1971-05-19 第65回国会 参議院 逓信委員会 第18号
だから日常闘争が足りないのだということを反省されておりましたが、それに尽きるのだと思うのですけれども、われわれは、少なくとも国会というのは国民の意思を結集しておるところですから、この制度の趣旨にかんがみて、こういう方法をとってほしいということを全回一致で、全員できめておるわけです。
だから日常闘争が足りないのだということを反省されておりましたが、それに尽きるのだと思うのですけれども、われわれは、少なくとも国会というのは国民の意思を結集しておるところですから、この制度の趣旨にかんがみて、こういう方法をとってほしいということを全回一致で、全員できめておるわけです。
したがって、これはそのときだけじゃだめなんでございまして、そういうのをひとつつかまえながら日常闘争をしなければいけない、そんな気持ちでひとつ御要望に沿いたいと、かように存じます。
それから、政治も日常闘争であるとも言われております。ですから、国民の求めているものを、それぞれの政党が公約としてこれを取り上げ、これを実行に移す努力をすることも、私は当然あるべき姿と考えております。しかし、先ほどから繰り返して申しておりまするように、この担当した塚原、私は、決してさようなことを考慮に入れて、頭に入れてやったわけではございません。
そうして労働条件維持向上のために日常闘争を幾多展開し、しかも今日では、中小全業の中では、この労働法に基く各種団結権、団体交渉等十分に展開され得る条件を持っておらない点もあるのです。ところが、そういうことになってきますというと、むしろ非常に低い部分が下積みになってくる。
三、学外のいわゆる民主団体と提携して日常闘争に努力しております。それは報告書に、次のように述べております。「更に広い父兄との協力の為に「洛北民主協議会」をつくる」「この洛民協の結成が殆んど旭丘の民主勢力の積極的な働き」かけで出来たものである事を考えてみる時、まるで雪だるまの様に私達の民主勢力が伸びている事を確認するのである。」「私達はすぐにうまく機会を捉えた。
(拍手)しかも、党内には日教組の公認する日政連に属する代議士のほとんどを擁しておるのでありますから、日常闘争という社会党のうたい文句からしても、わが国の教育界に政治圧力が加えられつつあることは明らかであります。
たびたびこれは衆議院においても述べられたことだと思いまするが、労働組合の日頃の日常闘争ということは、単にあなた方がよくお考えになり、述べられておるように、ただ日常の労働条件改善のみに制約されるものではないのであります。やはり労働組合はその社会的地位の向上なり、労働組合員の文化向上、教育ということも、これは重要な部門に入つておるのであります。
この行動隊の使命は、日常闘争において突破口の打開、各種闘争への参加協力をなすことにありますると共に、終局的には、人民政府樹立の際の最前線の実行行動部隊たる役割を果すことにあるのでございまして、すべて軍隊組織を持ち、各地に分駐いたし、最近におきましては、従前の各地分立方針を一擲いたしまして、強固なる中央集権の統制態勢を確立し、日夜不逞な訓練を画策実施いたしておる模様があるのでございます。
四といたしまして、以上の工作を主観的な満足で足ることなく、各労組の日常闘争に結びつけて、経済闘争を通じた政治的闘争に高めることに留意すること等の基本方針の下に、当面の任務を遂行するためには全国的な工作活動を展開するよう意図していたことは、これは工作隊一齊検挙の際に押收された、祖国解放戰争と在日朝鮮青年の当面する緊急任務と題する証拠書類によつて明らかにされているのであります。
目下の一部朝鮮人の闘争目標とすするころは、前に申上げました朝鮮人送還反対、それから同時に彼らの臆測に基くところの資産凍結反対闘争を講和闘争に集約して、これを進歩的日本人日常闘争に結合せしめて軍需生産妨害、輸送拒否等朝鮮内戦を勝利に導くための一切の鬪争へと指向しつつあるのでありまして、今の階段ではまだ組織の準備の階段と見て差支えなかろうと考えております。
すなわち学園闘争、朝鮮人学校騒動、あるいは釈放闘争など日常闘争と、職よこせ闘争、反税闘争、レツドパージ闘争、就学闘争など経済闘争とを、政治的権力闘争へ結合発展せしむることは、共産党の活動の方針でありますが、これとまつたく一致いたしておるのであります。
本年の六月六日のマ司令部の書簡によります共産党中央委員等の追放指令発表後におきまする共産党は、県下各所にビラ、壁新聞等を掲出、配布して果敢なる日常闘争を展開したのであります。こういうような状態でありまして、現在非常に困つております。滋賀県におきましては割にこの問題は簡單でひどくありません。警察制度につきましてはいろいろの問題が残つておりますが、これはまあ時間の関係で省略いたします。
それから第五ラーゲルに参りましたのは、昭和二十三年の九月でありましたが、そこにおきましては、地区の反動前職者というものが一様に集められまして、作業なり、思想運動に重点を置かれて、ラーゲルの日常闘争を実施して行きました。 その他タシケントあるいはアングレンというような所は、時間が不足しますので省略させていただくことにしまして、最後のカラカンダ地区における状況を報告させていただきたいと思います。