1993-10-18 第128回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 第3号
日本新党の今度の選挙のスローガンは、既成政党、既成政治家総とっかえで、そういうポスターを張りめぐらしたじゃないですか。 それなのに、自分が総理になり、官房長官になったら、既成政党や政治家を、進出することを許さない。国民の投票を切り捨てる。そんな、自分を選んでくれた国民の意思を無視するような恩知らずなことができるんですか。
日本新党の今度の選挙のスローガンは、既成政党、既成政治家総とっかえで、そういうポスターを張りめぐらしたじゃないですか。 それなのに、自分が総理になり、官房長官になったら、既成政党や政治家を、進出することを許さない。国民の投票を切り捨てる。そんな、自分を選んでくれた国民の意思を無視するような恩知らずなことができるんですか。
それを、いままでの既成政治家あるいは特定の大きな政党のみが有利になるような選挙活動の自由化をはかろうという考えは、また大臣がよくおっしゃる世論とか国民の期待とかに大きく反する成案になる可能性が強い。ですから、私は、やるならつまみ食いじゃなくて、むしろ国民本位の、選挙民本位の選挙活動の自由化というものを推進すべきであると、このように考えておりますから、いま質問したのです。その点に関してはどうですか。
ところが、こういう選挙法の扱いについては、私も国会議員の一人ですが、あまりにも既成政治家、国会議員お互いの間に自己保身の本能が強過ぎるのじゃないかと思うのですね。私はここで一番問題じゃないかと思うそれは、今の九千余万人の日本国民の中で政治的には最も、あるいは少なくとも比較的に優秀な日本人によって衆参両院が構成されているでしょう。しかし、それがベストのものだとは何人も必ずしも私は肯定できないと思う。
どうも政治活動浄化法という名において、政界で今まで活動した人が政界になかなか出てこれなくなるような内容というものが、尹大統領をしまして自分のみがいわゆる既成政治家であって、かかる地位にいるということはどうも耐えられないような気がするということであったというふうに、これは新聞報道でございますが、さように伝えられておるわけでございます。
お互い既成政治家には、選挙は法網をくぐってやるものだといった先入観、前提意識があるのではないでしょうか。金のかからない選挙の公明化によって立法府入りされるであろう優秀なる数多くの人材が埋もれていることに気づかず、政治家としての自己保存の意識が強過ぎる偏向性はないでしょうか、お伺いいたします。
私は、それだけに非常に重大に考えていますので、少し声が大きくなりましたけれども、私は、第一に、日本の既成政治家が――私を含んで既成政治家が、自分でなくちゃいけないのだ、自分がやらなければ、ほかの人じゃだめなんだ、こう考えておるところに問題があるのじゃないでしょうか。法制局長官がおっしゃるような、条文の字句解釈以前の問題がある。次元が違います。その以前の問題がある。
既成政治家は全部やめてもらいたい。そうして過去の悪い政治に責任のない、新しい感覚、合理的感覚を持った政治家たちに自分たちは期待したい。統一のために米ソ首脳部と朝鮮政府は懇談すべきであるというようなことをその声明書に書いております。
現在の張勉内閣に対しても非常に不満でありまして、それは一つにはやはり経済の不安定、極度の生活難、それに対するまじめな答案が出ていないのではないか、また政界の刷新について、従来の既成政治家に対して総不信任というスローガンを民衆は掲げてデモンストレーションをしておる状況でございます。