1952-02-13 第13回国会 衆議院 法務委員会 第12号
飛びますし、松阪の市民が一応何といいますか、戰時中の空襲下の市民のように疎開をする者があるというような、人心が不安を抱きまして、混乱の状態に見えましたので、国警の方へ応援をお願いいたしまして、応援をもらつて、そうしまして、犯罪の捜査、それから市内の治安の維持、警備というものにあたりました結果、十二月二十四日になりまして、第二小学校の火災犯人といたしまして、三重県飯南郡櫛田村大字櫛田三百九十六番地の早川昭
飛びますし、松阪の市民が一応何といいますか、戰時中の空襲下の市民のように疎開をする者があるというような、人心が不安を抱きまして、混乱の状態に見えましたので、国警の方へ応援をお願いいたしまして、応援をもらつて、そうしまして、犯罪の捜査、それから市内の治安の維持、警備というものにあたりました結果、十二月二十四日になりまして、第二小学校の火災犯人といたしまして、三重県飯南郡櫛田村大字櫛田三百九十六番地の早川昭
さらに子原一夫君に対しましては、第二次の出火事件容疑者と認められた、北高校退学学生早川昭は、逮捕された後あるいは放火を自白し、あるいは放火を否認しているというが、これはどういう状況であつたか、その経緯を話されたいのであります。何ゆえこのように自白したり否認したりするかという経過を概括的にお願いいたしたいのであります。