移転すれば必ず世の中が変わったことも意味しています。平安時代は三百九十八年もあったわけでございますけれども、我々から見ると前期も後期も一つの時代でございました。
そういう個人的なものとこの首都機能移転を一緒にしてはいけないんですが、先生が最初におっしゃった、日本の歴史ではそれぞれ時代区分がすべて首都機能の所在地名で呼ばれており、そしてその首都機能が移転することで本質的な改革が行われてきたとおっしゃいました。
私もそのころは学生でありましたが、二十年から三十五年というのは、一つの時代区分で言うと、政治の時代であろうと思います。政治が経済あるいは文化に非常に先んじた時代でありました。 そのときの消費者の気持ちは何にあったかというと、しっかりしたきちんとした着物を着たいうまい物を食べたい、いい家に住みたい、いわゆる三種の神器というようなものがあった。
最後に総理に御見識をちょうだいするわけでありますが、どちらかといいますと、今日までの歴史を振り返ってみますと冷戦時代がやはり政治的な戦略型貢献といいましょうか、その後にあっては経済的そろばん型、今日やっと冷戦の解消、そしてお互いが基本的人権というものの立場において平和的人道型というように私は時代区分をしておるわけでございます。
マスコミ等でも大きく取り上げられたところでありますけれども、その辺の経過やその是非について今論じようというふうには思わないわけですけれども、例えばという話で、その東郷平八郎、社会科の歴史を教えるための時代区分を組みながら登場してきた四十二人の中の東郷元帥の扱いによって、教科書検定、今回の制度によって合否が決まるような、そういうことはないでしょうけれども、そうした問題について今の文部大臣の訂正申請勧告権
○政府委員(鈴木勲君) この「侵略」という言葉は、日本史なり世界史の記述におきましてはいろいろなところに出てくるわけでございますが、これは、ただいま問題にされておりますような点につきましては、検定教科書の中に、ある時代区分がございまして、その同一の時代の中で他の戦争の記述につきましては、「進出」あるいは「侵攻」というような言葉を用い、たとえば十九世紀の列強の中国の進出、同じ中国に対するこの行為につきまして
次に、私自身はどちらかと申しますと、幕末であるとか、明治維新であるとか、明治史あるいは大正史、大正デモクラシー、昭和史といったような時代区分というものが、何かそれなりにロマンがあって非常に結構じゃないかというふうに感ずるものの一人でございますけれども、法制化反対の立場をとられる方々の中にも、実はたまたま一緒に食事などをしておりまして、「お年は」というようなことで、実は大正である、あるいは昭和である、
ただいまおっしゃいましたように、元号のよさの一つは、ある時代区分とか、その時代の特徴なり、意味内容あるいはいろいろの意味というものを、一目と言いますか、これは字でございますからあれですが、その元号一つを言うことによってぱっと念頭に浮かべることができるというような点が、まさに一つのよさということがしばしば言われておるところでございますが、ただいまのそのお話もそのようなことの一つの具体的なあらわれではなかろうかというふうに
○大谷説明員 先ほど若干御説明を漏らしたかと思いますけれども、いま先生のお話のように、古い時代のものにつきましては、現在展示をいたしておりますときも、年代と時代区分、鎌倉であるとか平安であるとか、そういった時代区分で表示をいたしております。
この点についても、もし人物名をこれが例示をしあるいは基本的には最も重要な時代区分、たとえば江戸時代と言えば徳川時代とも言うんですから、徳川家康だけは書かずに、まあ、何というようなのではなくて、ここは重要な人物だというようなぐあいに出ると、もっと選択の余地のある森鴎外とか夏目漱石とかいうようなのは、どの程度に取り扱うとかいうような例示が出てくる場合もあると思うんですね。
その内容は、そのうちの約三百五十点が各省庁関係、それから旧陸海軍の関係が約千点、それから旧警察関係が五百点、残りが、その他民間のものも相当含めまして三百五十点、ただいまそういうことでございまして、時代区分をいたしますと、明治の初年から戦後昭和二十三、四年ぐらいまでにわたっております。
演劇でございますので、固定せずに時代とともに動いておりますが、その動きがある程度固まった明治の初期までの時代区分を一応区切って、伝統芸能という定義を御説明申し上げたように記憶しておりますし、もし違っておりましたら、そのように訂正さしていただきたいと思います。
○政府委員(村山松雄君) 時代区分につきましても、先ほど来御説明申し上げました横の範囲と同様になかなか断定しがたいものがございますが、これも委員会等で決議をしてきめたわけではございませんが、大体の傾向といたしまして、日本が近代化する以前に発生したものという意味合いにおきまして、それを年代に当てはめると明治のごく初期、旧時代の延長線が明治初期までちょっと入り込んでおるんではないかというような感覚で、明治
これを時代区分をやるときに、明治のごく初期というようなものの時代にあったものを考えられたから入れたんだと思うんですがね、これは何ですか。
一例をあげますと、「資本家と労働者、地主と小作人等の関係で生産の問題が考えられているか」「社会の発展が法則的に示されるような時代区分がされているか」などでありまして、生産の問題を資本家と労働者というような階級的対立観点で説かれているか、あるいは社会の発展を唯物的弁証法で説明しているか等の一方的見解に立つ事項が教科書採択の標準とならなければならないということであって、かかる日教組の行動は、明らかに公教育
しかもその内容において例えば「資本家と労働者、地主と小作人等の関係で生産の問題が考えられているか」「社会の発展が法則的に示されるような時代区分がされているか」等階級観念や一方的見解にたつ歴史観に基く事項を挙げて教科書採択の基準としている点は公教育の中正を保持するものと認め難いところである。 三 八五頁八行目以下三行を削り、次の通り改める。
また採択基準に返りますが、「歴史的な面から」というところの第二項のところに、「社会の発展が法則的に示されるような時代区分がされているか」、こういうことがございますが、これはどういう意味でございましょうか。
日本の歴史を扱う場合でも、世界の歴史を扱う場合でも、これはすべて、今日の歴史学の成果によって得られている研究の成果というものが当然尊重されていなくてはならない、こういう建前から、しばしば戦争中ないしは戦前において行われたような時代区分、科学性のない時代区分というものをこじつけて、いまだにそれを公教育の教材に持ち込もうとするような意図が露骨にあるかどうかということは十分見なくてはならないという意味で、