1948-05-25 第2回国会 参議院 労働委員会 第7号
もう一つは極東委員會の日本勞働組合に對する十六原則の第四項の中には、勞働組合が雇傭條件について、組合員のため雇主と協約を交渉することを奬勵する、そうしてその後段には、日本政府は勞資の仲介及び調停機關を設置して、勞働者代表と雇主との間の直接且つ任意の交渉によつて解決できない産業爭議を處理する必要がある、こういうことを書いてあります。
もう一つは極東委員會の日本勞働組合に對する十六原則の第四項の中には、勞働組合が雇傭條件について、組合員のため雇主と協約を交渉することを奬勵する、そうしてその後段には、日本政府は勞資の仲介及び調停機關を設置して、勞働者代表と雇主との間の直接且つ任意の交渉によつて解決できない産業爭議を處理する必要がある、こういうことを書いてあります。
大正八年大阪の木津川セメント曾社へ社せられ、同年友愛會へ加盟、大正九年日本勞働總同盟大阪連合會會長に就任し、昭和五年國際勞働會議へ代表鈴木文治氏の随員として出張せられ、十六年日本勞働總同盟大阪連合會の解散に伴つて同會長を辭し、二十年十一月總同盟大阪連合會長に就任し、現在就任中であります。それから二十一年八月日本勞働組合總同盟副會長に就任、現在就任中であります。
ただそれを責任も明らかでない、秩序もない、規律もないような状態で、そういうふうな無責任な形で爭議が行われるということが正當でない、日本勞働組合運動の將來に對しても禍根を殘すという點から、政府はこれが正當ならずと言うのでありまして、本部が指令しなくても、支部には支部としてちやんとした組合の機構があるのでありますが、今回の囘の場合はそういう指令によつていない。
故アチソン議長が指摘されましたように、日本勞働のかつての過誤の大半は、指導者の責任であると指摘しておるのでありますが、さいわい現在は社會黨首班内閣であります。當面の非常増産をやらねばならぬことも申すまでもないのであります。
になつて、當時の日本の組織率は、はるかに今日よりも下であつたにかかわらず、一般の勞働者の利害を代表する者をもつて勞働代表とすべしというような聲があり、經營者側からも、そのときに桝本卯平氏が第一囘の勞働代表として行つたのでありますが、これはけしからぬ、いやしくも勞働代表というものは、組織勞働者から選ぶべきであるという、いわゆる勞働者側の意見が通つて、まだ組織率の非常に低かつた友愛會、それの後進である日本勞働總同盟
日本の勞働組合、敗戰後の日本勞働組合のあり方、また今館君ですか、昨年の國鐵爭議以來の日本ゼネストの傾向なんかを考えまして、私たちはただ、敗戰によつて組合が權利を得た、權利を得たがために、その權利をあくまでも行使していくんだという態度ではなしに、もう一遍日本の勞働運動、勞働者のあり方というものを、日本の國情と照し合わせて眞劍に考えてもらいたいと、絶えず思つておるものであります。
御質問の第一點は、勞働省の行政の重要なるに鑑みまして、勞働組合をエージエントのようなことに使つたらどうかというような御意見だと思うのでありますが、これはまあ諸外國、殊に英國とかアメリカ等においては、大分そういつた関係にあるようにも聞いておりまするが、まだ日本においては、組織勞働者と未組織勞働者との数がお互いに相當の比率を保つておるし、又組織勞働者である勞働者もまだまだ相當幾つかに分れておりまして、日本勞働組合會議
令日總同盟、あるいは産業別組合會議、あるいはその他の日本勞働組合會議といつたいろいろなのがあるのでありまして、またこれらの團體はそれぞれそのイデオロギーといいますか、その勞働運動のやり方といいますか、違つておるようでございますが、ただここにわれわれとして見逃すことのできないのは、最近においてこれらの勞働組合の間に戰線統一の氣運が高まつてきつつあることでありまして、これがいわゆる勞働總同盟から提案しておるという