2007-02-13 第166回国会 衆議院 予算委員会 第7号
既成宗教と新宗教では、辯天宗とか、あるいは妙智会、あるいは立正佼成会、創価学会、いろいろあります。神道系なんかまた本当にたくさんありますよね。真光、天理教、金光教、あるいは天照皇大神宮教、大本、また、八大龍王神八江聖団というのが北海道にあります。
既成宗教と新宗教では、辯天宗とか、あるいは妙智会、あるいは立正佼成会、創価学会、いろいろあります。神道系なんかまた本当にたくさんありますよね。真光、天理教、金光教、あるいは天照皇大神宮教、大本、また、八大龍王神八江聖団というのが北海道にあります。
○佐々木説明員 イギリスでは先ほども御説明がございましたように、国教会あるいは既成宗教、一定の既成宗教以外はチャリティ・コミッショナーの登録ということで団体になるわけでございますが、私どもが承知をしておる限りにおきまして、いわゆる情報開示的な話といたしましては、慈善団体委員会に年次報告を提出をするということになってございまして、その年次報告書は一般の閲覧に供されるというふうになっているというふうに承知
今度は、それと同様に既成宗教、これは国家権力が宗教に介入することだ、だから反対だということでございまして、国民サイドではございませんでした。これは神道以外のキリスト教、仏教、新興宗教、そういう宗教団体のプロフェッショナルな人たちの痛烈な反対運動でございます。
これは日本の既成宗教でも、あるいは神社その他でもみんなそういうことで、おさい銭目当てにやっておる。私はこれは、歴史はすべて同じ道をたどっておると思います。しかし、いまの宗教団体は、その中で膨大な資金を持って、また学校等をどんどんつくったり何かしている。
私は、親鸞上人を尊敬しますのは何かというと、当時の既成宗教が貴族仏教といって時の権力に阿諛迎合した。 〔北澤委員長代理退席、委員長着席〕 しかしながら、親鸞上人は、愚禿親鸞、みずからそう称しながら農民大衆の中に入っていって、時の権力の迫害を受けながら、ほんとうに民衆と一緒に宗教活動をやったのです。
○萬波説明員 大きな金を取得する実態的なものは私承知しておりませんが、全般的に申しますと、いわゆる神社、寺院という古い既成宗教の各寺院の場合は、従来檀信徒あるいは氏子という関係の中で維持されてきたという点がありましたけれども、信教の自由、それから農村の都市化ということに伴いまして、経営が非常に苦しくなっておることは事実だと思います。
しかし、私が具体的な問題に当面して、現在の既成宗教というものを検討し、あわせて宗教法人法というものを調べてみますと、いま申しますように、いろいろな問題が出てくるわけであります。
先般も指摘したのですが、現在の既成宗教というものはほとんど葬儀屋と同じ状態だと思うのです。昔はお寺さんは地方の学識者であって、地方住民の心の一つのよりどころであったわけですが、現在はいま言ったように宗教活動はそっちのけで、ただ単にお葬式のときに衣を着てお経をあげる、これは普通の葬儀屋と何ら変わりがないと思う。これはここにきょうおいでになりませんが、落合先生は大僧正をしていらっしゃいます。
しかも、その既成宗教の場合に、檀家総代というものがあって、おっさま一人の判断ではできないと称して、事実はおっさまがすべて実権を持っている。自分の都合の悪いときになると、檀家総代だ。
もちろん、宗教法人については国の関与するところではないにしても、最近の宗教法人のあり方、既成宗教と新興宗教とニュアンスは違いましても、宗教法人の事業活動について少し考えるべき点があるのではないかと思うのでありますが、まず御感想を伺いたいと思います。
そういう点から申しまして、先ほど先生のおっしゃられました既成宗教と新しい宗教の間に、私ども、いま感じではございますけれども、相当な違いがあるわけでございます。既成宗教と申しますのは、御承知のように、長年一定の境内地と境外地というものを所有してまいったわけでございます。
ここに天台宗の大先輩の落合先生もいらっしゃいますけれども、こういうりっぱな方は別として、現在既成宗教が何か葬儀屋の一翼をになっておるというぐあいにいわれておるのであります。私はそうではなかろうと思いますけれども、一般にいわれている。
したがって、宗教法人法によってそれぞれのいわゆる既成宗教といわれる各宗派の中に宗務規則とかあるいは宗制といったものができておりますが、これをずっと宗教法人法と関連して見てみますと、いかにも無責任といった感じがするのでございます。
○茜ケ久保委員 あとの質問がありますから、終わりますが、最後に、これは曹洞宗の内部のあれでありますけれども、宗教法人法と関連して、現在の既成宗教に対する問題点をかなり含んでおりますので、できるならば次の機会に、ひとつ曹洞宗の管長、宗務総長、こういった責任者に参考人としておいで願って、ぜひ御意見を聞きたい、こういう期待をしておるわけであります。
もしもそれを言いかえるならば宗教かと思いますが、どの既成宗教にも入っておりませんし、団体にも属しておりません。そういうような人間でございます。
最初に、宗教学的な立場からこの新興宗教一般をながめて参りますと、第一に、既成宗教との違いという点で一般に取り上げられています。 どこが違うか。この点は、ジャーナリズムなどによりますと、インチキ宗教が新興宗教だ、逆に申し上げれば、新興宗教というのはすべてインチキだというふうに簡単に割り切ってしまっている。
