2020-01-28 第201回国会 衆議院 予算委員会 第3号
今までの、日ソ時代も含めて、交渉の経緯を全て読み、また外務省の資料等も詳細に見てきたところでございますし、当時の交渉にかかわった方々からもいろいろなお話を伺ってきたところでございます。 では、どういう道があるのかということを考えた結果、交渉というのは、そのときの状況もありますし、相手側もあります。ですから、その時々によって、交渉態度もずっと同じ交渉態度でいいということではありません。
今までの、日ソ時代も含めて、交渉の経緯を全て読み、また外務省の資料等も詳細に見てきたところでございますし、当時の交渉にかかわった方々からもいろいろなお話を伺ってきたところでございます。 では、どういう道があるのかということを考えた結果、交渉というのは、そのときの状況もありますし、相手側もあります。ですから、その時々によって、交渉態度もずっと同じ交渉態度でいいということではありません。
○安倍内閣総理大臣 基本的に、今まで、日ソ時代も含めて、日ロになってからも、この平和条約交渉というのは本当になかなか大変だったですよ。今までの交渉の記録を見てきても、いわば向こう側から平和条約交渉をやろうということは基本的にないわけでありますから、基本的に日本側が求めているということであります。
○安倍内閣総理大臣 今までの、日ソ時代も含めて、日ロの交渉をずっと見ておりますと、確かに、こちらの立場、主張というのは、法的に主張は変わっておりません。ただ、この国会でのやりとりが原因となって交渉がとまったことは実はあるんです。それは御承知のとおりだと思いますよ。 ロシアの中にも、この平和条約交渉については、実はもう進めたくないという方もたくさんおられるのは当然だと思いますよ。
日ソの、日ロの問題は、日ソ時代からそうですが、北方四島の解決というのが最大の課題でございます。なかなか困難な問題がありますけれども、この領土問題については、一歩も譲らないで原則を守ってもらいたいと思います。
そして、まだ日ソ時代でございましたから、ソ連との関係が厳しくならないように、自分がもし死んだら、みんながまた引き続き交流を続けていってくれるといいなと言って、向こうの市長さんに自分の骨をよかったら埋めてもらっていいよということを言われたと。それで、私の父が死にましたときに、その市長さんたちがお骨を欲しいと言って、もう既に日本と同じような墓までつくってあると言って写真を持ってこられた。
○小渕国務大臣 委員は御地元ですので、過去の経緯をすべて承知をされておると思いますが、日ソ時代から、平和条約を結ぶために我が国としては、固有の領土の返還ということがます前提にあって、経済的な協力関係というものはそれをなし遂げた後ということで、俗に言う入り口論というようなことで経過してきたわけですが、事ここに至って、橋本総理としては、経済的協力は協力としてやろう、しかしこの領土問題についてはきちんとめどをつけなきゃならぬということと
日ロの問題につきましては、これは既に国交も回復しており、問題は平和条約の締結という問題でありますし、また、かつての冷戦時代と異なりまして、いわゆる日ソ時代と変わって、日ロ間には、経済協力も含めまして極めて良好な関係をつくり上げつつあるところでございますので、そういった意味では、この両国間における状況というものは極めて良好と考えております。
○国務大臣(小渕恵三君) 長い間、日ソ時代からこの両国の関係に御苦労いただきました松前先生でございまして、先ほどの経過もお話しのとおりでございます。 何回か山場があったんだろうと思いますけれども、橋本総理も私自身も、今回のチャンスを逃してはいかぬというような決意のもとで対応をしていきたいというふうに思っております。
○小渕国務大臣 先ほど来御質疑もありましたが、日本とロシアの問題につきましては、かつて日ソ時代から考えまして、幾つかの山場があっただろうと思います。