2000-03-10 第147回国会 参議院 予算委員会 第9号
○国務大臣(堺屋太一君) 一九九五年ごろに、そういうホームページの開設、例えば菊池寛のデータとか旅行記とかそういったもの、丸茂ジュンさんの旅行記とかいうのもございましたが、そういうものの開設と、それからそういう実験的なデジタルの制作企画をやるということで設立された会社でございますが、その前身といいますか、もとは同じ経営者がパソコン・ワープロ教室を、一九八五年ごろだと思いますが、十年ほど前からずっと経営
○国務大臣(堺屋太一君) 一九九五年ごろに、そういうホームページの開設、例えば菊池寛のデータとか旅行記とかそういったもの、丸茂ジュンさんの旅行記とかいうのもございましたが、そういうものの開設と、それからそういう実験的なデジタルの制作企画をやるということで設立された会社でございますが、その前身といいますか、もとは同じ経営者がパソコン・ワープロ教室を、一九八五年ごろだと思いますが、十年ほど前からずっと経営
それから、あなた方が出されたのは子供の旅行記みたいで、何時にどこへ行ってどこへ着いだというだけの話で、何を見たか何を考えたかという国土庁の考え方というのが一つも示されない。
かつて松尾芭蕉が東北を歩きまして、「奥の細道」というその旅行記をまとめました。こんな言葉があるんですな、竹下さん。「尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども志いやしからず。」いい言葉ですね。私は、松尾芭蕉が数百年後のこの日本の世界に対する貢献のあり方を見ていたんじゃないかと思われるほどに、きちっと我々の現在のやり方を見ておると思います。 さて、どこに一体原因があるのか。
○片岡公述人 お答え申し上げますけれども、まず、ガリバーの旅行記からわかりますように、物が大きいか小さいかというのは比較する対象によって違ってくるわけでございまして、これは一概に言うことができないわけでございます。財政規模の点からいいますと、ヨーロッパ諸国に比べて日本はまだモデストな方に属する。
あまり長くなりますからはしょりますが、その後武家政治時代には一そう鉱業が発達して、奥州の藤原一家によります中尊寺の金色堂とかあるいはマルコポーロの旅行記によるフビライの元の役というようなことも、いずれも日本に鉱山が多いということを示したものと思います。
多島さんのうちの六畳の間にあったということを聞いておりますが、スクラップブックを利用しまして、昭和三十九年初めから旅行記、随想、身辺雑記、交遊関係などを克明に記録しているそうです。
ただしかし、 ユース・ホステルというものは、私たちが国内で考えているほど窮屈なものじゃなくして、早い話が、去年あたり出ました桶谷繁雄君のヨーロッパ自動車旅行ソビエト、東欧を全部歩いたあの旅行記を見ましても、あれはユース・ホステルの会員で、各国のユース・ホステルの会員に登録して、その国々のユース・ホステルのお世話になるのです。
また、その報告書のかなり詳細なものが出ておりますが、私も、実はその報告書の全部を読んでどうこういたしておるわけではございませんけれども、私どもの目に入ります限りでも、これは見方によっていろいろあると思いますが、単なる旅行記というものでは決してございませんで、かなり大部な印刷物といいますか、報告書が出ておりますことを承知しております。
旅行記みたいなものですか、それは。ほんとにあなた方がこれはと思われるような報告書は、むしろ少ないんじゃないか。報告書というものに対して、御検討なさっておるのですか、あなた方は。
また、去年の夏だと思いますが、民主党のアドレー・スチーブンソン氏が長い旅行をして、それの旅行記というものは日本の新聞にも出されております。そういう状況にあって、私は、今ワルシャワ会談待ちというのは、私は何も政府の責任を問うて質問しておるのじゃありませんので、国連がどう考えておるか、少くとも三、四年後のことを考えて中国問題などはむろん苦心をしておると思う。
後ほど大臣にも、松本さんがこの三国へ行って参りました簡単な旅行記を差し上げたいと思いますけれども、それによりますると、すでにアメリカももちろん承認をいたしました。アメリカ及びソ連がこれらの三国に対しましてそれぞれ経済的な手を伸ばしております。
しかしその事実はただ単に河野君の旅行記の一部であって、真の交渉の内容として重要な問題はすべてこれは隠されておったと私は言わざるを得ないのであります。事実を事実として報告するならば、全権として行った河野君は、あの帰って来るまでにはいろいろな大きな会談をそこに持ち、またいろいろな行動を彼はしておるわけであります。それを国会を通じて国民に詳細に発表するのが私は政府の義務だと思うのです。
余談になりますが、この間も警視総監が外国へ行かれて、旅行記をお出しになつて、大変有益に且つ興味深く拝見したのですが、外国の警察と日本の警察と比較するということは、いろいろな意味において有益ですから……。やはり日本の警察官の長所も勿論あります。
その意見の違いがあり、立場の違いがあるといつても、外務大臣は気持を了とされてくださることが当然であつて、しかりとするならば、われわれも自分の旅行記の一本くらいは外務大臣に差上げて参考にしていただくというのが市民の礼節だと思います。
しかし日本のことをよく書いた、ブラジルの旅行記がずいぶん出るのですが、あまり読書力はございませんから、一般にお読みにならぬというので、日本のことはあまりよく知られていないと申していいのではないでしようか。特殊の興味を持つている方がこれは深いとも行かないでしようが、日本に関する本が出れば買つて読むというこういう特殊な人もございます。
それによつて唯一無二の慰安をとつておつたのでありますが、その後聞きますと、ハバロフスク地区においては二十三年の二月頃アクテイヴが来て、勤務員をその方に教育して、爾後その本を全部ではありませんが、大部分を取上げたというような話でございましたが、クラスノゴルスク・ラーゲルにおいては、約三千冊のドイツ語及びロシア語、英語の本がありまして、それも各種の思想方面の本はもとより、いろいろの小説、科学、それから旅行記