1973-06-06 第71回国会 衆議院 公害対策並びに環境保全特別委員会 第24号
それから昭和四十四年に日本化学会で、ある人が水銀廃液の処理法ということに関する講演をしておりますが、その中に日本合成法及び日本ガス化学法特許という廃液処理の紹介があっております。これにもまだ何とカーバイドかすを使っております。これは私どもの仕事を見ていらっしゃれば明らかにわかっておるはずです。しかもそれをごらんになってないということは、いかに不勉強であるかといわざるを得ません。
それから昭和四十四年に日本化学会で、ある人が水銀廃液の処理法ということに関する講演をしておりますが、その中に日本合成法及び日本ガス化学法特許という廃液処理の紹介があっております。これにもまだ何とカーバイドかすを使っております。これは私どもの仕事を見ていらっしゃれば明らかにわかっておるはずです。しかもそれをごらんになってないということは、いかに不勉強であるかといわざるを得ません。
ところが、通産省のほうでは、御承知のように、先ほども申し上げましたけれども、日本ガス化学浜松工場あるいは農薬というようなものも、昭和電工と同じようにその原因の一つに数えられて、複数的な原因であるからこれを断定するわけにはいかないというような話があったわけであります。
ただ、日本ガス化学の松浜工場がどうかということについては、現地を視察した結果、そこからは絶対に阿賀野川には流入はしない、こういうふうなことが実証されておるようでありまして、どう考えても、通産省のほうが言われていることは、私はふに落ちないといわざるを得ないと思うのです。
あるいは日本ガス化学の松浜工場、あるいはまた農薬、こういうふうないろいろなものが複合してこういうふうな事態になったということで、疑わしきは罰せずということで、この厚生省の結論は少し穏当ではない、正当ではない、こういうふうな見解を発表しておると聞いておりますが、その点いかがですか。
○工藤委員 これも調査の報告書の概要が出てこなければ、私どもも最終的にどうということは言えませんけれども、すでに科学技術庁のほうでも大要がまとまった、ということが報道されているわけでありますが、それによりますと、たとえばこの下流のほうに日本ガス化学、こういうものがあって、これが水銀を扱っておって、その排水が一部関係しているのではないだろうかという意見も出てきている。
○小沢(貞)委員 だんだん長くなりましたから、私は言いませんけれども、たとえば日本ガス化学をオミットした結論は、こういうことが書いてあるのですね。生産量四百トンというのはうそっぱちで、年間一万トンもやっているのです。それも、新井郷川のほうへ阿賀野川から流れておったから、これはやらなかった、そういうことも理由の一つなんです。
日本ガス化学のほうは、新井郷川のほうへ阿賀野川から流れてきたというような疫学班の報告でもあり、科学技術庁に出された厚生省の結論だと思います。ところがその後明らかになったところでは、いやそうではないというような、重要な水の流れのことが変わりました。
それと同じ価値において、日本ガス化学も断定できるはずはないと思います。そういう意味においてはいまの発言を認めます。しかし九月何日かに食品衛生調査会が結論を出し、科学技術庁に答申しました、そういうときには、汚染の一番根元にある日本ガス化学の排水口の水ゴケからメチルの痕跡が出たということは、いまだかつて報告していないわけです。そういう後において、これは内外に発表したものである。
毎々私は申し上げておるけれども、地震の直後に農薬が埠頭倉庫から大量に流出したというような問題、それから、そのすぐ近くに日本ガス化学という会社があるのではないか、そのすぐ隣に農薬を調製だか、つくっているところの北興化学という会社もあるのではないか。
○石田(宥)委員 次に伺いたいことは、日本ガス化学というのがちょうど一日市の近く、患者が発生した近くにあるわけです。これも問題になりまして、一部には、浄化装置などは全く無意味だ、こういう議論、もう一つは、土砂の中に流入した場合にはクイックサンドの現象となって阿賀野川に出た可能性があるのではないか、新潟地震の際に至るところにクイックサンドの現象が起こった、こういう意見が前に出ておるわけです。
○松尾政府委員 御指摘の日本ガス化学工場の排水については、一応精留ドレン排水について中和沈でんを行なったということは調査班でも研究してございまして、確認しているわけでございます。 それから熊本で水俣病が騒がれましたあと、そういう汚水の処理を企業側がいたしましたあと、最近まで患者が出ていないということも事実でございます。
