2001-03-29 第151回国会 参議院 総務委員会 第5号
○山本正和君 厚生省からもきょうは来てもらっていますが、恩給というのは、この制度ができた明治以来ずっとあるわけですけれども、もともと恩給の制度というのはいわゆる旧大日本帝国時代から、私どもは大日本帝国に育った男ですから、そういうことをずっと考えると、お国のために戦って、あるいは亡くなられた、あるいは傷つかれた、あるいはその生活を終えたという人に対して、国が何とか御苦労さんという意味も含めてちゃんとそれに
○山本正和君 厚生省からもきょうは来てもらっていますが、恩給というのは、この制度ができた明治以来ずっとあるわけですけれども、もともと恩給の制度というのはいわゆる旧大日本帝国時代から、私どもは大日本帝国に育った男ですから、そういうことをずっと考えると、お国のために戦って、あるいは亡くなられた、あるいは傷つかれた、あるいはその生活を終えたという人に対して、国が何とか御苦労さんという意味も含めてちゃんとそれに
しかしながら、ここで改めて、今日ただいま法制化する、きょう成立するというふうなことになりますと、これは国家というふうな立場から見ますと、この我々の国家を大日本帝国時代からの継続性重視の立場から再確認しようという行為というふうに映るわけであります。その場合に、しかしながら、日の丸・君が代にかわるものがない以上、両者の国旗・国歌としての機能を、ここで慣習として持たせることに反対はできません。
これはそれぞれおっしゃってきているわけでありますが、ずっとつぶさに今までの政府がおっしゃってきたことを検証してまいりましたときに、一つだけなるほどなと思いましたのは、古代からの和歌であるとか、あるいはまた大日本帝国時代の認識であるとかということは別として、戦後の政府の物の言い方としては、この君が代全体の解釈について、考え方についてはそれはそれなりにおっしゃっているけれども、君が代の「君」については注意深
国立病院は、議員もよく御承知のとおり、かつて大日本帝国時代における大半は陸軍病院であり海軍病院でありました。それを第二次大戦後、国立病院という、それ以外の要素もありますけれども、形で集約をいたしました。当然ながら地域的にもばらついておりますし、随分格差もございました。
その証拠に、今日大日本帝国時代につくられた刑法、民法、今なお生きております。それによって裁判が行われておる。昭和という年号は戦前から今なお一貫して続いておる。今の天皇は、職務こそ象徴という職務に変わられたけれども同じお方が続いております、天皇として。天皇の地位におられるのは一貫して今の天皇です。どこに一体革命というものがあったということを認め得るか。全然事実として革命などはないんですよ。
それから問題は、大日本帝国時代につくった満州国であるけれども、その大日本帝国の延長が今日の日本国なんです。その責任はやはり現在の政府にある。大日本帝国時代の政府のやったことは、当然国が延長であるならば責任は今の政府にもあると言わざるを得ないのです。そういう点で差別をしてもらっては困りますよ。旧満州国官吏、旧日本国官吏、その間で差別するというのは困るわけですね。
要するに洗脳するんじゃないかと、昔の大日本帝国時代の教育を受けた校長先生の古手によって洗脳するんじゃないかというふうな誤解を受けたとするならば、これはまた大変な問題だろうというふうに私は思います。
いわゆる一九四五年の旧時代、大日本帝国時代には、教員というのは師範学校を卒業した者が専門家として教員になる。訓導という名前をもらっていた。ところが、戦前の学校のほとんどは訓導の数は極めて少なくて代用教員です。ですから、東京あたりは別ですけれども、田舎のほとんどは訓導というのは一人か二人しかいなくて、あと代用教員がほとんどで、校長、教頭というふうな形態で戦前の教育がやられておりました。
○安倍国務大臣 私もかつてベルリンに参りまして、旧大日本帝国時代の大使館が無残な姿で横たわっておる、草がぼうぼうと生え茂っておる状況を見まして、こんなことでいいのかなということを強く感じたわけで、恐らく日本人で西ベルリンを訪問してあの大使館の廃墟を見ると、みんなそう思われるんじゃないかと思います。
