1967-03-23 第55回国会 参議院 決算委員会 第3号
このほか、砂糖価格の低落に対処し、国内産ブドウ糖の生産の維持及び価格の安定をはかるため、日本ぶどう糖工業協同組合が行なった国内産ブドウ糖の調整保管事業について助成いたしました。 また、畜産振興事業団の行なう価格安定業務の円滑な実施をはかるため、同事業団に四億円の追加出資を行ないましたほか、糸価安定特別会計においても、前年同様に繭糸価格の安定をはかりました。
このほか、砂糖価格の低落に対処し、国内産ブドウ糖の生産の維持及び価格の安定をはかるため、日本ぶどう糖工業協同組合が行なった国内産ブドウ糖の調整保管事業について助成いたしました。 また、畜産振興事業団の行なう価格安定業務の円滑な実施をはかるため、同事業団に四億円の追加出資を行ないましたほか、糸価安定特別会計においても、前年同様に繭糸価格の安定をはかりました。
それから、その新友会に寄付をされた寄付者別に申し上げますと、内訳は——それはノートとってくださいよ——日本ぶどう糖工業会のほうが九千二百二十七万五百円ですよ。共和グループのほうの寄付は二千百九十七万円です。いいですか、東海糖業、これは二百六十二万円です。松谷化学工業は百八十三万四千七百五十円です。その他となっております。これはあとで照合していただきます、自治省。
そこで新友会の収入は、日本ぶどう糖工業会からの献金が九千二百二十七万円ございます。そこで、菅貞人氏は昭和三十五年の四月にこの日本ぶどう糖工業会の副会長になった。昭和三十九年の四月に会長になった。
さらに越山会は、菅貞人氏が日本ぶどう糖工業会の会長をしていたその時期に、この工業会から三十八年と三十九年に各五十万円ずつ、計百万円を受け取っておられます。額はきわめて少ないといわれるかもしれません。しかし、これはもちろん表面に出ただけの数字であります。
三十四年には共和精糖の社長、三十五年には社団法人日本ぶどう糖工業会の副会長、」等々とずっと出ております。ちょっとはしょります。「京浜糖業、これは三十三年にたしかできたと思うのです。で、このときは、代表者は必ずしも菅さんではなかったと思うのですが、三十四年に菅さんが社長になっていると思う。それから島藤澱粉化学、これはこの京浜糖業の前の会社の名前なんですね。これが三十三年です。
三十四年には共和精糖の社長、三十五年には社団法人日本ぶどう糖工業会の副会長、三十六年が共和糖化工業の社長、三十六年は日本甘庶糖工業会の理事、三十七年が社団法人甘味資源振興資金管理会の理事、同じく三十七年が全国澱粉糖工業会の振興会会長、同じく三十七年が新日本シュガー協会の理事、同じく一二十七年が南栄糖業取締役副社長、三十七年が社団法人日本農林規格協会副会長、三十八年が南島開発取締役会長、三十八年同じく
それから日本ぶどう糖工業協同組合に持たしておりますものが三万トンあるわけでございますが、そのほか政府が買い上げているものが二万五千トンあります。こういうものが一応現在三十九イモ年度の供給量になることを考えまして、供給量を計算します。そういうことにいたしますと、先ほど申し上げましたような二十八円五十銭という数字が出るわけでございます。
参 考 人 (日本ビート糖 業協会会長) 長野 善三君 参 考 人 (日本甘蔗糖工 業会会長) 長島 正久君 参 考 人 (新日本ビート シュガー協会理 事) 鈴木 昇君 参 考 人 (日本ぶどう糖
農政調査委員会事務局長東畑四郎君、日本てん菜振興会理事長永野正二君、日本てん菜振興会てん菜研究所支所長嵐嘉一君、北海道副知事斎藤斉君、日本ビート糖業協会会長長野善三君、新日本ビートシュガー協会理事鈴木曻君、日本甘蔗糖工業会会長長島正久君、日本ぶどう糖工業会専務理事首藤哲君、日本精糖工業会会長藤山勝彦君、ほかに北海道農業協同組合中央会参事の鈴木善一さんがおいでになることになっておりますが、飛行機の都合
(2) 検査機関 検査機関は「社団法人日本ぶどう糖工業会」とする。 (3) 検査 検査の詳細については別に定める「ぶどう糖の検査実施要領」によることとし原料でん粉の政府払下げの有無にかかわらず全量受検するよう指導するものとする。
参 考 人 (日本ビート糖 業協会会長) 宮本 来治君 参 考 人 (ホクレン農業 協同組合連合会 会長) 小林 篤一君 参 考 人 (日本てん菜振 興会理事長) 永野 正二君 参 考 人 (日本ぶどう糖
○田口委員 日本ぶどう糖工業会の川村さんにちょっとお伺いしたいと思うのでございますが、先ほどあなたが読まれました陳情書の趣旨は、新会長として旧会長がきめられた方針を踏襲されるということで、これはまあ一通り道義上必要であるかと思うのでございますが、今のブドウ糖業界の状態から言いますと、どうも過去のことをお考えになっておって、新しい事態になった今日の実情によってブドウ糖工業をどう持っていくかということには