2015-04-21 第189回国会 参議院 厚生労働委員会 第8号
○川田龍平君 この七三一部隊の研究データというのは、米国にこのデータと引換えに、提供することと引換えに関係者がその責任を免れて、薬害エイズ事件を引き起こしたミドリ十字の前身の日本ブラッドバンク社ですとか、また同意なき人体実験問題を起こした金沢大学の医学部、またディオバン事件を起こした京都府立医大などに民間の研究者として生き残っていったという、この事実を改めて指摘をしておきます。
○川田龍平君 この七三一部隊の研究データというのは、米国にこのデータと引換えに、提供することと引換えに関係者がその責任を免れて、薬害エイズ事件を引き起こしたミドリ十字の前身の日本ブラッドバンク社ですとか、また同意なき人体実験問題を起こした金沢大学の医学部、またディオバン事件を起こした京都府立医大などに民間の研究者として生き残っていったという、この事実を改めて指摘をしておきます。
日赤と新公益法人をつくる田辺三菱製薬の前身は、元々は、もう三菱ウェルファーマ、ウェルファイド、吉富製薬と、その前のミドリ十字ということで、前身なんですけれども、その元々のもの、前身の日本ブラッドバンクの創設者というのはどなたか御存じでしょうか。
○川田龍平君 このミドリ十字の前身の日本ブラッドバンクの創設者の内藤良一氏というのは、帝国陸軍七三一部隊の軍医中佐だったというのを大臣は御存じでしょうか。この内藤氏の死後、社長となった松下廉蔵氏は、薬害エイズの被告人であり、当時の厚生省からの天下りでしたが、それについては御存じでしたでしょうか。
この論文を書いた人はどなたかといいますと、一番最後にありますが、株式会社日本ブラッドバンク専務取締役内藤良一。その後のミドリ十字の社長になっていく人物であります。これは、乾燥ヒト血漿についてその功罪と私の罪業ということで、自分がいかに誤っていたかというおわびの文章なんですね。
ところが、売血が温存され、日本ブラッドバンクはミドリ十字と社名を変えます。沈没し掛かっていた状態から脱出する。 その次、六ページ、七ページにミドリ十字の三十年史を資料で入れておりますが、ミドリ十字の三十年史で何と言っているかというと、アンダーライン引いた部分ですが、血漿たんぱく分画の分野においては既に積極的な製品化が行われ、他社の追随を許さぬものがあった。
ミドリ十字の前身というのは一九五一年に創立された日本ブラッドバンク社です。これは売血を集めて輸血用に販売する血液銀行であります。一九六四年にライシャワー事件が起きた。輸血によって肝炎になった。そのとき、黄色い血ということが大問題になりました。輸血後肝炎による黄疸、あるいは売血を繰り返すために血液自体が赤血球が少なくなって黄色く見えるということから付けられた名前であります。
私が昭和三十七年に就職しました会社が日本ブラッドバンクという、ミドリ十字という会社でございまして、今血友病患者のエイズの問題は私の会社としても大変大きな問題として認識をいたしておりますし、解決しなければならない問題だというふうに先生と同じ血液関係の仕事をしておりますので思うわけでございます。
大体、きのうの午後三時半か四時までに保存血液必要量を日本ブラッドバンク長岡営業所から新潟向けに輸送いたしておりまして、なお、午後五時、東京からも保存血液を新潟に向けて発送いたしております。そして新潟市にはすでに災害救助法の発動をいたしております。