1972-08-10 第69回国会 参議院 社会労働委員会 閉会後第1号
あっちの会社、こっちの大学と、部隊をひきいてスト破りをし、常勝をつづけてきた将軍は、日大芸術学部に殴り込んではじめて惨敗を喫した。」けれども、昨年秋のことであるが、「それが原因だったのか、彼はここで覆面をかなぐり捨て、スト破りの株式会社(警備会社)をつくることを決意した。」、こういったことも書かれているわけですね。これは雑誌に出ているわけです。そうしていままでに肉弾戦を四回経験した。
あっちの会社、こっちの大学と、部隊をひきいてスト破りをし、常勝をつづけてきた将軍は、日大芸術学部に殴り込んではじめて惨敗を喫した。」けれども、昨年秋のことであるが、「それが原因だったのか、彼はここで覆面をかなぐり捨て、スト破りの株式会社(警備会社)をつくることを決意した。」、こういったことも書かれているわけですね。これは雑誌に出ているわけです。そうしていままでに肉弾戦を四回経験した。
そして「主婦と生活」ですか、三光自動車、東京発動機、日大芸術学部、こういうので、このうちでは懲役刑を受けてまだ猶予中であるときに、そういうまた問題に入っているわけですね。つまり紛争の中へ入っていわゆるガードマン的な行動をやっておるわけです。
あるいはよくいわれるように、関東軍の日大芸術学部とか報知新聞のああいう中に拓大OBなる学生も入っておる。あるいは拓忍会の部長のある講師は、傷害等で四回も警察にあげられておる男であるというようなこと、そういうもの全部の中に体質がある。そういうものを含んだものの一つの象徴なり集約されたものが、今回の安生君の虐殺である。
また、四十三年の十一月早朝には、関東軍と称される拓大OB中心の暴力学生が日大芸術学部へなぐり込んだ事件が起きております。また、現在で申しますならば、あの報知印刷にも、それらの拓大の学生たちが動員されて暴力行為を続けていると。そしてまた、四十四年の四月、麗沢会の機関紙「扶桑」についても、これについての自分の都合の悪い点については伏せ字でもって発表している。そうして、それをまた回収していると。
代表取締役飯島勇、この人は五・一五事件の三上卓グループ、これは拓禅会ですか、こういうようなことを名のる右翼団体に属しておる人で、逮捕経歴四回、そして四十三年の十一月に日大芸術学部の紛争の際にも凶器準備集合罪で検挙されて現在保釈中なんです。これまで調べてあるのです。それだけじゃないのです。去年の二月二十四日号の週刊サンケイで、これは暴力スト破り常習だ、こういうように報ぜられておるのです。
特に日大芸術学部においては、段階までつくってこの入試の問題についてやっておりますが、父兄の間から、寄付金をやらなければ合格させてもらえないのではないか、こういう声がいまあがっております。A、B、C、Dのランクによって、一番成績の悪い者が一番金を払う。こういった入試の事前の寄付金については、大臣御承知でございましょうか。
○小川(新)分科員 好ましくないということでございますから、教育の公平、また入学試験の公平、こういう面につきまして、大臣は――これはもう前からかなり各大学で――これは私立大学ですから、経営問題等に関連しておりまして、そうむやみにきびしいことも言えないのでありますが、こういうことがもう行なわれておりますが、今回は申し込み書の郵送予約を日大芸術学部ではとっているということが、新聞でも報道されておりますが