1977-03-16 第80回国会 衆議院 予算委員会 第23号
○橋本(利)政府委員 被災者は、日電工業の萩原さんという三十八歳の方でございまして、労働基準局と警察の現場検証はすでに済んでおると聞いております。
○橋本(利)政府委員 被災者は、日電工業の萩原さんという三十八歳の方でございまして、労働基準局と警察の現場検証はすでに済んでおると聞いております。
日電工業、住吉鉄工所、福泉産業、山陽特殊製鋼、関西工機、かような会社でございます。そのうち福泉産業、山陽特殊製鋼については支払われておりますが、山陽特殊製鋼は若干残っておる。これは十四万円ばかり残っておるわけであります。これは取りに来ない人の分で、わずかなものであるというふうに聞いております。
日電工業というのがございます。これもいま特設ポスト入りをいたしております。これは三十九年の十月二十六日に会社更生法の申請をいたしました。そして当日、千二百万円の不渡り手形が出ました。この不渡り手形の中で一番大きいのが日電ランコ——これは日電工業も川端さんというのが社長でございますが、その同じ社長の日電ランコに対して、二百八十万円の一番大きい不渡りというのを自分の子会社に出しておるわけなんですね。
その後、昭和二十七年七月日本電信電話公社総裁に任ぜられるまでの間は、株式会社住友本社、日本電気株式会社、東北金属工業株式会社、日電工業株式会社、松下電器産業株式会社、日本放送協会、沖電気株式会社等の役員を歴任し、あるいは東海大学学長として活躍いたしました。昭和三十三年九月、日本電信電話公社総裁を辞任し、現在に至っております。
日本水素工業の株を、やはりもと日電工業の持つておつた分が、われわれの委員会に来ていると思いますが、株主権の関係があつた。何かそんな関係だと思います。