運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
23件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1
  • 2

2001-03-29 第151回国会 参議院 総務委員会 第5号

山本正和君 厚生省からもきょうは来てもらっていますが、恩給というのは、この制度ができた明治以来ずっとあるわけですけれども、もともと恩給制度というのはいわゆる旧大日本帝国時代から、私どもは大日本帝国に育った男ですから、そういうことをずっと考えると、お国のために戦って、あるいは亡くなられた、あるいは傷つかれた、あるいはその生活を終えたという人に対して、国が何とか御苦労さんという意味も含めてちゃんとそれに

山本正和

1999-08-09 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会公聴会 第1号

しかしながら、ここで改めて、今日ただいま法制化する、きょう成立するというふうなことになりますと、これは国家というふうな立場から見ますと、この我々の国家を大日本帝国時代からの継続性重視立場から再確認しようという行為というふうに映るわけであります。その場合に、しかしながら、日の丸・君が代にかわるものがない以上、両者の国旗・国歌としての機能を、ここで慣習として持たせることに反対はできません。

石川眞澄

1999-08-09 第145回国会 参議院 国旗及び国歌に関する特別委員会 第8号

これはそれぞれおっしゃってきているわけでありますが、ずっとつぶさに今までの政府がおっしゃってきたことを検証してまいりましたときに、一つだけなるほどなと思いましたのは、古代からの和歌であるとか、あるいはまた大日本帝国時代認識であるとかということは別として、戦後の政府の物の言い方としては、この君が代全体の解釈について、考え方についてはそれはそれなりにおっしゃっているけれども、君が代の「君」については注意深

足立良平

1998-06-08 第142回国会 参議院 行財政改革・税制等に関する特別委員会 第13号

国立病院は、議員もよく御承知のとおり、かつて大日本帝国時代における大半は陸軍病院であり海軍病院でありました。それを第二次大戦後、国立病院という、それ以外の要素もありますけれども、形で集約をいたしました。当然ながら地域的にもばらついておりますし、随分格差もございました。  

橋本龍太郎

1988-04-19 第112回国会 参議院 内閣委員会 第6号

その証拠に、今日大日本帝国時代につくられた刑法、民法、今なお生きております。それによって裁判が行われておる。昭和という年号は戦前から今なお一貫して続いておる。今の天皇は、職務こそ象徴という職務に変わられたけれども同じお方が続いております、天皇として。天皇の地位におられるのは一貫して今の天皇です。どこに一体革命というものがあったということを認め得るか。全然事実として革命などはないんですよ。

飯田忠雄

1988-04-19 第112回国会 参議院 内閣委員会 第6号

それから問題は、大日本帝国時代につくった満州国であるけれども、その大日本帝国延長が今日の日本国なんです。その責任はやはり現在の政府にある。大日本帝国時代政府のやったことは、当然国が延長であるならば責任は今の政府にもあると言わざるを得ないのです。そういう点で差別をしてもらっては困りますよ。旧満州国官吏、旧日本国官吏、その間で差別するというのは困るわけですね。

飯田忠雄

1986-12-11 第107回国会 参議院 文教委員会 第3号

いわゆる一九四五年の旧時代、大日本帝国時代には、教員というのは師範学校を卒業した者が専門家として教員になる。訓導という名前をもらっていた。ところが、戦前学校のほとんどは訓導の数は極めて少なくて代用教員です。ですから、東京あたりは別ですけれども、田舎のほとんどは訓導というのは一人か二人しかいなくて、あと代用教員がほとんどで、校長、教頭というふうな形態で戦前教育がやられておりました。

山本正和

1983-03-25 第98回国会 衆議院 外務委員会 第3号

安倍国務大臣 私もかつてベルリンに参りまして、旧大日本帝国時代大使館が無残な姿で横たわっておる、草がぼうぼうと生え茂っておる状況を見まして、こんなことでいいのかなということを強く感じたわけで、恐らく日本人で西ベルリンを訪問してあの大使館の廃墟を見ると、みんなそう思われるんじゃないかと思います。

安倍晋太郎

1976-05-12 第77回国会 衆議院 法務委員会 第9号

稻葉国務大臣 憲法にいたしましても、その他の法令全般法秩序というものは時代によって変遷をいたしますから、昭和二十一年五月三日以降の新憲法のもとにおける国家秩序と旧帝国憲法時代の、大日本帝国時代法秩序とは、おのおの変遷があってしかるべきであって、あの当時の歴史的事実としてはそういうものであったと、こういうことを申し上げているのです。

稻葉修

1973-07-20 第71回国会 衆議院 外務委員会 第31号

昔の大日本帝国時代外交大権などといいまして、あまり国会は参与できなかったような法体系でございますが、日本国憲法下では、あなたが行政権立法権というようにはなはだ形式的に取り上げられましたが、そうではなくて、日本国政府の大平さんが、外務大臣として外務省を指揮して国際行動をする場合の一つの基準として、対外的に条約ないし協定を結ばれるというのは、国会の承認がなければ発効しない、こういうものだ。  

永末英一

1970-02-25 第63回国会 衆議院 大蔵委員会 第5号

永末委員 大日本帝国時代主権天皇にあるということになっておった、帝国憲法でありますから。ところが道路交通法のできた昭和三十五年は、主権者国民である。まさしくこの二つの法律に、似たようなハンソクとは書いてあるけれども、基本的には、このハンソク意味が含蓄しているところが違うわけですね。その点を主税局長はお認めになるかならないか、お答えを願いたい。

永末英一

1966-07-19 第52回国会 衆議院 大蔵委員会 第2号

明治三十三年と申しますと、大日本帝国時代でございますが、いまや日本国になってもまだこれが続いておる。現在のわれわれが考えている民主主義日本というのは、国民意思が源泉でございまして、したがって、国民意思に基づく、いわば自発的な意思に基づいて税金を出しておる、こういうのが基本にならなければ、いわゆる脱税事犯とかいうものはなくならぬのじゃないか。

永末英一

1961-03-30 第38回国会 参議院 大蔵委員会 第18号

永末英一君 物品税についてお伺いしたいのですが、今度の物品税の改正は自動車等に限られておりますけれども、大体その物品税というものができましたのが戦争まぎわにできたので、大日本帝国時代に何でも税金をかけるというので大日本税国になったような感じがしたのでありますけれども、政府では今度直接税においていわゆる中小所得者税金を安くするということで、何千億減税した、こういうのです。

永末英一

1953-02-03 第15回国会 参議院 本会議 第21号

とか、こういうことを主としておられるのでありまして、(「雛壇、勉強しろ」と呼ぶ者あり)これは要するに、総理の言うところの占領行政の行過ぎ是正の意図というものは、アメリカ日本軍事基地として提供しまして、その交換条件として、ポツダム宣言に基いて占領政策として行われた日本民主化の逆転を許してもらつて、許容してもらつて、アメリカの支援の下に、独占禁止法を緩和し、スト権を制限し、警察力を強化し、大日本帝国時代

木村禧八郎

  • 1
  • 2