2020-06-03 第201回国会 参議院 国際経済・外交に関する調査会 第4号
そのたくみの技を使っているというのがやっぱり日本人の日本人たるその器用さというのが反映しているんじゃないかと思います。 そして、船の大きさによるんですけど、非常にたくさんの部品を組み上げる、アッセンブルの、究極のアッセンブル産業です。
そのたくみの技を使っているというのがやっぱり日本人の日本人たるその器用さというのが反映しているんじゃないかと思います。 そして、船の大きさによるんですけど、非常にたくさんの部品を組み上げる、アッセンブルの、究極のアッセンブル産業です。
真の国際人には真の日本人たるべきだという、まさにその思いを若者も共通化してくれているのかなという中で、少し具体的なんですが、グローバル化を進めるというふうに今多くの教育機関で目指していくわけですけれども、と同時に、日本人としてのアイデンティティーも高めるということで、例えばなんですが、グローバル化を進める機関には、同時に日本文化やそのアイデンティティーを養う講座を設置するべきではないかなというふうにも
基本的に、資源のない、狭い国土、人口の少ない日本が世界の中でどういうふうに貢献していくのかも含めて、日本人たるものはどうあるべきかというのは教育の根幹にかかわると思うんですが、私は、一番大きく言えば、どの国に限らず、人間として生まれたわけですから、人間が人間らしく一生を充実して全うできる、その根本をしっかりと身につけてもらうというのが教育の一番原点だと思います。
それは何かといえば、日本人を日本人たらしめるものなんですよ。それは何かといえば、まさに日本人の心である道徳なんですよ。日本人としての価値観や日本人としての考え方、これが教育できて初めて日本人としてこれ国際舞台でも活躍できるんです。英語ができるとか数学ができるかというのは、それは単に自分の表現する道具であって、中身の方はこちらの方なんですよ。 ところが、それが日本の中でできているのかと。
国際化の中にあっても、日本人を日本人たらしめる、そういう精神的支柱を有してこそ、日本人は国際社会の中で価値ある地位を占めることができるものと私は考えております。こうした教育、しかし即席につくられるものではありません。親の愛、社会のまなざし、恩師の指導、またよき友人、多くの人々に支えられて成り立つ。効率性を物差しにして評価できる、そういったものでは決してないと私は考えております。
○田中(良)分科員 やはり日本人が世界に誇るべきもの、これは日本人たる倫理観の高さだと私は思っております。道徳という部分に関してはしっかりと習得できるような、そういうプログラムを推し進められるような力をぜひこの学習指導要領の中にしっかりと入れていただきたいと思います。 そしてもう一点、学力という部分に関してちょっと質問させていただきたいと思います。
憲法二十条の信教の自由という問題があって、公教育の中で宗教教育をするということについては決していいとは思いませんが、しかし日本人の日本人たるゆえん、その歴史的背景、自然に対する畏敬の念、このことはしっかりと学んでいかなければならないというふうに思います。 よろしいでしょうか。
確かに技術的にはすばらしいのでありますけれども、その技術を習得するのに長い年月がかかったり、あるいは費用がかかったり、こういうようないろいろな障害が存在するわけで、我々が日本の日本人たる伝統的な工芸品を生み出す技術というものは、これからも後世に間断なく伝えていかなければならない我々の世代の宿題だと思っております。
○政府参考人(矢野重典君) 先ほどのスーパー・イングリッシュ・ランゲージ・ハイスクールでございますが、基本的にはその高等学校の英語担当の教諭、日本人たる英語担当の教諭が教えるわけでございますが、併せてその助手として外国人であるALT、英語指導助手が、の応援を得ながらそういう授業が行われるものでございます。
その段階で、日本語の時間が非常に削減されてしまっている、それで英語の方をやろうじゃないかという話が出るということは、ある意味からいえば、先ほどの棄民と難民というものに通ずると思いますけれども、日本人がみずから日本人たるところを捨ててしまっているということになるのではないかということを非常に心配しております。
