2003-05-16 第156回国会 衆議院 文部科学委員会 第13号
戦後は、大学だけではなく、実務家養成を担っていた旧制専門学校等も統合して、昭和二十四年に全国七十校の新制国立大学が発足いたしました。そして、私立大学も拡充いたします中で、国公私立の大学が、それぞれの設置形態のもとで役割を分担しながら、教育研究水準の向上と、それから全体としての多様かつ特色ある発展を遂げてきたところでございます。
戦後は、大学だけではなく、実務家養成を担っていた旧制専門学校等も統合して、昭和二十四年に全国七十校の新制国立大学が発足いたしました。そして、私立大学も拡充いたします中で、国公私立の大学が、それぞれの設置形態のもとで役割を分担しながら、教育研究水準の向上と、それから全体としての多様かつ特色ある発展を遂げてきたところでございます。
私は実は、全くの素人ではございますけれども、曲がりなりに造航機械工学を出ておるものですから、旧制専門学校で、それでいろいろなことを聞いたわけです。 それはそれとして、私が向こうへ参りましたのは、とにかく日にちもありませんでした。向こうに滞在三日間、しかもたくさんの人に会うということは、もう夜もほとんど寝ておりません。
私が旧制専門学校一年で学校を中退して、後に大学、夜学に入りましたけれども、十九歳で進駐軍に初めてタイピストとして若い女性のタイピストたちと肩を並べて仕事をいたしました。そこで英語を一生懸命勉強して使うと登用してくれたわけです。間もなく曲がりなりにも通訳になりまして、そこから先は英語力が高まりますと、語学手当または語学加俸という制度がありましてどんどんお給料をふやしてくれるんです。
それから専門学校あるいはいろんな旧制専門学校、新しい短期大学というようなものを卒業して四年たった人、あるいは研究職を五年やった人。こういう背景の中で専門分野での研究で専門誌に論文が掲載された者。こういうふうな一つの、それと似通ったような仕組みにつくられております。
○宮地政府委員 もちろん戦後の学制改革で新制大学が発足を見たわけでございますが、先生十分御案内のとおりかと思いますが、旧制高等学校、旧制専門学校等は、その新制大学発足の際にいわゆる一県一大学というような原則によりまして、現在の国立大学のそれぞれの部局でございますとか、あるいは単科大学に発展的に再編成されたという経緯がございます。
旧制専門学校もそうなんだ。そして、その旧制高等学校の教育を主とする高等教育を受けて、満二十歳、二十一歳ごろに学部に入って、そこのところにおいては、いまことばを使っているような、厚生補導というような、子供を補導するようなことばのイメージでなくて、教育と研究一体化で自動的に学問が進み、研究が進んでいくという、実にとうとい日本の伝統、大学というものができたはずである。
教育を主とした旧制専門学校も入れた。 〔委員長退席、塩崎委員長代理着席〕 そこで教育と研究の一体化を前提とした大学の中に混乱をして、その混乱をどう解決するかというときに筑波大学みたいな混乱をした、教育と研究を分化した、いわゆる大学の機能というものがどこかへ行ってしまうような間違った構想か出ているのではないか。
ただし、こういうふうにどんどん民間の俸給生活者と年齢構成が変わってくると——具体的に申し上げれば、たとえば旧制中学、旧制専門学校を卒業して、もう三十年以上もつとめているという、これは民間企業の場合非常に少ないと思うんですね、民間企業は戦後また新しく発足したところもあるし、新しく人員を拡大しておりますから。公務員の場合は、そういう層が非常に厚いわけなんですね。
ただいま御指摘がありましたように、日本の蚕糸業も、われわれといたしましては今後ともさらに強力に発展さしていきたいということからいたしますと、やはり現行水準程度の蚕糸関係の、いわゆる旧制専門学校以上の卒業生の技術者は確保してまいりたいと、こういうふうに考えておりまして、横山会長がかつて答申されましたときにも、大体そういうお考え方で蚕糸当局とも相談があったんではなかろうかと思いますが、われわれといたしましては
六・三制の発足当時においては、そのときの記録を見ても、新制高等学校というのは単なる中等学校でなくて、旧制高等学校、旧制専門学校の前半ぐらいを含んだ、新しい後期中等教育と前期高等教育の半分ずつぐらいを兼ねたような発想で発足したと思うのです。ところが、いわゆる中等教育のままに低く現在定着しつつあるので、どこかそこに矛盾がある。
