1978-05-09 第84回国会 参議院 文教委員会 第10号
最後に、放送大学ができますと、放送大学卒業生、それから東京大学卒業、それから早稲田大学卒業、それから明星大学卒業と、こういう資格を持った卒業生が生まれるわけですが、これも今後のいろんな検討、研究の結果ということになるわけですが、現時点で予想される質といいますか、卒業生の実力といいますか、どういうふうにお考えになっているでしょうか〇一番望ましい大学教育、その私大の卒業、それから国立大学、それから通信制度
最後に、放送大学ができますと、放送大学卒業生、それから東京大学卒業、それから早稲田大学卒業、それから明星大学卒業と、こういう資格を持った卒業生が生まれるわけですが、これも今後のいろんな検討、研究の結果ということになるわけですが、現時点で予想される質といいますか、卒業生の実力といいますか、どういうふうにお考えになっているでしょうか〇一番望ましい大学教育、その私大の卒業、それから国立大学、それから通信制度
昭和十年早稲田大学卒業と同時に、日本放送協会に入られた先生は、もっぱら報道関係に携わってこられましたが、この間、再度の応召により中国大陸各地を転戦され、戦争の悲惨さ、苦しさを身をもって体験されました。
したがいまして、私どもとしましては、先ほどもお話がありましたように、早稲田大学卒業の国会議員も各党にたくさんいらっしゃいまして、この稲門会の方々が事態の収拾について心配をしていただいておりますので、この方々の努力によって解決することを希望して今日に至ったわけでございます。
昭和六年早稲田大学卒業後、アメリカのオレゴン大学、コロンビア大学の大学院を卒業し、ベルリン大学修業となっており、近代的な教養のある紳士であることに相なっております。職業は著述業となっておりまするので、こういう高い学歴を有し、教養の深い人物であれば必ず著作物があるに違いないと考えて、昭和三十六年度著作権台帳を調べてみたのでありますが、台帳には記載してないのであります。
明治四十二年早稲田大学卒業後、君は文筆をもって世に立とうとし、大阪朝日に入社し、その記者となられました。そのすぐれた識見と深い学識とは広く世人の認むるところとなり、大正十二年には地方新聞の雄として名声を博していた信濃毎日に抜擢せられ、直ちに主筆兼取締役の重職につかれました。その後数年間、君はますます研さんを重ねて健筆をふるい、世論の指導と啓発に大きな功績を残されたのであります。
島田君は、早稲田大学卒業後、同大学の講師を経て教授に就任、引き続き現在に至っているものでありまして、その間、同大学総長、日本学術会議会員、日本ユネスコ国内委員会委員等となり、現に帝都高速度交通営団管理委員会委員及び鉄道建設審議会、都市交通審議会等の各委員の職にもあるものであります。