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38件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1997-04-15 第140回国会 参議院 日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会 第4号

引き続きまして、昭和四十九年の第十五回日米安保協におきまして、昭和六十二年五月三十一日に約百六十七ヘクタールがそれぞれ返還されておるところでございます。それで、それぞれの返還面積は合計で百八十九・五ヘクタールでございます。  民有地等についてはちょっと手元に資料がございません。返還の総面積でございます。

諸冨増夫

1995-12-06 第134回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

那覇軍港移設なんというのは皆さんいつ決めたんだ、日米安保協で。今施設庁長官が言うには、事案の取り扱いについて年内に結論を出す、それはまさにぺーパーワークじゃないですか。それほどこの基地問題というのは難しいのですよ、正直言って。  三事案についても、那覇移設先ほどうなるの。読谷のパラドロだって、本当にキャンプ・ハンセン内に移設できるのですか。

上原康助

1992-03-11 第123回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

そこで具体的にお尋ねしますが、いろいろ努力をしているとおっしゃるわけですが、例えば沖縄の場合ですと、日米安保協で、何回も私は言うのですが、これは政府約束不履行だから言わざるを得ない、復帰直後の十四回、十五回、十六回の安保協合意したものさえまだ四五%にも足りない。半分以下ですよ。

上原康助

1992-03-03 第123回国会 衆議院 本会議 第7号

復帰後、日米両国政府が鳴り物入りで基地整理縮小を進めるかのごとく、第十四、十五、十六回の日米安保協返還合意されたものさえ、その四五%程度しか返還されていないという約束違反が今も続いておるのです。  総理、この二十年間で整理縮小された米軍基地は、復帰時のわずか一三%弱でしかなく、今なお二方五千ヘクタール余の軍事基地を抱え込んでいる実情にあります。

上原康助

1990-06-20 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

それとは関係なく、沖縄県民の気持ちとしては、これだけの広大な基地が四十五年前の占領当時の状態で今必要か、そういう意味からも返還を叫び続けてきたわけでございますが、第十五回、第十六回日米安保協の中で返還合意しておきながら今までたなざらしにされておったわけでございますけれども、これがようやく合意を見て、きのう発表されて、十七施設、二十三件の施設返還されるようになったわけでございます。

仲村正治

1990-06-20 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

昨日発表になりました日米合同委員会合意というところまで到達いたしますについて、大変古くからこれはもう案件となっておりました、日米安保協で議題に上げておりました施設地域だけではなくて、西銘知事要望をされました施設区域軍転協返還要望した施設区域、一〇〇%ではありませんけれども、これらの要望も配慮をしていただきながら、昨日の結果を出していただいたこと、私は関係者開発庁長官としては謝意を申

砂田重民

1990-06-13 第118回国会 衆議院 外務委員会 第9号

そこで、もう一点、ちょっと前後するのですが、私は四月二十六日でしたか、予算の分科会でいわゆる日米安保協のことについて見解をただしました。といいますのは、さっき基地返還問題等でもお尋ねしましたように、従来安保協議会日米間の重要事項については協議しておったのですね。しかし、御承知のように八二年の一月以降、二月ですか、八二年の一月以降日米安保協は開かれていない。

上原康助

1990-05-24 第118回国会 衆議院 決算委員会 第3号

砂田国務大臣 ただいま申し上げました昭和四十八年、四十九年、五十一年、三回にわたります日米安保協協議の中で施設区域の具体的な名前が挙がってきておりまして、沖縄県もこのことはもう把握をしているところでございます。今日の日米合同委員会はこれを受けて具体的な返還協議をしているもの、さように私どもは聞いております。

砂田重民

1990-05-24 第118回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

玉城委員 確かにいろいろな問題点があることは当然考えられますが、今申し上げているのは沖縄返還されて日米安保協で十四、十五、十六で合意されたものですら今もって解決しない、これは一つですね。これは国会決議とか佐藤・ニクソン会談とかそういう方針に基づいて作業を進めてきて、これが一向に解決しない。