それから、逆に高等教育というのは、大学と一段階にしたのだが、前期高等教育と後期高等教育に分けて、後期高等教育は教育研究をかねたほんとうの大学、前期高等教育はいわゆる高次の専門教育という、むしろ学校が二つあればいまのような大学ならざる大学、そうしていろいろの内容が、旧制高等学校、旧制専門学校と同じようなものも一緒になってしまって、あらゆるものが混乱をしていると思うのですが、高等教育というものは一段階にしなければならぬ
戦前において旧制高等学校、旧制専門学校というものは前期高等教育なんだ。逆に、現在の六三制のほうは、中学教育を二つに分ける必要がないのに、前期中等教育と称して中学校、後期中等教育といって高等学校という名前をつけて、戦後マスコミその他から非常に人間の成熟が早いのに中等教育に押えつけて、そしてどちらも前期、後期の中等教育にしてしまった。全体を整理をしなければ安定した制度はできないのだ。
○山中(吾)委員 大学の理念の変化の問題は大臣そのとおりであり、もう少し中身を深めたいと思いますが、その前に、私いま申し上げたのは、戦後の大学制度そのものに文部行政といえどもメスを入れなければならぬ重要な紛争の原因があるのではないか、こう思うので申し上げるのですが、戦前の大学は旧制帝国大学、旧制専門学校、旧制高等学校、旧制高等師範学校、旧制府県師範学校、旧制青年師範学校、全部みそもくそも一つにして単一
現在の大学で一番問題になっておるのは、戦前のいろいろの高等教育の中で、旧制帝大から旧制専門学校、それから旧制高等学校、府県の師範学校まで入れて圧縮して単純な大学ができた。みそもくそも一緒にできた。その中に、高等学校が大学の教育内容に入ってしまった。
一説によりますと、農業あるいは水産、電波に関する工業高専をつくるような動きもあるように思っておりまするけれども、もしそういたしますると、一部に、これは旧制専門学校制度の全面的な復活だというような非難をする方もあるわけでありますが、それに対してのお考えをお聞きしたいと思います。
○政府委員(熊崎正夫君) 実は、厚生省の薬務局には、薬剤師の身分を持った薬剤技官といわれる方が実務を担当いたしておりまして、この方々は大学なり専門学校——旧制専門学校を出られた薬剤師の身分を持っておられる方々でございまして、やめた場合に、結局働く場所といいますのは、薬局を開局するなり、あるいは製薬会社で自分の技術を生かして仕事をやるか、この二つしかほかに道がないわけでございます。
これも、いろいろ公認会計士法等の例によりますと、旧制大学の学部に学生として在学した者でありますとか、あるいは文部大臣が旧制高等学校あるいは旧制大学予科と同等以上と指定した学校を卒業した者でありますとか、あるいは旧制専門学校卒業程度の検定試験に合格した者であるというような者が考えられるのではないかと思います。 次に、第一条第一項におきまして、受験手数料の納入方法が定めてございます。
専科大学の法律案に賛成をされたときに、いわゆる工業高校の卒業出と工業大学の卒業生の中間がいないのだ、その中間に位する技術者がいないのだから、そういうようなものがどうしても必要だ、経営の上からこの学校教育というものを考えたときには、当然ピラミッド型のものがなければならないし、ピラミッド型の方が人事管理がしやすいのだ、こういうようなことで、いわゆる専科大学を設けて五年間みっちりその道を学ぶということが旧制専門学校以上
そういうような問題があるやさきに、単科大学みたいなものをぽこんぽこんと作って、旧制専門学校みたいな形にさせてしまうことは、はたして、一体日本の大学教育という点からいっても、あるいは学術文化の向上という点からいっても、最良の方法とは考えられないじゃないかという点を問題にしているわけです。
それからまた旧制専門学校と違いますことは、現在の六・三・三・四制の中におきまして、六・三・三の高等学校を卒業して入る学校制度であるという意味では、大学と専科大学と同じわけでございます。旧制におきましてはそうじやなかったわけであります。
いろいろそれについて研究の結果あるのでございますけれども、これは少し申しにくいことでありますけれども、今各大学の現状から見ますると、旧制専門学校、高等学校の先生をそのまま大学に移したかたが非常に多いのでございます。従つて例えばカリキュラムにおいて必要とする哲学の教員が一人のところ、哲学の教員が四人も定員を食つておられる。こういう状況は人事の問題上から当分やむを得ない問題です。