1971-11-24 第67回国会 衆議院 本会議 第18号
事実、沖繩が対日平和条約締結に至るまでの戦時下、占領時代、さらにこれを事実上延長した対日平和条約第三条という不当な占領措置を通じて、二十六年間、ひたすら本土復帰を念願し、沖繩返還運動を進めてきたのは、沖繩の国民大衆であります。
事実、沖繩が対日平和条約締結に至るまでの戦時下、占領時代、さらにこれを事実上延長した対日平和条約第三条という不当な占領措置を通じて、二十六年間、ひたすら本土復帰を念願し、沖繩返還運動を進めてきたのは、沖繩の国民大衆であります。
ガリオア・エロア対日援助が行なわれておりましたのは、対日平和条約締結前の日本がアメリカ軍の占領下に置かれておったときのことでございます。当時は、わが国の主権の上に連合軍総司令官の超憲法的な権力がわれわれを支配しておりました。
(拍手)また、対日平和条約締結の責任者でありました吉田元首相は、平和条約締結後の昭和二十八年七月の衆議院予算委員会におきまして、ガリオアの問題に関する答弁を行ない、それは法的債務ではないが、独立国になれば、独立国民の名誉から、援助を返したい、こういうふうに答弁しておる。緒方副総理も、それから約二週間後に、ガリオアは法的に確立した債務ではない、道義的なものであると答えておるのであります。
しかし、ガリオア・エロア対日援助が行なわれました時期は、対日平和条約締結前でありまして、日本は連合国軍の、実質的にはアメリカ軍の、占領下に置かれておりまして、わが国の主権は連合国総司令官マッカーサーの超憲法的権力のもとに置かれ、独立は奪われ、外交権は全面的に停止せられ、貿易は全面的に管理せられておった時期であります。