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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1993-04-19 第126回国会 衆議院 決算委員会 第7号

庄司社長は、自民党総裁選挙を控えていた一九八七年秋、竹下登首相、当時自民党幹事長に対する右翼団体日本皇民党からのほめ殺し攻撃について、渡邊社長から中止要請を受け、石井会長解決に動いた結果、攻撃が中止された状況について証言した、こういうふうに聞いておりますが、この証言のとおりでありましょうか、お伺いをします。

志賀一夫

1993-04-19 第126回国会 衆議院 決算委員会 第7号

当時東京佐川急便社長だった渡邊社長から庄司社長のもとに電話があり、実は竹下さんのことで右翼がいろいろしている、特に四国の日本皇民党のほめ殺し街頭宣伝で困っている、何とか中止してもらえないかと石井会長に頼んでほしいと言ってきたと証言しておるのでありますが、この証言についても間違いはないでしょうか。

志賀一夫

1993-02-17 第126回国会 衆議院 予算委員会 第10号

昨年の十一月二十六日、本予算委員会において、自民党総裁選挙が行われた昭和六十二年の日本皇民党街頭宣伝活動につきまして、あなたは「皇民党街宣活動がなぜ行われたかということにつきましては、私もいまだにその理由はわかりません。これはあるいは私自身は永遠に突きとめることのできない問題ではなかろうかと思います。このように証言をされております。

粕谷茂

1993-02-05 第126回国会 衆議院 予算委員会 第6号

報道によれば、報道ということを前提に私は聞きますが、豊田一夫氏と日本皇民党の亡くなりました稲本総裁親交があったということでありま すけれども、警察ではこの関係をいかに把握をしておりますか。  また、実は大元良一という人物がいます。これは豊田さんと非常に親交のある方で、おやじおやじとこの豊田一夫さんに言うわけであります。

草川昭三

1993-02-05 第126回国会 衆議院 予算委員会 第6号

豊田一夫という人物は、本部東京に置く日本青年連盟という団体の前会長でありますので、その立場上、右翼運動を行う人々と一定の交流があったものとは考えられますが、故稲本日本皇民党総裁との関係につきましては、巷間いろいろ報道されていることは承知しており、それぞれしかるべき取材に基づいて行われているものと思いますけれども、警察といたしましては、両者の関係についての具体的事実は確認はいたしておりません。  

菅沼清高

1992-12-09 第125回国会 参議院 予算委員会 第6号

これはもう委員も御案内のとおり、当時の稲本日本皇民党総裁を初めとする日本皇民党側が、だれがその解決を申し入れてもこれを拒否するという強い意向あるいは言動を行っていたことなどを立証することによりまして渡邉社長供述を裏づけるとともに、その特別背任罪の動機を明らかにすることを目的として証拠調べ請求されたものでございます。  

濱邦久

1992-12-09 第125回国会 参議院 予算委員会 第6号

喬員長(遠藤要君) あなたは、日本皇民党石井進稲川会会長政治家との間を仲介し、いわゆる褒め殺し街頭宣伝活動をとめるように働きかけましたか。  そして、竹下衆議院議員がなぜ褒め殺し妨害を受けたのか御承知ですか。御承知でしたらその理由証言してください。これは裁判には関係ないと思いますので。

遠藤要

1992-12-08 第125回国会 参議院 地方行政委員会 第1号

実は私、ここに持参いたしましたこれは、金沢地方裁判所における昭和六十三年四月における日本皇民党稲本総裁に対する証人尋問調書の写してあります。もう一つは、同じく昭和六十三年九月二十日、相沢猛こと李孟被告人供述調書、その写してあります。詳細は紹介できないので、抜粋を資料としてお配りいたしたいと思います。  委員長、お取り計らいお願いいたします。