○冬柴議員 私は、今江田議員の挙げられました二つのことも排除するものではありませんが、より多くは、地域のことは地域の住民が自主的、自律的に定めるべきである、決定すべきである、それがその地域の伝統や文化をはぐくみ、またその地域に住む人々にきめの細やかな行政が行われる、そういうような住民自治あるいは地方分権という観点から、それには日本人たる、日本国民たる住民以外にも、そこに住み、そして、先ほども申しましたけれども
こういう生活実態が我々日本人たる住民と変わらない人たちには、限りなく日本人と同様の扱いをしてしかるべきではないか。 このような考え方から、我々は、法律に基づいてこの人たちに選挙権を付与すべきである、これが二十一世紀の共生社会、あるいは、質問者がおっしゃいました国際化の中で我々立法府としてとるべき立場であろう、こういうふうにかたく信じているところでございます。
それは、そこに住む人ということは、単なる日本人たる住民だけではなしに、コミュニティーを構成する外国の人々もその地域づくりに参画をして、そして、その地域地域が最高に伝統、文化を尊重して発展していく、そういうものが日本の憲法の、少なくとも地方自治の章の精神であろうというふうに思っております。
それはもう当然のことで、私は、その中でやっぱり日本の一つの歴史、伝統の中で、日本人たるゆえんというか、これは歴史がそういうふうなことを語らせているのかなと思うんですけれども、やっぱり男らしさ、女らしさというのはある意味ではうんと大事なんです。
日本は何をもって日本という国家を形成し、そして日本人たり得るか、そして日本人とは一体何かという、そこのところを、偏狭なナショナリズムではない形でどう展開するかということが非常に大事だ。
このようにされておりまして、ここに言う「住民」は、日本人たる住民と外国人たる住民を含むことは明らかであります。十一条には日本人たる住民という定義がありますから、その意味では、地方自治法に言う「住民」は内・外国人を含み、そこに住んでいるかどうかということで住民の定義がされているわけであります。
だけれども、日本人たるゆえんといいますか、そういう意味で、日本人が日本人であることに誇りを持つということはまたこれは大切なことである、こう思ったときに、今までなれ親しんできた国旗・国歌、日の丸・君が代というものを、ここで、その帰属性を持つため、最低限の同一的な私たちの誇らしいものを持つために、今回法制化するということは、これは非常に大切な話であると思っているんです。
けれども、地方においては、その地方における住民が直接選挙で、その長あるいは議会の議員を選ぶという、片や国民、片や住民、使い分けているわけでありまして、住民の中には当然に、日本人たる住民と外国人たる住民があって、私は、そのような地域を、コミュニティーを構成する両者が、そのニーズに従って、そこの地域をどのようにしていくのかということを決めていくべきだろう、彼らも税金を納めているわけですから。
日本人が日本人たるためには、やはり日本人であることが国際の中で生きていけることなのでございますので、日本人である努力をすると同時に、国際的な活動をさせなきゃならない。そのためには、私たちの大学でも外国に国際的な姉妹大学をつくりましたり、教官を交換いたしましたり、学生をそこへ留学をさせます等、これは各大学でもおやりになっています。
そう考えると、米の自給というのを一〇〇%に維持することの大切さ、それは、私が冒頭述べました米作文化論、日本人が日本人たるゆえんは米で、米をつくるからだというような考え方のもとには、大変ありがたい政策があったから今日自給一〇〇%になっただろう、こう思っております。
この人たちは、戦前は日本人たることを強いられ、戦後は日本との平和条約の発効に伴い、必然的に日本国籍から離脱させられ、現在に至るまで十分な補償を受けることもなく、その上さまざまな民族差別を受けてきたのであります。最近になりまして、ようやく関係者の口から侵略戦争や植民地支配についての反省が表明をされ、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化の交渉等も開始されてきました。