2005-03-02 第162回国会 参議院 憲法調査会 第4号
今年は自民党結党五十周年のみならず、日露戦争勝利、ポーツマス条約締結から百周年に当たります。あの苦しい戦争が最後は講和条約にこぎ着けたのは、テオドア・ルーズベルト大統領と金子堅太郎の人的つながりがあったことが大きかったと言われています。
今年は自民党結党五十周年のみならず、日露戦争勝利、ポーツマス条約締結から百周年に当たります。あの苦しい戦争が最後は講和条約にこぎ着けたのは、テオドア・ルーズベルト大統領と金子堅太郎の人的つながりがあったことが大きかったと言われています。
しかし、その後、一九〇五年の日露戦争勝利から四十年で、我が国は太平洋戦争でまさに敗戦の憂き目に遭ったわけであります。何が間違っていたのか。 総理はしきりに司馬遼太郎さんの本を取り上げられて、元気が出るということを言われています。司馬遼太郎さんは、確かに「坂の上の雲」という、まさに明治の生き生きとしたその人物像を書かれています。
こういうことでございまして、黒船到来以来好意的であった米国の対日世論は、日露戦争勝利を契機といたしまして悪化の道をたどって、朝河博士が危惧したとおりの結果となって日米戦争に突入した、こういう経過をたどったわけであります。 第二次大戦後今日まで、多少のことはあったかもしれませんけれども、基本的には日米友好関係を維持してきたわけであります。