もちろん、宗教団体には、新興宗教も既成宗教も、税をかけるということになりましたならば、これは平等にかけるのではないかと思います。そこで、既成宗教であるから税金をかけない、新興宗教であるから……
○猪俣委員 結局、既成宗教と新興宗教、しかも新興宗教が非常に庶民階級に蔓延いたしまする第一の理由は、現世利益宗教、——これを信じておれば金もうけができる、病気にならない、不幸が除かれる、生命の本源に帰依するというような信仰よりも、現実のそういう現世的利益を説く。
これはそれが結局一つの殿堂、建物というものに具体的に現われてくるわけでありますが、これは新しい宗教と申しますか、新宗教というものと、いわゆる既成宗教というものとの現実的な、何と申しますか受け入れ方というものに、苦干の違いと申しますか、新しい宗教はこれはいろいろ全般的に個々に違う点があると思いますけれども、一般的に申しまして現世飛躍というところに大体の中心が置かれている。
内容その他において、われわれの検討し、政府の説明するところによりますと、決して信仰内容に触れるものでない、またこれが成文化された教義を持つているかどうかというようなことには、絶対に触れないで行くという説明を聞いているのでありまして、もつともなことであり、いわゆるこのものに重点を置いて、宗教法人としての本来の活動を見て行こうとするところに、この特徴があると考えるのでありまして、毛頭新興宗教を押え、既成宗教
その点もお尋ね申して、若しいけない、何とかしたほうがいいという御見解ならば、現在現状における責任という言葉は当らんかも知れませんが、既成宗教の側に現在に至つておるような責があるのか、或いは世間の宗教に対する理解などが薄くてこれを現状のような状態にしておるのか、或いは又政策に妥当なるものを得られなくて、為政者のほうにそういう責があるのか、そういう点を先ずお伺いいたしたいと思うのであります。
ことに既成宗教の方々の公聽会を聞いても、要するに免税点であるとか、財産の擁護ということがあるために、神社は決してほんとうの宗教でなくても一応認証されるということになつて来ると思うが、私どもはほんとうに日本の重要なる宗教の法案をつくる場合において、こういうことだけでよろしいかどうか、文部大臣の御見解を承りたい。
また一つには、届出制でいろいろな営利事業ができる、また免税もされるというような点からも興つたかとも思われますが、既成宗教に対して、先ほど篠原さんからのお話でありますと、この宗教がさつきの四つの規定がなければ審議会において認証されない。その認証されない宗教がたくさん残るわけであります。
それからあなたのおつしやつたことで、失礼かもしれないが、新興宗教の人が、既成宗教などは一向信仰などがだめだ、葬式や法事ばかりしている。仏教なども、これはその通りのようなことを言われてもしかたがないのです。しかしそれは仏教の教義とか、その教義から発する信仰の問題ではないので、その仏教を護持している坊さんが悪いのです。坊さんが堕落しているのです。
それから先ほど前の方の意見に基いて委員から御質問が出たようですが、この宗教法人法の制定にあたりまして、今までの大きな既成宗教には異議はないと思うが、新興宗教の中にあるいは二、三異見があるかもしれません。新興宗教が悪いとは言わない。信教は自由であり、また人の思想の動きですから、既成宗教でなければならぬことはむろんなのです。新興宗教けつこうです。
○浦口委員 それでは問題をかえまして終戰までありました既成宗教が終戰後非常にたくさんに分裂をしたと思うのであります。この表を見ましても、法人としてすでに届出済みのものが、各派合せまして十八万余り、非法人が二方、合計二十万あるわけでありますが、終戰後こういうふうに分派がたくさんできたということについて、どこに原因があるか。政府としてこれを検討になつていられれば、その事情を承りたいと思います。
さてこの法案の提出について、私どもが非常に心配しておりますのは、新興宗教を押えるとか、既成宗教を援護するとかいう趣旨でない。この点はよくわかります。しかし私どもが非常に心配しておりまするのは、日本民族の宗教本能、宗教良心は、ある人は非常な発達をし、進歩しておりますけれども、ある人においては非常に低いのです。
空中に雲が浮いたがごとき宗教というものは、新興宗教の中にでもあり得ないように思うのでありまして、新興宗教は偶発的のものでなく、ほんとうに前からの既成宗教というものに根を持つたものである。そういう意味において、わが国においては時代が急激に変動を起したときでありますので、従つてそういう新しい宗教が興隆するのも、また当然だと考えておるのであります。
ただ宗教は、既成宗教のうちに各種ありますし、特殊の宗教のみにその助力を仰ぐということはできませんので、これはむしろ政務次官の主催というような立場から、ぜひ不良化防止に対する懇談会というようなものを開催したいと考えております。過般来それに直接関係はなかつたのでありますが、都内の雑誌の編集長の参集を求めまして、ヒロポンその他、特にそれらを中心とした懇談会を開きました。
それでは既成宗教だけで、それに力を添え頼つて、また新しい宗教というふうなもの考えられるというように普遍的な完教論を申し述べられましたけれども、眞理はそう二つもあるものではないと思う。新しく生れるというふうな理想宗教はこの何千年の歴史にかけて出るものは出てしまつている。