2021-01-20 第204回国会 衆議院 本会議 第2号
観光の語源は、易経にある国の光を観るから引いたものと言われておりますが、私は、この光が子供の笑顔であるべきだと思っております。 コロナ禍の時代、コロナ後の時代に、子供たちの笑顔をどのようにして取り戻すことができるか、今、我々に課せられた喫緊にして大きな課題であると考えております。
観光の語源は、易経にある国の光を観るから引いたものと言われておりますが、私は、この光が子供の笑顔であるべきだと思っております。 コロナ禍の時代、コロナ後の時代に、子供たちの笑顔をどのようにして取り戻すことができるか、今、我々に課せられた喫緊にして大きな課題であると考えております。
そこでやじっている共産党の皆さん、君子豹変とは、君子は速やかに過ちを正し善をなす、それが君子豹変ですから、しっかり易経を勉強してほしいと思います。安倍総理が、最終的に国民に寄り添い、国民のためになる君子豹変は、適切な、現実的、正しい判断であるとあえて私は強調させていただきます。 日本維新の会は、この十万円を国会議員、地方議員、首長も含めて受け取り、全額を寄附することに決めました。
観光という言葉は、易経の国の光を観るという言葉が語源とも言われております。今では観光を語らない自治体関係者はいなくなりましたが、自国の文化や伝統を発信する一方で、他国のすぐれた部分を学ぶ姿勢も重要であります。その観点から真の観光立国を目指すために、インバウンドだけではなくて、双方向での観光交流が重要であります。
そうすると、大体、出典が、いつ最初に使われたかというのが出ていまして、詩経といいまして、易経というのは、元号なんかをやるとき、天平らかに地成るで平成だとか、いろいろ、これからもまた元号の話も出ます、これは易経から選ばれることが多いんです。
これは中国の易経の天平らかに地成るというところからですけれども、これは易経から取っているじゃないですか、こういうことをやっぱり反論をするんですね。だから、もちろんそれとこれは全然違うということをしっかりと言いましたけれども、そういう意識、感覚があるということもこれは御理解を是非いただきたいと思います。
観光とは、易経で国の光を観ることとあります。まさしく日本はすばらしい光あふれる国です。今後とも、多くの方々に日本の持つ魅力を体感していただけるよう、政府として戦略的に取り組むことを要望いたします。 また、観光問題は地域再生につながる重要課題でもありますが、観光立国日本を目指しどう取り組むのか、総理に伺います。
その中に、いや、君たちももうちょっと年を取ったら易学、易経ね、易学に触れてごらん、面白いよと、こうおっしゃったんですね。私はそのとき全く意味が分かりませんで、だけどちょっと本を買って易経の本を読んでみましたけど、さっぱり分からない。これ、難し過ぎて分からないんですよ。
そもそも観光という言葉は、中国の古典、易経の「観国之光」と、国の光を見ると、これが語源になっているというふうに聞いております。国の光がないのに観光はあり得ないと、こういうことだというふうに思うわけでありまして、正にその地域地域の光とは何なんだと。
中国の易経に、「治にいて乱を忘れず」とあります。平和な世に暮らしていても、乱れることがあるのを忘れないよう、いつも気をつけ、不時の備えを怠らぬという意味であります。平時の今こそ、例えば弾道ミサイルという新たな脅威への対処措置に対しても、徹底して議論して、備えに遺漏なきを期し、日本の平和と安全に責任を負うのが私たち国会議員の使命であるということをお訴えして、私の質問を終わります。
観光とは、この意味するところでございますが、中国の易経にある、国の光を観るという言葉に由来するというふうに聞いております。
○山谷分科員 観光とは、中国の易経では国の光を見ることということで、観光というのは本当に、その国、その地域に優雅に暮らす人々そのものというものが一番の魅力ではないかというふうに考えているわけでございます。
離職者の再就職の受け皿にも非常に力を持つものでありますし、また、観光というのは、中国の易経では「国の光を観る」と。その地域で生活する人々自身が最高の観光資源ということで、地域社会の再生、また日本再生の大変な切り札になるというふうにも考えておりますが、坂口厚生労働大臣、観光立国政策あるいはこの形の中での雇用面での取り組み策への何かお考えがございましたら、お聞かせいただきたいと思います。
このことこそが、観光の語源、観光は「易経」から来ております。「国の光を観る。王に賓たるによろし」というお経から来ているわけですけれども、まさにこの日本人の徳、中津江村の皆さんの徳こそが、国の光の光るものであるというふうに思っております。つまり、見返りがなくても、感謝されなくても、ただひたすら奉仕する、この徳こそ日本人最大の文化だというふうに思っております。
○西川(太)委員 観光という言葉は、古くは易経にある言葉であります。当時の皇帝が国の威光を周辺地区に知らしめる、そういう意味で起こった言葉であります。しかし、有閑階級の研究家としておなじみのソースタイン・ヴェブレンが、ヴェブレン効果という言葉が観光学の中にはございまして、金と暇のある人間が観光する時代があって、得意になって、おれはあそこへ行ってきたぞ、こういう時代もあったわけであります。
易経に「君子は機を見て立ち、日を終うるをまたず」という言葉がありますが、今がそのときであり、機敏に行動されるときと思います。 以上で私の質問を終わります。(拍手) 〔内閣総理大臣小渕恵三君登壇〕
最後になりましたが、中国の易経に「亢竜悔い有り」という言葉があります。その意味は、上り詰めた竜には、後は下るだけで悔いを残す運命が待っているということであります。
最後に、易経の言葉を引用されながら私自身の進退に対する御意見をいただきました。 自分の与えられた時間内、全力を尽くすのが私の責任と考えており、御忠告をありがたくちょうだいいたします。 なお、残余の質問につきましては、関係大臣から御答弁を申し上げます。(拍手) 〔国務大臣松永光君登壇、拍手〕
これも、私が絶えず指導いただいております明日の内閣の国土・交通担当の二階先生から、江崎君、観光といった意味、特に中国、儒教の古典、易経の中で、「観光」とは「国の光を観る」、この言葉の意味するところは、一国の王たる者は諸国の輝かしい文物を視察して回るべし、あるいは王たる者は自国の威光を発揚し顕示するべしとあり、これらの行為を指して「観光」と称し、また「国の光を観るは王に賓たるによし」、これは一国の風俗
また、明治、大正、昭和につきましては、それぞれ「易経」の中の「聖人南面して天下を聴き、明に嚮ひて治む」という文言、「易経」中の「大いに掌り以て正は天の道なり」という文言、それから「書経」中の「百姓昭明にして萬邦を協和す」という文言の中から引用されたものと承知しております。
もっともこれは、出典は明治も大正も易経からだと言われておりますが、明治は宋に滅ぼされた大理国の年号であるというふうなわけで、森大先生は「不調ベノ至リト存候」、こういう書簡を同僚か何かに送っておりますね。言葉は余り担ぎ回る必要はないと思うのですけれども、やはり正確に使うということは大事だと思うのです。
その中で非常におもしろいと思いましたのは、たとえば明治、大正についての「元号考」の考証によりますと、これらはともに易経を出典にしておるということでございますが、鴎外の調査によれば明治はかつて十世紀の後言の時代に今日の雲南省に当たる地方に建国をされた大理国の年号の中にあったということです。また、大正は越といっても春秋時代のではなくて、十六世紀に明の属国であった越の年号にある。