1950-04-05 第7回国会 参議院 懲罰委員会 第4号
そこで私の自動車を平野先生の所までやつて、平野先生是非來て下さい、危いですから是非來て下さいといつて迎えに行きました。ところが、平野先生は病気だから行けないといつて断りました。そこで私は八方手を盡し、私の方には三票あるから、二の三票を集めなければ申訳ないというので、浜田先生を追つかけましたが、先生のいる所が見付からない。刀折れ矢盡きて、私の方の兵隊、いわゆる議員の方が足りません。
そこで私の自動車を平野先生の所までやつて、平野先生是非來て下さい、危いですから是非來て下さいといつて迎えに行きました。ところが、平野先生は病気だから行けないといつて断りました。そこで私は八方手を盡し、私の方には三票あるから、二の三票を集めなければ申訳ないというので、浜田先生を追つかけましたが、先生のいる所が見付からない。刀折れ矢盡きて、私の方の兵隊、いわゆる議員の方が足りません。
尚今日午後一時からこれについて檢討を始めるから参議院側でも御都合ができたら是非來て頂きたい、こういうようなお話でした。今後もできれば密接に連絡を取つて進めたいからこちらからもよろしく頼む、こういつたような会見をいたしました次第であります。以上簡單ですが御報告いたします。尚不足の点は大隈委員から補足をお願いいたしたいと思います。
○委員外議員(板野勝次君) それでは今の政務次官がおつしやつた通り、重大な問題であつて、單に我々の個人的な問題ではなくして、大きな全体の問題ですから、法務総裁に是非來で御答弁を願いたいと思います。
○証人(池田重善君) そして私達が引張られていきましたときに、上田、狐塚という准尉が、とにかく長谷川隊ではやつていけないから、君が是非來て呉れるようにと言われたんであります。
○証人(日野原信吾君) そうすると、伊藤さんの代理の方から、兄の世田谷の自宅に電話がかかつて参りまして、奥さんでもどなたでもいいから是非來て呉れるようにという言傳えがありました。それを私聞きまして夕方直ぐ向うに参りました。
それで私は丁度農業会の方に、役場から約三百メートル離れておるのでありますが、そこで事務を執つておると、役場の小使がやつて來て是非來てくれというので、役員会に行つて見た。
然るに当時の政府の説明は非常にどうも明瞭を欠いておりまして、殊に又その説明の趣旨と鋳物については到底了解し得ない話振りがありましたために、是非來るべき時期に法制局長官も出席されて政府としての解釈、又提案の合法制についての説明を十分にして頂きたいという要求をいたしてあつたのであります。
是非來てくれという所は何処にもないのであります。大体話が決まりまして、さて現地の人と話してみますと、成る程あなた方のお立場はよく分りますけれども、強いてここに持つて來なくても外にあるでしよう。
殊に只今四萬町歩に垂んとする千葉縣の旱害地帶は、大體極く酷いところは約二萬町歩であります、これは近日大臣にも一つ是非來て見て頂きたいというように先程もお願いしたのでありますが、既に大利根引水事業を笹川町から九十九里沿線に大利根から引水する事業を戰爭前から始めておるのでありますが、十二ヶ年經ちましても、未だにこれが完成しないという状況になつておるので、そのために幹線地帶を既に掘り割つたためにそれに、搾