1967-08-03 第56回国会 参議院 決算委員会 第2号
官房副長官御存じかしりませんが、昭和二十九年の一月二十七日に、駐日ソ連代表部のラストボロフ二等書記官がアメリカ側機関に逃亡した事件がありました。御承知ですね。
官房副長官御存じかしりませんが、昭和二十九年の一月二十七日に、駐日ソ連代表部のラストボロフ二等書記官がアメリカ側機関に逃亡した事件がありました。御承知ですね。
この駐日ソ連代表部が民間に政治及び謀略資金として九千万円に上るものをばらまいたらしいということを政府の分けの機関が書いている。あなたはこれに対して善処なさる答弁があったかと思いますが、その後いかなる処置をとられましたか、お答えを願いたいと思います。
それについて、きのうの新聞でございましたか、今度は逆に駐日ソ連代表部の要員が全部日本から引き揚げるという、総引き揚げの説が報ぜられております。これは日ソ交渉の成り行きともからみ、何らか日ソ交渉を好転せしむるために一斉退場、総引き揚げをやるのではないかというところまで書かれておるのでございますが、こういう気配があるとするならば、政府としても当然その情報をキャッチしておると思います。
もしこれが麻布にある元駐日ソ連代表部というようなものを介して交渉をやりますならば、もっとこれは迅速に解決を見ておったと思うのであります。こういうふうなことを幾多例を申し上げましたが、いずれは日ソ交渉が結実して、そしてソ連の公館が日本にできると思います。
それからまた、東京にある駐日ソ連代表部の中にいるのではないかというような疑いも出て参るのですが、その方面についての捜査をしたことがあるかどうか。また今後それをなさる意思があるかどうか。そういうような点について向いたい。
一例を申しますと、本年の四月、アメリカ側が一九四五年のモスクワ会議の決定を無視して、非法にも対日理事会の解消を声明すると、吉田政府はにわかに降伏文書もポツダム宣言ももう無効だ、ソ連は降伏関係はないのだ、駐日ソ連代表部の存在理由は消滅したと開き直つた。これは明らかにアメリカのけしかけによる吉田政府のソ同盟に対する新しい復讐戦の通告にもひとしい態度であつたのであります。
休戦状態で、ただ条約なき講和だと思えばいいのですから、そういうような場合には、対日ソ連代表部を通商関係の代表部に切りかえるということは、一つの糸口をつける道ではないかと考えておるのです。 以上三つの点について大臣の所見をお伺いしたいと思います。
少くとも私はその問題は連合国間で決定すべき問題だということで、日本の外務大臣としては、それで十分国際的な正しい判断でありますから、それをしていただいたらいいと思いますが、どうして最近はつきり対日理事会が解消した、極東委員会が解消した、対日ソ連代表部の法律的根拠はないというようなことを言われるのか、お聞きしておきたいと思います。
その内容はここではつきり覚えておりませんが、要するに駐日ソ連代表部が日本から引揚げることには反対しないというような言明であるように思います。従つて個人的の発言であるし、自分は別に反対はしないのだということでありますから、内政干渉とかなんとかいうことにはならないと考えております。
ところがマーフイー駐日大使が駐日ソ連代表部のことについて語つておる点などを見ますと、これは一種の講和発効後における日本の国内の政治に対する介入ではないかという感じを受けるのですが、政府としてはそれをどういうふうに感じられたか。
この七月二十五日ソ連代表部の発表したところによると、ソ連領に抑留されておるものは千四百八十七名、内訳病気療養中でなおつたものが九人、中国政府へ引渡すべきものが九百七十一人と、こういうようなことは去年の六月プラウダ紙上でソ連政府が発表したものである。そうしてこれは最終的且つ唯一のものであると代表部は先日発表したわけであります。
二十五年の一月九日ソ連代表部は総司令部に対しまして、二千五百名の送還を通告したのであります。で、それまでに昨年の五月二十日にタス通信を以て今後九万五千の捕虜を送還するであろうという発表がございました。その人々は先ず第一船の高砂丸を初め、御承知のように舞鶴或いは国内の諸所において異常な風景を展開いたしました。そうして十二月二日の舞鶴入港信洋丸を以てこの二十四年度は打切られたのでございます。
○淺岡信夫君 更に先程証人から言われたが、この問題に対しては昨年の十一月五日ソ連代表部へ行つてこのことを、これはこの徳田要請の問題ではありませんが、タス通信の数字の問題に対してコテニリコフ顧問に会い、それは違つておるから私はそれを信ずることはできないということをはつきりと申出ております。モスクワには行つて話しておりませんが。