1993-04-19 第126回国会 衆議院 決算委員会 第7号
庄司社長は、自民党総裁選挙を控えていた一九八七年秋、竹下登元首相、当時自民党幹事長に対する右翼団体日本皇民党からのほめ殺し攻撃について、渡邊元社長から中止要請を受け、石井前会長が解決に動いた結果、攻撃が中止された状況について証言した、こういうふうに聞いておりますが、この証言のとおりでありましょうか、お伺いをします。
庄司社長は、自民党総裁選挙を控えていた一九八七年秋、竹下登元首相、当時自民党幹事長に対する右翼団体日本皇民党からのほめ殺し攻撃について、渡邊元社長から中止要請を受け、石井前会長が解決に動いた結果、攻撃が中止された状況について証言した、こういうふうに聞いておりますが、この証言のとおりでありましょうか、お伺いをします。
当時東京佐川急便の社長だった渡邊元社長から庄司社長のもとに電話があり、実は竹下さんのことで右翼がいろいろしている、特に四国の日本皇民党のほめ殺しの街頭宣伝で困っている、何とか中止してもらえないかと石井会長に頼んでほしいと言ってきたと証言しておるのでありますが、この証言についても間違いはないでしょうか。
次に、日本皇民党問題についてお尋ねいたします。 平成四年十一月二十六日の本予算委員会における竹下証人の証言によれば、昭和六十二年十月五日、東京プリンスホテルの一室で渡邉元東京佐川急便社長に会った際に、金丸前議員とともに、あなたが同席されていたとのことであります。
昨年の十一月二十六日、本予算委員会において、自民党総裁選挙が行われた昭和六十二年の日本皇民党の街頭宣伝活動につきまして、あなたは「皇民党の街宣活動がなぜ行われたかということにつきましては、私もいまだにその理由はわかりません。これはあるいは私自身は永遠に突きとめることのできない問題ではなかろうかと思います。このように証言をされております。
○小杉委員 最近特に金屏風の問題がマスコミ等を通じて報道されておりますが、竹下さんと旧平和相互銀行にかかわる金屏風事件との関連、これが日本皇民党の街頭宣伝を竹下さんが気にかけていた理由の一つとするような向きもありますが、この疑惑にどうお答えになりますか。
報道によれば、報道ということを前提に私は聞きますが、豊田一夫氏と日本皇民党の亡くなりました稲本総裁は親交があったということでありま すけれども、警察ではこの関係をいかに把握をしておりますか。 また、実は大元良一という人物がいます。これは豊田さんと非常に親交のある方で、おやじ、おやじとこの豊田一夫さんに言うわけであります。
豊田一夫という人物は、本部を東京に置く日本青年連盟という団体の前会長でありますので、その立場上、右翼運動を行う人々と一定の交流があったものとは考えられますが、故稲本日本皇民党総裁との関係につきましては、巷間いろいろ報道されていることは承知しており、それぞれしかるべき取材に基づいて行われているものと思いますけれども、警察といたしましては、両者の関係についての具体的事実は確認はいたしておりません。
これはもう委員も御案内のとおり、当時の稲本日本皇民党総裁を初めとする日本皇民党側が、だれがその解決を申し入れてもこれを拒否するという強い意向あるいは言動を行っていたことなどを立証することによりまして渡邉元社長の供述を裏づけるとともに、その特別背任罪の動機を明らかにすることを目的として証拠調べ請求されたものでございます。
先日の衆議院の調査に対して、証人は、日本皇民党の稲本総裁に会ったことがあると証言しておられますが、今まで何回お会いになったのか、会うことになっだきっかけは何であった向か、お話しいただきたいと思います。 また、稲本総裁をあなたに紹介した人がいたのかどうかについてもお伺いをいたします。
○喬員長(遠藤要君) あなたは、日本皇民党や石井進稲川会前会長と政治家との間を仲介し、いわゆる褒め殺しの街頭宣伝活動をとめるように働きかけましたか。 そして、竹下衆議院議員がなぜ褒め殺しの妨害を受けたのか御承知ですか。御承知でしたらその理由を証言してください。これは裁判には関係ないと思いますので。
一方、東京佐川急便と日本皇民党との関係につきましては、具体的事実を確認しておりませんので、お答えを差し控えさせていただきたいと思います。
実は私、ここに持参いたしましたこれは、金沢地方裁判所における昭和六十三年四月における日本皇民党稲本総裁に対する証人尋問調書の写してあります。もう一つは、同じく昭和六十三年九月二十日、相沢猛こと李孟の被告人供述調書、その写してあります。詳細は紹介できないので、抜粋を資料としてお配りいたしたいと思います。 委員長、お取り計らいお願いいたします。
○有働正治君 私は、地方行財政のあり方、また政府の基本姿勢とのかかわりで、警察当局と今話題になっております日本皇民党を含む右翼暴力団とのかかわりに限りまして質問いたします。答弁はできるだけ簡潔にお願いしたいと思います。 まず、警察庁長官にお尋ねします。
