2009-05-20 第171回国会 参議院 予算委員会 第21号
私は、そのドラマを見ておりまして、ちょうど二・二六事件の場面がございまして、そのときのバックグラウンドミュージックに、バックグラウンドミュージックといいますかね、「昭和維新の歌」というのが流れたんですね、昭和維新の歌、今の若い方はほとんど御存じないと、このように思っておりますが、私どもの子供のころはまだ、その当時の大人たちが時々酒を飲んでは昭和維新の歌というのを歌っておりました。
私は、そのドラマを見ておりまして、ちょうど二・二六事件の場面がございまして、そのときのバックグラウンドミュージックに、バックグラウンドミュージックといいますかね、「昭和維新の歌」というのが流れたんですね、昭和維新の歌、今の若い方はほとんど御存じないと、このように思っておりますが、私どもの子供のころはまだ、その当時の大人たちが時々酒を飲んでは昭和維新の歌というのを歌っておりました。
国家改造を唱えるが、いかに国家を改造せんとするのであるか、昭和維新などということを唱えるが、いかにして維新の大業を果たさんとするのであるか。しかも、この種類の無責任にして矯激なる言論が、ややもすれば思慮浅薄なる一部の人々を刺激して、ここにもかしこにも不穏の計画を醸成し、不逞の凶漢を出すに至っては、実に文明国民の恥辱であり、かつ醜態であるのであります。
二ページに参りまして、近くは明治維新から考えますと、明治維新は中央集権体制、昭和維新は民主革命といった変革が起こってまいりました。平成維新はいよいよ分権革命である、このように認識をしております。この分権と規制緩和、そして首都機能移転というものがセットで平成維新が進んでいかなければいけない、このように考えております。何よりも必要なことは国民の意識革命ではないか、このように思っております。
二ページに参りまして、明治維新後の、より流れとしては小さいんでございますが、振り返りますと、明治維新は中央集権革命、昭和維新は民主革命という変革が起こってきましたが、いよいよ平成維新は分権革命であると、このように私たちは認識をしておりまして、首都機能移転はその平成維新の変革のシンボルである、その変革によりまして大きく意識革命がなされてくるというふうに思います。
国会等移転問題は、言うなれば明治維新、昭和維新、平成維新と大きな歴史の流れの中の一環として位置づけるべきではなかろうか、こんなように考えております。それぞれ革命とも言っていいような大きな変革をし、また変革をしなければならないと思っております。 明治維新は言うなれば集権革命であり、昭和維新は民主革命であり、平成維新は分権革命である。
対地方、対民間に対しまして、権限の集中、一極集中を図りまして、いわゆる護送船団方式で進んでまいったわけでございますが、昭和に入りまして、敗戦後に民主革命ともいうべき昭和維新というものがございました。そして、三度目が今回の平成維新である、かように理解をいたしております。 明治維新の場合、国家目的が、軍事大国をつくる、欧米列強諸国に対抗するために軍事力の強化を図ったという歴史がございます。
こういう努力を今後とも重ねてまいりたいと思いますが、いずれにいたしましても、国政の重要課題でもございますので、明治維新あるいは昭和維新に匹敵するような情熱を国政レベルの上でも盛り上げていただきたい、かように念願をいたしております。
昭和維新と言われることが起こりました。これも相当大胆なことをやったのでありまして、当時は今よりももっと強権発動でどんどんやりました。けれども、結局仕組み自体が変わらない、仕方だけを変えたんですね。その結果、結局は悪い方に流れてしまいました。 私は、この日本の固定化した行政機構あるいは経済構造、教育構造を含めた社会全体の形から見ると、やはり今大きな刺激が必要ではないか。
我が国はどうなっているかというと、右翼、暴力団の関係の中で政権が取りざたをされるというようなゆゆしき事態も明らかになりつつありますし、同時にまた、こうした政治状況を背景にして、自衛隊の幹部が、十月でしたか週刊誌に、こういう政治状況であればということで、ちょうど二・二六事件のような発想の昭和維新というようなものをやろうというのと同じ精神構造の中でクーデター論が出てくるという状況もあるわけで、大変危険な
ここで昭和維新をやらなければいけないと思う。国会を解散して選挙になっても自民党には絶対入れないと地元では話している」宇都宮市、主婦、六十六歳。こういうような多数な意見が寄せられたことも事実でございます。もう一人最後に、「年金生活者をどうしていじめるのか。消費税は悪たれ代官のすること。水戸黄門があらわれ、消費税を葬ればいいのだが……」無職、七十二歳、東京都杉並区。
