2020-12-02 第203回国会 衆議院 厚生労働委員会 第8号
大臣も御承知かと思いますけれども、港区に日新窟というベトナム系の方が多く保護される寺院がございます。私もせんだってそこに行ってまいりましたが、多くの外国人にとっては、SNSでそこにたどり着くということで、やっとほっと守られるということなんだと思います。 今大臣がおっしゃったように、急にこれに書いたってすぐには見られない。
大臣も御承知かと思いますけれども、港区に日新窟というベトナム系の方が多く保護される寺院がございます。私もせんだってそこに行ってまいりましたが、多くの外国人にとっては、SNSでそこにたどり着くということで、やっとほっと守られるということなんだと思います。 今大臣がおっしゃったように、急にこれに書いたってすぐには見られない。
その中で私の地元の呉市なんですけれども、日鉄日新製鋼の呉製鉄所というのがあるんですけれども、これが、工場の閉鎖ということが方針が発表されて、ちょっとこれ本会議でも指摘をさせていただきましたけれども、これは、この日新の呉工場で働く皆さん、さらにはその関連会社三千三百人の雇用の問題もありますけれども、地方の全体の今後の将来に向けての様々な不安というものが今非常に高まっているというふうに思っております。
御指摘の日鉄日新製鋼呉製鉄所を含め、こうした事業所の閉鎖に当たっては、地域の方々に丁寧に説明を尽くし、地域経済や雇用への影響を緩和するように努力をいただくことがまず第一ではありますが、政府としても地域の雇用を守るための対応を講じてまいりたいと思います。
それから、北太平洋は、鯨類研究所がやっている沖合船団、日新丸で捕っているミンククジラが百頭で、沿岸の沿岸小型捕鯨が捕っているのが百二十頭あったんですが、名前だけ商業捕鯨ということに変えて百二十頭という提案をしたわけですね。ただし、これは同床異夢になっていて、反捕鯨国からすれば商業捕鯨とは言わないと。あとの鯨も入れても、沿岸も三百八十頭が二百二十頭。
今の日新丸はグラビティーというか重心が上がってしまっていますから、それから老朽化しています。昭和六十三年の建造ですから、これも新しくしなくちゃならない。 ただ、母船を、ただ海に浮いているキャッチャーが、要するに加工型じゃなくて、例えば北太平洋に持ってきたらトロールができるだとか巻き網ができるだとか、そういう能力を併せて付けていく、マルチパーパスですね、北欧で言う。
また、三十一年ぶりに捕鯨業者にとっては念願の商業捕鯨が再開されたわけでありますから、二百海里内で操業する日新丸に代わる母船の新造を含め、捕鯨業に関わる方々が安心して働ける環境の構築、また、若い方々の中には、一度も鯨を食べたことがないという方も今たくさんいらっしゃいます。学校給食も含めて、多くの人に食べてもらって日本の食文化を継承していくことができるように、国の支援が必要であります。
これらの操業は、日新丸船団による沖合での母船式捕鯨と沿岸捕鯨により行われる予定でございます。一方、商業捕鯨が三十年にわたって中断されていたことに鑑みまして、今までの調査水域に限定しない形での操業ということでございます。 そういうことから、国といたしまして、漁場の探査や捕獲、解体技術の確立などについて必要な支援を行うこととしております。
東京都内に日新窟というお寺があるんですが、二〇一二年から今年の七月までに亡くなった八十一人ものベトナム人留学生や実習生の位牌が並んでおります。これ、過労死や自殺だということなんですね。 確認しますけれども、これ、政府は、この留学生が劣悪な環境で働かざるを得ないという、こういう問題を把握をされているんでしょうか。
近くには、勝平小学校、マンモス校の日新小学校、勝平中学校、栗田養護学校、秋田商業高校などがあり、隣接する建物からは演習地が丸見えということだそうです。このような場所を最適候補地とするなど、私はおよそ理解できないと思います。 そこで、防衛省が提出した、「弾道ミサイル対処能力の総合的な向上に関する施策の方向性」と題する資料があります。これは、請求して、いただきました。
この問題を何とか対策をするということで、罰金というんですか、罰則が百倍になったんだなというふうな認識をしているわけでございますが、そんな中で、経産省として、この品質の不正問題というんですか、そこの問題の本質はどこにあったと認識されているのかというところと、今回の罰金刑の引上げという抑止力は今後どの程度効果を発揮すると考えておられるのかというところをお聞きしたいのと、さらには、電機産業の仲間の中に日新電子工業
本法に基づいて、調査母船の日新丸の代船の検討を進めていただいていると承知しております。 本法では、このように鯨類科学調査に関するさまざまな政府の責務が規定されているわけでありますが、その中で、政府は、鯨類科学調査を安定的かつ継続的に実施するために、基本方針を定めることとしております。 そこで、副大臣に御質問をさせていただきます。
この鯨類科学調査に用いられている調査母船の日新丸についてでありますが、船齢三十年を超えておりまして、老朽化が進んでおります。鯨類科学調査の安定的、継続的な実施のためには、その代船建造について早急に検討しなければならなかったわけであります。捕鯨関係者からは、長年にわたり、新造船への強い要望があっておりました。