玉城栄一

1990-04-26 第118回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

これまでも何回かいろいろな場で日米安保協合意に達した案件についてのことをお尋ねしてまいりましたし、春から夏にかけてとか――もう時期は今春から夏にかけてでしょう。一体全体、これだけ米議会でも問題になり大きな変化が出ようとしている中で、日本政府の態度というものは、明確な方針なり内容というのは一向に明らかにされない。

上原康助

1990-04-26 第118回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

松浦政府委員 具体的な点に関しましては、先ほども申し上げましたように米側話し合い中でございますのでちょっと控えさせていただきますが、先生承知の、私が今触れました日米安保協の十八件の中にも普天間飛行場外周部分の一カ所というのがもともと入っておるわけでございますけれども西銘知事飛行場全体について御要望を出しておられますので、それも踏まえて、米側とほかの施設区域の問題とあわせまして話し合いをしているということと

松浦晃一郎

1990-04-18 第118回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第2号

松浦政府委員 私ども施設区域と申し上げておりますときは、その関連の上空訓練空域が入っているのもございまして、具体的に申し上げますと、今先生が言及されました日米安保協で了承されました計画一つで、これはまだ最終的な実施がされていないものでございますけれども、例えば伊江島補助飛行場がございまして、この飛行場につきましては上空米軍使用空域も含めて今折衝しているところでございます。

松浦晃一郎

1989-11-30 第116回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

今局長さんがおっしゃった十四、十五、十六の日米安保協で、代替地を前提にした返還、それ以外でも沖縄には基地はありますよ。だから、必ず代替地がなくちゃ返還はしないという、外務省はそうお考えなんですか。しかし、現地の司令官は、代替地がなくても一部は返還を検討していると言っている。話が全然、これは日米間で今後話し合わなければいけませんのに、外務省はどうお考えなんですかね。

玉城栄一

1989-05-24 第114回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

しかも、施設庁も防衛庁も運輸省も考えていただきたいことは、あなた方が取り決めた第十六回日米安保協で、これは七六年七月八日ですが、伊江島飛行場移設条件つきながら全面返還合意されているところなんですよ。返還努力はやらぬで、そういう新たな軍事基地としての使用というのは断じて許せない、これを強く指摘しておきたいと思うのです。

上原康助

1988-05-17 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

まず、せんだっての四月十五日の外務委員会で、私は、日米安保協、昭和四十八年それから四十九年、五十一年でしたか、十四、十五、十六回の安保協合意を見た沖縄基地整理縮小が遅々として進んでいない、これを全般的に取り上げて、条件つき返還をするということが十年たってもできない今日においては、もう一遍日米安保協を持つなり再点検をして全般的な基地整理縮小というものを検討すべきであろう、してもらいたいということを

上原康助

1988-05-13 第112回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第6号

私がせんだって指摘をした十四回、十五回、十六回の日米安保協返還計画が今日の時点においてもなぜ具体的に進んでいないのか。これは安保協最高責任者は、日本政府は恐らく外務大臣でしょう、それは違いますか。施設庁長官じゃないですよね、安保協はたしか。  外務大臣なんだよ。

上原康助

1988-04-15 第112回国会 衆議院 外務委員会 第7号

三点目が、今私が言った、日米安保協合意された移設条件つき返還の見直し。これはもう何も私の主張じゃないのですよ、大臣。みんなそう言っている、返還条件を見直せと。在沖米海兵隊駐留部隊規模縮小等々を重点に要請をするという報道があるわけですが、この点については、政府とも何か御相談があったのか。あるいはまた、今指摘をしたことについては、政府はどうお考えか、御見解を聞かせておいていただきたいと思います。

上原康助

1988-04-15 第112回国会 衆議院 外務委員会 第7号

上原委員 ですから、努力をする具体的な行動として日米安保協を開いて、なぜ那覇軍港は今まで返らなかった、じゃ移設先はあるのかどうか。取り決めをして、返す返すと言って、いつまでたってもそのまま未来永劫できなければどうするんだ。そんな無責任な取り決めはやめなさいよ。  私は、そういった答えはあってはいかぬと思いますよ。

上原康助

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