1958-01-31 第28回国会 衆議院 本会議 第6号
○佐竹晴記君 本院議員従三位勲二等宇田耕一君は、去る十二月三十日、病のため逝去されました。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。 私は、宇田君とは同じ高知市で、住居もごく近所であり、政治的立場こそ異にしていましても、平素何かと御懇意に願っておりました。
○佐竹晴記君 本院議員従三位勲二等宇田耕一君は、去る十二月三十日、病のため逝去されました。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。 私は、宇田君とは同じ高知市で、住居もごく近所であり、政治的立場こそ異にしていましても、平素何かと御懇意に願っておりました。
○松井政吉君 ただいま議長の御報告の通り、本院議員正四位勲二等鈴木直人君は、去る九月二十日、病のため逝去いたされました。まことに痛恨の至りにたえません。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手) 鈴木君は、明治三十三年五月福島県相馬市の名家に生まれ、幼少のころより俊秀の誉れ高く、相馬中学、水戸高等学校を経て東京大学法学部に学ばれました。
本委員会の委員でありました大麻唯男君は、昨二十日病のため逝去されました。まことに痛惜にたえません。ここにつつしんで哀悼の意を表したいと存じます。
○淡谷悠藏君 ただいま議長から御報告のありました通り、本院議員正四位勲二等小笠原八十美君は、旧臘二十七日、病のため逝去いたされました。私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表して、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。 小笠原君は、明治二十一年六月、畜産業をもって有名な青森県十和田市に生まれました。
(拍手) 川島君は、二十六日、病のため逝去されました。私は、この際、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手) 川島君は、明治三十六年埼玉県大宮町に生まれ、大正七年機関車乗務員として国鉄大宮機関区に奉職し、同九年に上野機関区に移られましたが、勉学の志厚く、苦学力行、中央大学に学び、大正十四年同校経済学科を御卒業になりました。
○原彪君 衆議院議員正三位勲一等安藤正純君は、去る十月十四日病をもって死去いたされました。ここに深く君の死をいたみ、諸君を代表して追悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手) 君は、明治九年、東京浅草の松葉町に生まれ、浅草に育たれました。長じて東洋大学を卒業し、さらに早稲田大学を卒業、また外国語学校にも学ばれたのであります。
○阿左美廣治君 ただいま議長より御報告のありました通り、衆議院議員杉村沖治郎君は、去る十月十七日病のため逝去いたされました。まことに哀悼の情にたえません。私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。
(拍手) 細野さんは、去る二十五日、病のため逝去されました。私は、この際、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。 細野さんは、愛知県の御出身で、明治三十年に生まれ、大正六年第八高等学校から東京大学法学部に進まれたのでありますが、その翌大正七年、わが国社会運動史上に大きな事績を残した新入会が東大学生を中心に結成されたのであります。
○小笠原三九郎君 ただいま議長から御報告になりました通り、本院議員永田安太郎君は去る十三日病をもって逝去いたされました。まことに哀惜の情にたえません。私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。
(拍手) 同僚河原田稼吉君は、一昨二十二日、病をもつてにわかに逝去されました。まことに哀悼の至りにたえません。私は、ここに、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表して、つつしんで敬弔の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手) 君は明治十九年一月の生れでありますので、行年六十八才、その天寿においては決して恵まれて余りありとは申しかねるのであります。
御承知の通り本委員会の委員でありました松本六太郎君は、去る二月八日病のため不幸にも逝去されました。まことに悲しみにたえません。同君は去る第十回国会以来数回に及び本経済安定委員会の委員であられ、昨年九月には米国、サンフランシスコにおきまして開催されました対日平和会議に、講和全権代理として大いに活躍されましたことは、諸君も御承知の通りであります。
○鈴木義男君 本院議員大和義榮君は、去る八月二十七日、病を得て逝去されました。まことに痛惜の至りにたえません。この際私に諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の言葉を述べたいと存じます。 大和田君は福島県の御出身でありまして、県立蚕業学校を卒業の後、県下各養蚕組合の指導員に招かれ、養蚕技術の指導啓発に熱心な努力を続けられたのであります。
○小野委員長 日病第二二、生活協同組合法案反對の請願外二件、佐々木盛雄君紹介、第七三四號。日程第三一、生活協同組合法制定の請願、野溝勝郡紹介、第九一八號。日程第四九、生活協同組合法案反對の請願、庄司一郎君紹介、第一一五九號。日程第六三、生活協同組合法制定の請願外十六件、中原健次君紹介、第一三〇六號。日程第六六、生活協同組合法制定の請願外一件、中原健次君紹介、第一三一三號。