つい先日まで右翼が国会の周辺でどなっていた「昭和維新の歌」、「財閥富を誇れども、社稷を思う心なし」。戦前、財閥と結託して、政治は腐敗し、政党政治は崩壊し、軍部独裁、全体主義の台頭から無謀なる戦争へと突入し、ついに国を滅ぼしました。現在、日本の財閥支配の自民党政治を見ていますと、まさにこの悪夢が再現するのではないかとまことに慄然たるものがあります。
○小澤(潔)委員 新聞によりますと、中核派のほかに救国霊団と名のる団体から、本日の自民党本部火災は、政治結社救国霊団の戦後ポツダム体制への報復である、昭和維新断行万歳という内容の犯行声明があったと聞きますが、救国霊団というのはどんな組織が、またこの団体は今回のゲリラに関連があるのかどうか、お尋ねをいたします。
中曽根さんは、それこそ昭和維新を目指して行管庁長官時代からずっと行政改革には非常に真剣に取り組んできておられます。しかし、きょう通りました法案にいたしましても、これは少なくとも防衛庁については何ら触れているところではないわけです。また臨調も、防衛庁のあり方あるいは防衛費については非常に抽象的な文言でしか触れておりません。
○山口(敏)委員 経済問題につきましては後ほどもう少し掘り下げて伺いたいと思いますけれども、私は、政治倫理の問題にしてもあるいは行政改革の問題にしても、いまの時期は、総理の昭和維新ではありませんけれども、やはり命をかけてやっていただくという決意がなければ、何一つ進まないと思うのです。
総理は、今日の日本の状況は戦後の総決算の時期だ、二十一世紀の日本を創造するべく、ひとつ諸般の懸案をここで解決しなければならない、明治維新にもたとえて昭和維新だ、また行革の問題につきましても、マッカーサー改革以来の大改革を断行しなければならない、こういう決意をしばしば披瀝をされておるわけでありますが、私はその辺の総理の見解を再度この場において御確認しておきたいと思います。
青年将校のふんまんが爆発して昭和維新となり、それがまた大東亜戦争につながったではありませんか。それほど軍縮問題というのは厳しいし、むずかしいのです。国の運命をかけなきゃならぬ問題です。だから私は、この問題にもっともっと真剣に取り組みなさいということを冒頭に言いたいわけなんです。
第三憲政とは、あなたが塾長をやっている青雲塾の綱領的文書によれば、現憲法下の日本を第二憲政の時代と位置づけた上で、これに取ってかわる新日本国民憲法を創定しようというスローガン、戦前昭和維新を唱えたいわゆる革新将校の再現を思わせる昭和革新運動なるものの行動スローガンではありませんか。
それに、御承知のように非常に国際通信の技術革新と申しまするか、ちょうど国際電気通信が昭和維新に当たるというような非常に大きな変換を遂げつつある時代でございましたので、これには相当いろいろな投資も必要とする。
その十五団体は「武士道研究会、琉球拳法部、中国拳法部、国士連合会、皇国研究会、大日本昭和維新会、国士拳友会、国士舘精神研究会、国士拳、国友会、国防部等」であると書かれております。「また、これに所属する学生は二百数十名おります。こうした学生が学内を濶歩している光景は正に異様な雰囲気であり、真面目な一般学生は落付いて勉強もしていられない状態です。
その他大変なものがここに入っておるわけですが、「昭和維新」、こういう本です。「天下一家の会」、この中にはしきりと財団法人という名前が書かれています。財団法人、財団法人、至るところにこの名前が使われておる。そのようにしてこの天下一家の会というのは、ネズミ講のよって立つところは財団法人だと言うことによって庶民を惑わしておるということが明白になっておるわけです。
昭和五年十一月、ロンドン条約に憤慨して浜口雄幸首相を東京駅頭で銃撃し、もって昭和維新の大道を切り開いた同会議元議長、故佐郷屋嘉昭氏、当時二十三歳の行動を賛美して、右翼陣営内部の今日の低迷を払いのけるには、佐郷屋のような青年が必要であることを強調しております。そして、同会議が今後積極的な攻勢に打って出ようとする意気込みを傘下各団体に徹底させたと右翼系の新聞報道でも述べております。
右翼と左翼と違うところはどこかと申しますと、新左翼はいわゆる彼らの言葉で言うわが国における革命を目指しておる、そのためにいまのような手段、方法をやるんだということでありますが、右翼の方は革命ではありませんで、わが国の体制刷新、いわば敗戦以前のわが国の体制というものをここで復活するんだということを言っておるわけでありまして、そのことを昭和維新の実行というような言葉で言ったりするわけであります。