○新村委員 それに関連して、戦争中あるいは戦前を含むわけですけれども、日本帝国時代のたくさんの艦船が世界じゅうに何百隻と沈んでおると思いますが、これの所有権ないし所有権を主張する根拠が日本にありますか。それとも、すでに一切放棄しておりますか。
○稻葉国務大臣 憲法にいたしましても、その他の法令全般、法秩序というものは時代によって変遷をいたしますから、昭和二十一年五月三日以降の新憲法のもとにおける国家秩序と旧帝国憲法時代の、大日本帝国時代の法秩序とは、おのおの変遷があってしかるべきであって、あの当時の歴史的事実としてはそういうものであったと、こういうことを申し上げているのです。
昔の大日本帝国時代は外交大権などといいまして、あまり国会は参与できなかったような法体系でございますが、日本国憲法下では、あなたが行政権と立法権というようにはなはだ形式的に取り上げられましたが、そうではなくて、日本国政府の大平さんが、外務大臣として外務省を指揮して国際行動をする場合の一つの基準として、対外的に条約ないし協定を結ばれるというのは、国会の承認がなければ発効しない、こういうものだ。
北海道を開発し入植をさせた人々の営農を確立をし、あとう限りの援助をするために、かつて日本帝国時代に軍馬補充部の用地として国が保有した財産を払い下げに必要な経費をもって対価として払い下げたというのが、私は国の政策方針であったと思うのであります。
○永末委員 大日本帝国時代の主権は天皇にあるということになっておった、帝国憲法でありますから。ところが道路交通法のできた昭和三十五年は、主権者は国民である。まさしくこの二つの法律に、似たようなハンソクとは書いてあるけれども、基本的には、このハンソクの意味が含蓄しているところが違うわけですね。その点を主税局長はお認めになるかならないか、お答えを願いたい。
何か昔の大日本帝国時代の勅令みたいな形を一方とりながら、もっと強い力でこれに臨んでおる。
明治三十三年と申しますと、大日本帝国時代でございますが、いまや日本国になってもまだこれが続いておる。現在のわれわれが考えている民主主義日本というのは、国民の意思が源泉でございまして、したがって、国民の意思に基づく、いわば自発的な意思に基づいて税金を出しておる、こういうのが基本にならなければ、いわゆる脱税事犯とかいうものはなくならぬのじゃないか。
○永末英一君 物品税についてお伺いしたいのですが、今度の物品税の改正は自動車等に限られておりますけれども、大体その物品税というものができましたのが戦争まぎわにできたので、大日本帝国時代に何でも税金をかけるというので大日本税国になったような感じがしたのでありますけれども、政府では今度直接税においていわゆる中小所得者の税金を安くするということで、何千億減税した、こういうのです。
○森元治郎君 ただいま佐藤尚武議員から、いろいろわが党の訪中使節団に関連して御意見が述べられましたが、われわれの尊敬する大先輩の御説ではありまするが、どうも、日本のかつて大日本帝国時代の気分がまだ残っているような感じもすることを遺憾に存ずるのであります。
大日本帝国時代の大陸軍、大空軍、大海軍を持って、ソ連やアメリカを向うに回してもう一ぺん戦争をやるなどという、誇大妄想狂的な考えを持つのでなければ――これは吉田さんの方が鳩山さんよりステーツマン・シップに富んでいると思うのです。
そういう認識の上に立たないで、何か大日本帝国時代の夢に酔うて、くれてやればいいじゃないか、そうしたあっさりした考えでやられたのでは大へんな間違いだ。中共貿易とソ連外交とだけやっておれば日本の繁栄は期待して待つべきものかあるというような甘ちょろい考えではやっていけないのです。
とか、こういうことを主としておられるのでありまして、(「雛壇、勉強しろ」と呼ぶ者あり)これは要するに、総理の言うところの占領中行政の行過ぎ是正の意図というものは、アメリカに日本を軍事基地として提供しまして、その交換条件として、ポツダム宣言に基いて占領政策として行われた日本の民主化の逆転を許してもらつて、許容してもらつて、アメリカの支援の下に、独占禁止法を緩和し、スト権を制限し、警察力を強化し、大日本帝国時代