1969-11-29 第62回国会 衆議院 本会議 第1号
(拍手) 党にあっては、日本民主党内閣部長、自由民主党外交調査会副会長、広報委員長等を歴任し、政策の推進あるいは党務の処理に縦横の活躍を示されたのであります。 昨年十二月、第六十回臨時国会において、あなたは本院議員として、永年在職のゆえをもって、院議によりはえある表彰を受けられました。
(拍手) 党にあっては、日本民主党内閣部長、自由民主党外交調査会副会長、広報委員長等を歴任し、政策の推進あるいは党務の処理に縦横の活躍を示されたのであります。 昨年十二月、第六十回臨時国会において、あなたは本院議員として、永年在職のゆえをもって、院議によりはえある表彰を受けられました。
しかもその間内閣は、第一次鳩山内閣の日本民主党内閣から自由民主党にかわっておるのであります。前長官の佐藤達夫氏の例を見れば、同氏は昭和二十二年六月片山社会党内閣のときに長官に就任し、翌二十三年二月法制局廃止とともに一たん退官し、さらに同二十七年法制局復活とともに第三次吉田内閣のもとに再び長官に就任しておるのであります。
(拍手)鳩山総理は、社会党は少数の政党なるがゆえに政権を渡すことはできないと時折言われておりまするが、第一次鳩山日本民主党内閣は、衆議院百二十余名、参議院二十余名の少数にかかわらず、解散を前提として社会党が協力して少数政権として成立して選挙を管理したのであります。鳩山総理は、このときには、政権移動のルールを確立せんとするわが社会党の解散要求の声はまさに天の声なりと言われたのである。
東北のアジアだから、その中に入らないならば、アメリカはSEATOでなくNEATOという言葉をこしらえて、そういうことを準備しておるのだが、とにかく日本はそういうことを離れて、やはり政治的に経済的にそのSEATOと協力をする用意があるということを言われておるのだが、併し私は本当にアジア各国民との連帯性を考えた日本国民の意思ではない、それから非常に離れておるものだと思うのでありますが、今の民主党、日本民主党内閣