1952-06-18 第13回国会 参議院 水産委員会 第44号
○参考人(藤田巖君) いろいろ審議の過程はあるのでありますが、日本側としては、あちらに提案いたしましたのは西経百七十度、アメリカ側から当初参りましたのは、例の日附変更線の百八十度の線、殊にベーリング海の沖合も、アラスカ半島、アリューシャン列島を全部包含したところの線であつたのです。それがいろいろ折衝の結果、暫定線として取りあえず西経百七十五度がきまつた、こういうことであります。
○参考人(藤田巖君) いろいろ審議の過程はあるのでありますが、日本側としては、あちらに提案いたしましたのは西経百七十度、アメリカ側から当初参りましたのは、例の日附変更線の百八十度の線、殊にベーリング海の沖合も、アラスカ半島、アリューシャン列島を全部包含したところの線であつたのです。それがいろいろ折衝の結果、暫定線として取りあえず西経百七十五度がきまつた、こういうことであります。
これに対しましてアメリカ側は初めから日附変更線を主張したわけであります。従つてずつと地図で書きますと、北のほうに延びた、つまり食い込んで来た、百八十度まで食い込んで来た線になつたわけでありますが、この調整が百七十五度という形になつて出て来たわけであります。