2021-04-21 第204回国会 参議院 本会議 第17号
ミャンマーではジャーナリストの拘束が相次ぎ、日本人ジャーナリストが逮捕されました。政府は、その解放のためにどのように対応しているのですか。 政府は、クーデター以降、事態の鎮静化や民主的体制の回復へどのような対応が効果的か検討していきたいと答弁を繰り返してきました。
ミャンマーではジャーナリストの拘束が相次ぎ、日本人ジャーナリストが逮捕されました。政府は、その解放のためにどのように対応しているのですか。 政府は、クーデター以降、事態の鎮静化や民主的体制の回復へどのような対応が効果的か検討していきたいと答弁を繰り返してきました。
最後に、安田さん、シリアで連絡がとれなくなっている日本人ジャーナリストの安田純平氏と見られる人物がインターネットの動画で公開されていましたけれども、外務省、安否確認をされているのか、どのように行っているのか、そして救出に向けてどのようにお考えなのか、お尋ねをいたします。
先週二十日、日本人ジャーナリストの山本美香さんが、大変に残念なことに、シリアの地で凶弾に倒れるという事件が発生をしてしまいました。戦場の現場、子供たちの状況、また女性の状況というものをつぶさに世界中に訴えていくというジャーナリストの使命を持って、まさに命を賭して現場で活動されてきた方のざんきに堪えない今回の事案、昨日お通夜があり、今日告別式だというふうに伺っております。
まず、日本人ジャーナリストの長井さんが射殺されたということで、この前、四月十一日の外務委員会で、私の方から長井さんの事件に言及しまして、まず提案として、中国ルートといいますか、中国にも協力をお願いして、そしてこの解決ということを図ればいいのではなかろうかというふうに提案をいたしました。大臣の方から、二国間の話なので、中国は、そこは今のところ考えていないというお話でもございました。
先日、ミャンマーの軍事政権のデモ弾圧を受けて、日本人ジャーナリストの長井さんが凶弾に倒れるという非業の死を遂げられ、胸が痛みます。 欧米諸国は、ミャンマーに対し制裁を強化してきています。しかし、その一方、人道支援を増加している面も見受けられます。
その中で、日本人ジャーナリスト長井健司さんが殺されるという事態が起きています。社民党は、ここで改めて軍事的弾圧に抗議し、アウン・サン・スー・チーさんを始めとした市民の解放と政治活動の保障を求めます。 日本は、先進国で一位というビルマへのODA援助国です。新規のみならず、既存も含めてビルマへの援助を直ちにやめ、ビルマが民主国家へと移行するよう日本政府として働き掛けるべきと考えますが、いかがですか。
軍政に対する反政府デモに治安部隊が発砲し、取材中だった日本人ジャーナリスト長井健司さん初め多くの死傷者が出てしまいました。犠牲となった方々の御冥福を心からお祈りいたしますとともに、ミャンマー軍事政権に強く抗議をいたします。
三十分いただきましたので、前半、この両件についての質問、そして後半、日本人、イラクで亡くなられた日本人ジャーナリストの襲撃事件に関してお伺いしたいと思います。 まず、この両件につきましては基本的には賛成の立場で、若干、国際原子力機構についてお伺いしたいと思います。
日本時間で四月の八日の夜、イラクで日本人ジャーナリスト等三人の人質事件発生したと。大変今、外務省を始め、官邸始め御努力いただいておるわけでございますが、いろいろ情報が錯綜しております。
日本人ジャーナリストは三人も行っている。ところが大使館の人間は行っていない。だれが行ったんだと言ったら、大使館を警備しているイラクの警備会社が行きましたと。このイラクの警備会社という人たちが一体何者であるかも全然我々はわからないわけですね。そこにすべて任せてしまって、それで遺体も車もCPA、米軍の管轄下の中に置かれている。
次に、先日、日本人ジャーナリストがタリバーンに拘束されたという報道がございました。そこで質問なんですが、その事実関係及び最新情報、そうしたものを田中大臣にお願いいたします。
法律的にもそうですし、日本人ジャーナリストも非常に友好的で近づきやすいからです。日本人は非常に誠実であけっぴろげな民族です。KGBは非常にごまかしがうまく、まじめな人間をだましてソ連の目的に奉仕させることがあります。相手は一体だれのために働いているかも知らないことが多いのです。 同じことは日本の国会議員にも言えます。非常に近づきやすい議員もいて、ソ連の議員工作は活発です。
○柄谷道一君 この映画、いまパンフをお渡しいたしましたけれども、ある日本人ジャーナリストがたまたま韓国に渡って、戦争中日本政府によって強制徴用され、南樺太に連行された韓国人が多数帰国できないでいるという事実を知って、また、その留守家族がいまもなお夫や子の帰国を待ちわびているという様子や強制連行されたときの模様、さらに、当時樺太でこれらの労働者の監督をしていた日本人の証言などを取り入れた映画でございます
○国務大臣(大平正芳君) ベトナムにおきましては、一九六八年に二名、日本人ジャーナリストが戦乱によりまして死亡いたしまして、行くえ不明はおりません。しかし、一九七〇年にカンボジアにおきまして八名の日本人ジャーナリストが行くえ不明になっておりますことは御承知のとおりでございます。
○政府委員(吉田健三君) 一九七〇年に、御指摘のように、カンボジアで八名の日本人ジャーナリストが行くえ不明になっておるわけでございますが、私たちといたしましては、これまであらゆる方法を通じてこの行くえ不明者の情報収集、捜査ということに可能な努力を続けてまいりました。