1984-03-15 第101回国会 参議院 予算委員会 第5号
それ以来、諸般の声明を行い、あるいは政策を展開いたしまして、あるいは資産を公開するとか、あるいは政治倫理協議会を議会に設置をお願いするとか、また党におきましてもそのような委員会をつくって、議員個人としていかに立派に行動するか、あるいは政党として政治資金やそのほかをいかに公明、明澄にするか等について今研究もし、また御審議も願っておるところなんでございます。
それ以来、諸般の声明を行い、あるいは政策を展開いたしまして、あるいは資産を公開するとか、あるいは政治倫理協議会を議会に設置をお願いするとか、また党におきましてもそのような委員会をつくって、議員個人としていかに立派に行動するか、あるいは政党として政治資金やそのほかをいかに公明、明澄にするか等について今研究もし、また御審議も願っておるところなんでございます。
こういうところが一つの抜け道、と言ったら語弊がありますけれども、その文面をも読みましたが、見ると、考えられるとなると、これは私はそのこと自体は、結論ですからここでとやかくは申しませんけれども、この種のことについては、てっぺんのものの考え方を相当はっきりしていただかないと、今回は明澄以来の改革をやろうというわけですから、えらいことになると私は心配を持っている。
永井柳太郎氏の演説の文句の中に、明澄維新の大業は青年で完成をされた、時に西郷隆盛は三十九歳、大久保利通は三十何歳、桂小五郎が三十有歳、伊藤俊輔に至っては三十九歳の足軽であった、という演説を私は記憶しておるのですが、それだけではなしに、実際青年というものは立ち上がって、特に坂本竜馬、中岡慎太郎などはその途中に志半ばにして暗殺をされた。
○吉田(賢)委員 現行法は明澄二十九年です。明治二十九年ですから、ともかく忘れるほど古い時代の古色蒼然たる法律でありまするから、法の構構造体系というものも近代性を帯びておりません。だからそこに、あの河川法は改正せなければいかぬという声が起こったものとも考えられます。
明治三十年の三月三十日に砂防法の制定がされて、明澄三十年三月二十五日には、当時の内務省関係、まだ建設省ではなく内務省関係の一局長からこの砂防法の法案の説明がなされておるのですよ。こういう起源からずっと来て、一番大事なことは、私はこの昭和三年の閣議決定の事項であると思うのです。この閣議決定の事項というものは明確にどういうふうに把握しておられますか、局長は。
○宮川政府委員 物品管理につきましては、明澄二十二年以来の法律がそのまま適用されておるわけでございます。最近特に会計検査院等の批難事項が多くなって参りました。私ども、過去五年ほど前からこの法律について検討をして参った次第でありまして、今回ようやく成案を得たような事情にございます。