1997-04-09 第140回国会 衆議院 日米安全保障条約の実施に伴う土地使用等に関する特別委員会 第4号
三十年代の後半からは、ようやく機が熟したというので積極的な返還運動に取り組みまして、今は亡き大浜先生と御一緒に、ワシントンに毎年、時には数回足を運んで、最後には、政府間の交渉もさることながら、それぞれの政府の政策形成に影響力を持つ専門家グループが会同をして、本音を分け合ってみようというので、昭和四十四年の春、日米京都会議という返還史上に名を残した会議を開きました。
三十年代の後半からは、ようやく機が熟したというので積極的な返還運動に取り組みまして、今は亡き大浜先生と御一緒に、ワシントンに毎年、時には数回足を運んで、最後には、政府間の交渉もさることながら、それぞれの政府の政策形成に影響力を持つ専門家グループが会同をして、本音を分け合ってみようというので、昭和四十四年の春、日米京都会議という返還史上に名を残した会議を開きました。
○担当委員外委員(竹田現照君) いまの野上さんの基地のお話ですが、これはおとといの「毎日」では一面トップで、基本構想の意思統一が関係筋で大体なされた、「この基本方向は川島副総裁を中心とする自民党内の意見調整、駐米大使館などを通ずる対米公式接触、米政界、民間人との非公式接触、日米京都会議と沖繩基地問題研究会の報告書、国民世論などを慎重に考慮して、政府首脳間で意思統一したものである」と、こう出ているわけですね
で、日米京都会議も御承知のような筋書きでありまして、また、総理の肝いりでいま諮問機関のようなかっこうになっております沖繩問題等懇談会、ここにおいても本土並みというふうなことが大体主流的な意見になっていると、また、その一環としての沖繩基地問題研究会、ここでもまた、そのメンバーが何か京都会議にずうっと出ておりますけれども、本土並み返還、こういうふうな考え方に固まってきつつあるようでございますが、総理はそういう
○矢追秀彦君 先日、日米京都会議に出席をされた方からお伺いしたのですが、アメリカ側の気にしておる一つに、基地、要するに反米運動といいますか、基地撤去闘争といいますか、そういうものを非常におそれている、このように伺いましたが、おそらく総理が訪米されても、こういった基地に対する日本の国民の反感といいますか、そういうものもかなり問題になるのではないか、このように思いますが、総理はこの基地周辺の人たちの意思
アメリカにおけるサンタバーバラ、あるいは日米京都会議、あるいは日米議員懇談会等が行なわれまして、アメリカ側の考え方というものも、これはいろいろな考えがありますけれども——かなりあります。そういうアメリカ側の考え方を、総理はどのように分析をされておるかお伺いしたいと思います。
〔中野(四)委員長代理退席、塚原委員長代理着席〕 さらに、私は、去る一月二十八日から三十一日まで京都で開催されました日米京都会議にも沖繩代表として出席させていただきました。さらに、この二月十一日に東京で持たれました第二回日米議員懇談会にも出席して、率直に沖繩の実情と沖繩県民の心を訴えてまいりました。
そこで、私は、これを進んでお伺いをしたいと思うのでありまするが、この間、京都で日米京都会議が持たれました。そこで久住忠男氏のレポートは、これは日本の国民感情を尊重して本土並み返還論というのではなくして、核戦略のあらゆる角度から検討しても、そうして米国並びに日本の新しいアジア外交の展開という角度から見ても、本土並み返還が最も賢明であるという、こういう結論を出しておること、御承知であられますか。
この間は京都において日米京都会議が持たれて、そこでも一個の結論が出されておる。このようなときに、なお一国の宰相が、沖繩百万の悲願として復帰を願望、訴えておるのに、なお心定まらずということはどうしたことでございますか。 のみならず、総理は去る三十日の本会議答弁で次のごとくに述べられておるのでございます。
今月二十八日からきのうまで、沖繩問題に関する日米京都会議が開かれました。ニクソン大統領のブレーンもホワイトハウスから出席されたようで、日米双方がお互いの感触を知るためにはなかなか重要な会議でありました。報道によりますと、沖繩基地問題研究会の久住座長は、自衛隊の沖繩防衛分担構想を次のように報告をしております。