今、委員からも御紹介いただきましたように、現在調査に用いております捕鯨母船の日新丸につきましては、船齢が三十年に達し老朽化しており、関係者からの代船建造の要望も大変強いと認識しております。 水産庁といたしましても、母船の代船を建造することは、商業捕鯨の再開を目指すという我が国の強い姿勢を内外に示すことにもなることから、早期に検討すべき課題と考えているところでございます。
○国務大臣(齋藤健君) 調査母船の日新丸につきましては、船齢が三十年に達し、老朽化をしており、関係者から代船建造の要望も強いということは委員御指摘のとおりです。農林水産省といたしましても、調査母船の代船を建造することは商業捕鯨の再開を目指すという我が国の強い姿勢を内外に示すことになることなので、早期に検討すべき課題だと考えています。
今、新南極海鯨類科学調査ということで、NEWREP―Aというふうに言っておりますが、今現在調査が始まっているところでありますけれども、ここに行っている調査船団の母船日新丸、これ大変に高船齢の母船でありまして、早く造り替えていかなければいけないのでありますが、来年度の予算概算要求において、調査母船の代船コンセプトを含む目指すべき商業捕鯨の姿を検討する経費ということが要求されているわけであります。
我が国は、妨害船を阻止するような船も新造しなければならないと思いますし、また調査に使用される調査母船日新丸、これも私も乗せていただきましたけれども、一九八七年にトロール漁船として建造された船を改造して調査捕鯨の母船として調査捕鯨に従事してきました。船体年齢は三十年に達しようとしているわけであります。
今御指摘ありました日新丸につきましては、平成二十四年、二十五年に大規模な改修工事を実施いたしまして、平成三十四年頃までは鯨類捕獲調査の実施に使用できると、このように考えておるところでございます。他方、日新丸の船齢が三十年近くになることや更なる改修の要望もありますことなどから、代船の建造も含めまして検討をしていかなければならない問題と、このように考えておるところでございます。
改めて、福島は教育旅行の聖地だということで、特に私の地元は古く日新館というのがあって、これは小泉さんのときに新潟の米百俵の話がありましたけれども、もうそれより以前に、藩の財政が厳しいときに、全部コストカットするけれども、逆に藩校を建てて教育をちゃんとやらなきゃいけないということで日新館をつくって、かの長州の吉田松陰でさえ視察に来ている。まさに教育の聖地というのは昔からあったわけです。
○政府参考人(本川一善君) 調査母船の日新丸につきましては、御指摘のとおり、二十四年と二十五年に大規模改修を行いまして、腐食が進んだ燃料タンクの修繕でありますとか船体外側の傷んだ鉄板の取替え、さらには経年劣化したスクリューやシャフト軸の交換などを行ったところであります。これによりまして、造船会社からは、改修後十年程度は鯨類捕獲調査に使用できるという報告を受けているところでございます。
この調査捕鯨でありますが、現在は日新丸という船が、元々はトロール船だったものを改造してずっと長らく使っているところでございます。
また、この二〇〇六年は、たまたま日新丸が火災を起こして途中で調査を切り上げるというようなことがありまして、五百五頭となったわけでございます。 その後、二〇〇九年には、大型船二隻と高速艇三隻によりシーシェパードが妨害を実施する、シーシェパードの活動家二名が船内に侵入したため調査を中断するという事態に相至って、五百六頭となったわけであります。
私どもとしても、この二十三年度、二十四年度、二十五年度につきましても多額の、まあ新聞などでは批判をされておりますが、例えばシーシェパードの妨害対策、あるいは調査に要するような経費、そういったものにつきまして支援をさせていただいておりますし、それから、日新丸の改造でありますとか、そういう漁業構造改革の事業についても、私どもとして多額の支援を行いながらまさに国策として実施をしておる、そのようなことで支援
しかし、実際には、この妨害行為というのは、今お手元に資料をお配りさせていただいておりますけれども、船体を、日新丸という調査捕鯨船でありますけれども、それにぶつけてきたり、右の下の方に絵がありますけれども、どくろマークをつけて、まさに海賊っぽい外形上の形態をみずから示しているわけであります。
これが商業捕鯨になりますと、今の日新丸みたいな一台で行くんじゃなくて、船団を組んで行って、これは当然、利用可能な資源の範囲内でということになるんでしょうけれども、まさに一番利益が上がる形でやっていく。そこが今の調査捕鯨とはかなり違っております。
当時、新屋の日新小学校は秋田県で一番のマンモス校と言われておりまして、二千人の生徒のうち、その半分が十條製紙関連の家庭の子供だったと言われております。ところが、その十條製紙が工場の縮小に伴って秋田工場が閉鎖されて、多くの皆様が宮城県の石巻工場に移られた。その石巻工場は今回大津波で大打撃を受けまして、たくさんの方がお亡くなりになりました。
私は会津って言いましたけれども、百四十三年前、会津が負けて斗南藩に流されたときに、はだしで極寒の中を生活していながら、あの当時の先人たちは日新館という藩校の本を全て持っていって、そして教育をやっていたんですよ、食うものも食えない中でも。教育というものはやっぱりそれだけ大事だということです。そして、途絶えさせちゃいけないということです。