そういたしますと、日本ガス化学や北興化学というものが、クイックサンドの現象で云々というような議論がだいぶ行なわれたようでありますけれども、これはクイックサンドというものに対する無知であるか、あるいはまた、新潟地震というものに対する認識の欠除によるものではないかと私は考えているのです。
それから第二点としては、この汚染地帯のどまん中にあってアセトアルデヒドをつくっておった日本ガス化学、これはまだ十分調査をされておらないようですが、これも疑わしいものの一つとして、調査をしなければならないものではないか、これが第二点。
ただ、おそらく疫学班といたしましては、その他の条件、出てまいりましたいろいろなデータというものからも考えまして、いわば総合判定的に結論を出したものと考えられるわけでございまして、この点につきましては、私、必ずしもつまびらかではございませんけれども、加治川の水が、かりにもとの流れといたしまして、水路を通ってまいったといたしましても、下のほうにあります日本ガス化学の排水というのが、もしきわめて河口に近いときには
右のほうの字のまん中ごろに、「2、新井郷川について、(1)日本ガス化学創業以前は魚種として、コイ、フナ、シジミ、(2)工場創業後は周辺河川はとれなくなり、排水機場上流で漁獲をしている状況である。(3)シジミについては一部いまだ生存しているところがある。」こういうことです。つまり、ここのはみんなもうなくなってしまっているわけです。その中を水が行ったり来たりしているわけです。
そこを阿賀野川のほうから新井郷川のほうへ水が流れておったから、その新井郷川のわきにある日本ガス化学については調べませんでした、こういうことが書いてあるわけです。この日本ガス化学というのは、「新井郷川」と書いてあるすぐ隣にあるわけです。そして、疫学班では、六十五キロ上流の昭和電工鹿瀬においては、年間一万九千トンのアセトアルデヒドを生産しておった。
○小沢(貞)委員 それじゃ通産省にお尋ねしますが、日本ガス化学の製造量及び水銀消費量、わかっておりましたら——昭和電工に比べて生産量は約半分なんですが、私もわかっていますし、大体のところでけっこうです。
○小沢(貞)委員 日本ガス化学は、ここの設備を昭和四十一年の初めまでやっていたと思います。これは通産省のほうに聞きたいと思いますが、四十一年の初めだと思います。この新聞発表は四十一年の六月十六日ですか、この間に、日本ガス化学のほうはプラントを片づけたり、すっかり清掃が済んでいると私は聞いております。昭和電工のほうは何でもなかったと思うのです。
○吉光説明員 さようでございまして、昭和三十九年、昭和電工が一万九千四百七十六トンのときに、日本ガス化学の松浜工場は九千五百三十九トンでございます。
その内容は、奥只見発電所、田子倉発電所をはじめとする只見水系の発電所及び新潟火力発電所、帝国石油株式会社の南阿賀油田、日本ガス化学工業株式会社の松浜工場、石油資源開発株式会社の紫雲寺ガス田、見付油田の実地調査のほか、地場産業としての福島県会津若松市の漆器工場団地、並びに新潟県燕市の金属洋食器製造業の実態についても調査をしてまいりました。
視察個所は、電発の奥只見発電所、大鳥発電所建設現場、石油資源開発の見附、申川、秋田沖の各地区及び帝石の八橋油田、三菱金属鉱業の尾去沢鉱業所、秋田製錬所、日本ガス化学の松浜工場、東北電力の新潟火力発電所建設現場であります。 これらの視察を通じまして、私どもの感じました点と、現地の関係者の要望の概要を御紹介いたします。
帝国石油、日本ガス化学等、大手十九社の企業が、天然ガスの採取によって、日産七十万立方をこえるガスを取っております。これに伴ってほとんど同量の地下水はくみ上げられているのであります。昭和二十八年以来、ガス産業の興隆と並行いたしまして沈下速度を加えて参りまして、今日その様相はまことに異常なものがあります。被害地域もまた拡大されてとどまるところを知らないのであります。
なお、東北地方の住民の所得水準の向上のためには、第二次産業の振興に重点を置き、特に秋田、酒田港等の臨海工業地帯の整備に特段の配慮が必要でありますが、これについて、今回の視察により、北海道東北開発公庫による融資が地方産業確立の上に非常な効果を上げておることが、日本ガス化学、秋田ガス化学等に如実に示されておりますることを見て参りましたが、今後公庫の活用については十分大きな期待を持って措置すべきであることを
なお、視察個所は新潟、富山、石川の各県庁の労働基準局、婦人少年室のほか、新潟県下においては、新潟保健婦専門学院、身体障害者更生指導所、身体障害者更生相談所、義肢製作所、礎保育園、日本ガス化学株式会社工場、富山県下におきましては、株式会社広貫堂、石川県下におきましては、小野陽風園、北日本紡織株式会社工場、国立石川療養所等でございまして、御報告の内容を項目的に申し上げまするならば、生活保護法の問題、あるいは