有働正治

1992-12-07 第125回国会 参議院 法務委員会 第1号

服部三男雄君 そのいわゆる大島調書検事調書の中に、衆参の国会議員七名が、いわゆる日本皇民党による褒め殺し街宣活動中止工作と受け取れるような内容の朗読があったわけですが、その十一月二日の第三回公判での要旨告知に当たって、証拠調べ要旨告知で行うということについて弁護側は同意したんでしょうか。

服部三男雄

1992-12-07 第125回国会 参議院 法務委員会 第1号

政府委員濱邦久君) 先ほど私、名前の出方が違うというふうに申し上げましたのは、もう少し正確に申し上げますと、今、委員お尋ねになっておられます本件調書の中で、稲本総裁を初めとする日本皇民党側がだれが要請してきても街宣活動を中止しないという強い態度、意向を示す言動を行っていたという記載に関しまして、その中に金丸議員、小湖議員梶山議員森議員浜田議員浦田議員及び魚住議員の七名の名前が挙げられておるわけでございますが

濱邦久

1992-12-07 第125回国会 参議院 法務委員会 第1号

政府委員濱邦久君) ちょっとお尋ねに対する答えとしてかみ合っているかどうかわかりませんが、もしかみ合っていなければ御指摘いただきたいと思うわけでございますが、先ほど申しましたように、大島のこの調書はそこに記載された特定の政治家あるいはその代理人が関与したという事実を立証しようとするものではないわけでございまして、当時の稲本日本皇民党総裁街宣活動を中止しないという強い意向を示す言動を行っていたことなどの

濱邦久

1992-12-07 第125回国会 参議院 予算委員会 第4号

昭和六十二年の自民党総裁選挙に出馬した際、右翼団体日本皇民党がいわゆる褒め殺し街頭宣伝活動を行ったことについて、皇民党のそのような活動に対し、当時、あなたはどのような心境でしたか。褒め殺しに相当の経費をかけ、行動を起こされた遠因、理由等に思い当たる節はございませんか。  報道によると、皇民党攻撃証人がおびえたなどといろいろと言われておりますが、おびえる理由があったのでしょうか。  

遠藤要

1992-11-27 第125回国会 衆議院 予算委員会 第5号

高鳥委員長 それでは次に、日本皇民党問題について伺います。  昭和六十二年九月末、あなたは、いわゆる右翼団体日本皇民党竹下政権誕生を阻止するために行っていた街頭宣伝活動について、かねて交際のあった政治家が苦慮していることを知り、この件の解決石井進稲川会会長に依頼しました。その結果、同年十月上旬街頭宣伝活動は中止されたと言われております。  そこで、お尋ねいたします。  

高鳥修

1992-11-06 第125回国会 参議院 本会議 第3号

とりわけ、竹下内閣の成立にかかわる日本皇民党事件で、竹下氏が田中邸にあいさつに行くという条件が持ち出されたとき、一九八七年十月五日、東京プリンスホテルにおける会議に金丸氏のほか竹下本人小沢一郎氏も参加していたことは、同席していた東京佐川急便の渡辺元社長供述として指摘されているところであります。

市川正一

1992-11-05 第125回国会 参議院 本会議 第2号

この事件については、昨年九月、参議院証券金融問題特別委員会において我が党本岡昭次議員によって指摘され、政府日本皇民党の介在を明らかにしており、当時の海部首相市民生活脅威となる暴力団活動の根絶を表明しています。宮澤首相も今次所信表明において、暴力団は依然として市民生活脅威となっていると述べています。  

久保亘

1992-11-05 第125回国会 衆議院 本会議 第3号

竹下登政権が誕生した昭和六十二年の自民党総裁選をめぐり、右翼団体日本皇民党竹下氏を褒め殺し攻撃した事件で、金丸信自民党総裁代理人が三十億円、森喜朗党政調会長本人が二十億円を提供するので攻撃を中止してほしいと皇民党側に申し入れたことが、五日午後、東京地裁刑事六部で開かれた東京佐川事件稲川会ルートの第四回公判で朗読された検事調書で明らかになりました。  

山下八洲夫

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