2004-03-17 第159回国会 参議院 憲法調査会 第4号
ちょうど明治維新に、日本が西洋文明と接したときに、日本にしっかりしたものがないといかぬというので、天皇の、明治体制、明治憲法、明治天皇体制が作られたような意味で、何か、日本もどうしてもしっかりした議論は作らざるを得ないというような面もちょっと私なりに感じたわけですけれども。
ちょうど明治維新に、日本が西洋文明と接したときに、日本にしっかりしたものがないといかぬというので、天皇の、明治体制、明治憲法、明治天皇体制が作られたような意味で、何か、日本もどうしてもしっかりした議論は作らざるを得ないというような面もちょっと私なりに感じたわけですけれども。
明治維新から明治体制が固まるまで三十年近くを要しております。戦後、いわゆる五五年体制ができるまで十年掛かっております。その五五年体制が崩壊して今年でちょうど十年になります。 私は、この辺りで新しいこの国の方向というものをしっかりと定めるべきときであろうというふうに考えておりますが、その際には、目先の利益などにとらわれることなく、広い視野に立って長期的な展望を切り開くべきだと思います。
だから、あなたが簡単に戦後の憲法の趣旨に沿い、そういう中で伝統と言っても、つまり明治体制の中でつくられた諸制度ですから、それに沿ってというふうに簡単に言えない性質のものがここにはあるわけですよ。 実際に今度の大喪の礼にしても、神道に基づいて皇室喪儀令で行われていた葬場殿の儀というのは、あなた方が大喪の礼と言っている部分を含めて全部が皇室喪儀令には葬場殿の儀として入っているわけですね。
つまり、世の中というのは現在非常に変わっておりまして、ここにも書いてございますように、明治の市制、町村制施行の前に山県有朋が行いました大合併、あれによって我が国の明治体制ができたわけですし、それから戦後の義務教育等の市町村移譲に伴いまして、市町村の体質を強化しなきゃならないということで昭和二十八年の町村合併促進法ができました。あのときと同じような事態が目の前に迫っておるんじゃないだろうかと。