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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1991-03-08 第120回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

沖縄は、御承知のように沖縄本島及びその周辺島部はNHKの二つのチャンネルのほかに琉球放送及び沖縄テレビが放映をされているのでありますが、宮古、八重山は、以前、当時の沖縄電電公社日本政府援助という形で宮古海底ケーブルを引きまして、それを使ってNHKだけが今は放送をされております。民放は全くございません。

宮里松正

1972-08-10 第69回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第1号

昨年沖繩国会のときに、売春対策として大体五千万幾ら——私ははっきりした金額をいま覚えておりませんが、くらいを七一年、七二年度予算日本政府援助という形、総額でしたね、三分の二補助だったと思います。向こうの現地の、沖繩のほうの財力が十分なくて消化し切れないでいたんではないかと思います。

田中寿美子

1971-02-23 第65回国会 衆議院 大蔵委員会 第10号

大来参考人にお越しをいただきまして、実はさっき佐藤委員も大臣にお伺いをしておりましたけれども、御承知のように一九七五年までにはGNPの一%程度対外経済協力に充てたい、こういう政府方針が表明をされておるわけでありますし、さらにまたアンタイイングでやっていこうというような方針も出されておるようでありますが、さっきそういうことで話のありました中で、現在のわが国の政府ベースの状態は、六九年実績で見ると、日本政府援助

堀昌雄

1970-05-12 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第15号

これに対しまして琉球政府日本政府援助対応費、これは千七百五十八万ドルでございまして、これは二割にはならないわけでございます。ですから、税収入印紙収入だけを合わせてみましてもまあ八千五百万ドルでございます。そのうち千七百五十八万ドルがこの対応費になっておるわけでありまして、この年に琉球政府単独事業日本円にしまして六十七億ですから、二千万ドル近く単独事業をやっておられるわけでございます。  

山野幸吉

1970-05-12 第63回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第15号

そうすると、この十八年間をとってみても、あるいは、日本政府援助が始まったときからとってみてもいいわけですが、そこからとらないとちょっと議論はしにくいわけです。そこをとってみますと、本土地方財政の実態と比較してみる場合、いかに日米援助費が低いかということが出てくるわけです。  

川崎寛治

1970-02-18 第63回国会 参議院 本会議 第3号

また、日本政府援助費の内容においても、私といたしましては、一九七〇年度の米国政府沖繩援助費が、米国議会において二百万ドル減額修正されました経緯にかんがみまして、七一年度における援助費においても、相当程度の削減があることを予想いたしまして、琉球政府財政収入の減少を緩和するよう、行政運営費あるいは調整費等、新規の援助措置を講ずることといたしております。

山中貞則

1969-02-21 第61回国会 衆議院 予算委員会公聴会 第1号

さきの図表を棒グラフにしますと、この黒が国家事務経費で三千八百九十万ドル、日本政府援助が三千一百九十七万ドル、現在の政府沖繩援助額よりも国家経費として沖繩県民が負担しておる額が多いということであります。それが、復帰すれば他県並み国庫支出だという前提において九千四百万ドル、これになるわけであります。

喜屋武眞榮

1968-10-11 第59回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

それは勘定科目が違いまして、日本のほうはこれからまだばく大な日本政府援助資金を出さなければなりませんが、その災害の中でもほんとうに緊急、応急の対策と、それから急ぎはするけれども来年度予算の中に繰り込めます分と、これがあるわけでございまして、いわゆる恒久対策分として申しておりますのは百三十五万ドル見当と相なりまして、全体としては被害総額が七百五十万ドルで、その中で二百四十五万ドル見当日本に期待する。

田中龍夫

1968-10-11 第59回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号

田中国務大臣 これは予算と申しましても、ただいまお話しのように、日本政府援助の正式のものもありますれば、あるいはまた災害復旧費というものも、私がさっき申し上げましたように、別個でなければいかぬということを財務当局に申しておる。あるいはまた、一般会計からのものもありますれば、財政投融資のワクからのものもある、そういうふうなことで、一がいに三百億というふうなことは申せないのでございます。

田中龍夫

1968-10-08 第59回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第4号

このようなありさまを見て、朝日新聞の特派員が九月二十五日に報じておりますが、日本政府援助が影も形もなくなったと島民は皮肉っておる。そうしますと沖繩は私たち日本援助としても、そういう台風銀座と言われるほど台風の激しいところですから、やはりそれに見合った家も建てなければならぬし、設備もしなくちゃならぬ。そこらあたりにある無風地帯に建てるようなバラックのようなものでは、これは役に立たぬ。

河田賢治

1968-10-08 第59回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第4号

またここに写真もございますが、セメントのへいが根こそぎ風で吹っ飛んでいるといったような、いかに激しい烈風であったかということを一番よくあらわしておりますし、同時にその間、あそこの灯台というのは非常に重要な灯台でございますが、電線が切断されており、その電線が切断されたときには自動的にゼネレーターで灯火がされるというような装置になっており、それがまたいろいろと故障いたしておるといったようなところで、日本政府援助

田中龍夫

1968-04-10 第58回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第1号

それをどう考えるかという問題がありますけれども、その前に、さっきおっしゃいました、本土で言えば地方交付税ですね、日本政府援助額、それは二百億くらいが来年あたりは必要ではないかという御発言がありましたけれども、ちょうど私どもが松岡主席に会ったときも、本土類似県並みなら三年間くらいの間に二百億くらいまで援助をふやしてほしいんだという話がありましたですが、私はそんなことで類似県並みになるとは思えないんです

田中寿美子

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