○服部三男雄君 そのいわゆる大島調書、検事調書の中に、衆参の国会議員七名が、いわゆる日本皇民党による褒め殺し街宣活動の中止工作と受け取れるような内容の朗読があったわけですが、その十一月二日の第三回公判での要旨の告知に当たって、証拠調べを要旨の告知で行うということについて弁護側は同意したんでしょうか。
○政府委員(濱邦久君) 先ほど私、名前の出方が違うというふうに申し上げましたのは、もう少し正確に申し上げますと、今、委員がお尋ねになっておられます本件調書の中で、稲本総裁を初めとする日本皇民党側がだれが要請してきても街宣活動を中止しないという強い態度、意向を示す言動を行っていたという記載に関しまして、その中に金丸前議員、小湖議員、梶山議員、森議員、浜田議員、浦田議員及び魚住議員の七名の名前が挙げられておるわけでございますが
○政府委員(濱邦久君) ちょっとお尋ねに対する答えとしてかみ合っているかどうかわかりませんが、もしかみ合っていなければ御指摘いただきたいと思うわけでございますが、先ほど申しましたように、大島のこの調書はそこに記載された特定の政治家あるいはその代理人が関与したという事実を立証しようとするものではないわけでございまして、当時の稲本日本皇民党総裁が街宣活動を中止しないという強い意向を示す言動を行っていたことなどの
昭和六十二年の自民党総裁選挙に出馬した際、右翼団体の日本皇民党がいわゆる褒め殺しの街頭宣伝活動を行ったことについて、皇民党のそのような活動に対し、当時、あなたはどのような心境でしたか。褒め殺しに相当の経費をかけ、行動を起こされた遠因、理由等に思い当たる節はございませんか。 報道によると、皇民党攻撃に証人がおびえたなどといろいろと言われておりますが、おびえる理由があったのでしょうか。
○政府委員(吉田弘正君) 御質問の団体は、政治結社日本皇民党の名称で昭和五十五年五月に自治大臣に設立届が提出されております。また、収支報告もそれ以降出ております。
○村沢牧君 日本皇民党が政治団体である、活動しておるとするならば、政治団体の届け出があり、収支の報告が出されているはずでありますが、自治省、報告してください。
お尋ねの日本皇民党につきましても、その資金活動の実態の詳細は把握いたしておりません。 なお、ちなみに日本皇民党の規約を見てみますと、その第八条なるものに「本党の経費は、党員の会費及び有志の寄附金をもって充当する。」というようになっております。
お尋ねの日本皇民党の街頭宣伝活動に対しましては、当時、その騒音について苦情や要望が寄せられましたこともありまして、法令に従い、可能な取り締まりを行ったところでありまして、この街頭宣伝期間中に公務執行妨害罪、傷害罪、道路交通法違反等で十三件、十四人を検挙いたしております。
竹下元総理が、このたびはありがとうございましたと言って頭を下げたという記載はございますが、お尋ねのように日本皇民党問題を解決してくれたことについてお礼をしたというような記載はないものというふうに承知しております。
次は、日本皇民党の問題でございます。
あなたは日本皇民党というのは知っておりますね。
○高鳥委員長 それでは次に、日本皇民党問題について伺います。 昭和六十二年九月末、あなたは、いわゆる右翼団体日本皇民党が竹下政権誕生を阻止するために行っていた街頭宣伝活動について、かねて交際のあった政治家が苦慮していることを知り、この件の解決を石井進稲川会前会長に依頼しました。その結果、同年十月上旬街頭宣伝活動は中止されたと言われております。 そこで、お尋ねいたします。
とりわけ、竹下内閣の成立にかかわる日本皇民党事件で、竹下氏が田中邸にあいさつに行くという条件が持ち出されたとき、一九八七年十月五日、東京プリンスホテルにおける会議に金丸氏のほか竹下氏本人と小沢一郎氏も参加していたことは、同席していた東京佐川急便の渡辺元社長の供述として指摘されているところであります。
この事件については、昨年九月、参議院証券金融問題特別委員会において我が党本岡昭次議員によって指摘され、政府は日本皇民党の介在を明らかにしており、当時の海部首相は市民生活の脅威となる暴力団活動の根絶を表明しています。宮澤首相も今次所信表明において、暴力団は依然として市民生活に脅威となっていると述べています。
竹下登政権が誕生した昭和六十二年の自民党総裁選をめぐり、右翼団体日本皇民党が竹下氏を褒め殺しで攻撃した事件で、金丸信前自民党副総裁の代理人が三十億円、森喜朗同党政調会長本人が二十億円を提供するので攻撃を中止してほしいと皇民党側に申し入れたことが、五日午後、東京地裁刑事六部で開かれた東京佐川事件稲川会ルートの第四回公判で朗読された検事調書で明らかになりました。
それは、日本皇民党という右翼団体が京都府警に抗議に来たときです。警察に抗議するとは何かということで、右翼団体がこの抗議行動のために逮捕されました。教研集会が開かれたときは、逮捕された十名はまだ勾留中だった。こういう状態があったのを御存じですか、警察庁は。