1999-04-21 第145回国会 衆議院 日米防衛協力のための指針に関する特別委員会公聴会 第1号
日本海軍航空隊が一九三八年、ちょうど今から六十年前になりますが、中国の臨時首都であった重慶に対し爆撃を加えたことがあります。私は十年以上前にその現場を、数カ月滞在して調べたことがありますが、日本海軍航空隊の攻撃もまさしく、まず最初は飛行場を破壊する、次に飛行機を破壊する、その次に軍事施設、そして最後は無差別、都市無差別というふうにいくわけです。
日本海軍航空隊が一九三八年、ちょうど今から六十年前になりますが、中国の臨時首都であった重慶に対し爆撃を加えたことがあります。私は十年以上前にその現場を、数カ月滞在して調べたことがありますが、日本海軍航空隊の攻撃もまさしく、まず最初は飛行場を破壊する、次に飛行機を破壊する、その次に軍事施設、そして最後は無差別、都市無差別というふうにいくわけです。
本請願の要旨は、駐留米軍が使用している大津水耕農園、ハンチングロッヂ、滑走路等の川地は、昭和十八年九月、元日本海軍航空隊用地として、戦争終結の暁には耕作農民に返還することを条件に、旧下阪本村及び坂本村から約九十町歩の田畑を強制買収したものであるが、戦後米軍の使用するところとなり、いまだ返還されるに至らないため、同地方農民の経済的窮迫は言語に絶するものがある。
今回この航空基地滑走路拡張のため、木更津市江川地区の安全地帯を、また木更津地先海面埋め立てを行うことについて、地役権の設定について通告を受けたのでありますが、これについて私がこれから申し上げますように、国土防衛のためとは申しながら、現に日本海軍航空隊設置に当って、海面と農地で約九十万坪を失っているのであります。