2021-02-25 第204回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号
響灘東地区や西海岸地区では、予防保全事業により戦略的な維持管理を行っているほか、新門司地区でも防波堤改良の検討を行っています。そのほかの港湾施設でも、社会資本総合整備計画に基づき、事業の早期効果発現を目指しています。 しかし、例えば田野浦、太刀浦コンテナターミナルで恒常的なコンテナ置場の不足、またトラック渋滞が起こるなど、老朽化施設の増加や、利用者からの要望に十分に対応ができていない現状です。
響灘東地区や西海岸地区では、予防保全事業により戦略的な維持管理を行っているほか、新門司地区でも防波堤改良の検討を行っています。そのほかの港湾施設でも、社会資本総合整備計画に基づき、事業の早期効果発現を目指しています。 しかし、例えば田野浦、太刀浦コンテナターミナルで恒常的なコンテナ置場の不足、またトラック渋滞が起こるなど、老朽化施設の増加や、利用者からの要望に十分に対応ができていない現状です。
また、新門司地区の防波堤の改良につきましては、これは、港湾管理者の北九州市のまず御意見を伺いながら、対応を検討しているところです。 また、響灘東地区廃棄物海面処分場の整備など、港湾管理者の北九州市が実施している事業につきましては、引き続き、補助事業又は交付事業により支援してまいりたいと思っております。
北九州空港の空港島の北側にあります新門司の長距離フェリーターミナルに停泊するフェリー、大きな会社が三社ございますけれども、これを空港島に接岸できるようにして、非常時の避難ルートを別途確保してはどうかということを御提案申し上げたいというふうに思っています。
委員御指摘の各事業でございますが、まず新門司地区複合一貫輸送ターミナルにつきましては、現在水深八メートルで供用しておりますが、船舶の大型化に対応するため、航路、泊地の水深十メートルへの増深を進めております。 田野浦地区複合一貫輸送ターミナルにつきましては、二バースの老朽化対策を進めており、うち一バースにつきましては、平成二十八年度に完成したところでございます。
全国九位のコンテナターミナル、そして西日本最大級のフェリー基地、北部九州自動車産業の物流拠点、アジアとの国際RORO輸送網などの港湾機能を充実して、そして、産業の競争力を強化していくためには、新門司地区複合一貫輸送ターミナルの航路、泊地の整備、そして田野浦地区複合一貫輸送ターミナルの岸壁の整備、西海岸地区岸壁の老朽化対策、洞海地区航路の機能維持などに対して国が更に支援をすべきだというふうに考えますけれども
そのとき航空局長は、北九州圏域二百万人の利便性及び地域の活性化のために新北九州空港は必要であり、その立地については、周防灘海域がすぐれており、投資効率の面から考えても、既に造成、計画中の土砂処分場を活用するのが最も適当であり、新北九州空港の開港の見通しは、新門司沖土砂処分場の推移及びMLS開発の推移が順調にいけばという条件の中で、昭和七十年代の中ごろ、平成十年になると思いますが、そのころになるのではないかというふうな
「新門司沖の土砂処分場建設の先行きを見つつ、空港計画について今後検討」こういうふうに述べられておるわけでございます。今も御答弁の中で、この土砂処分場を念頭に置きながらというふうにもおっしゃっておられたのですが、新空港の早期実現のためには、この埋め立てが円滑に進むことが非常に重要なことになっているんだというふうに理解するわけでございます。この点についてはいかがでございましょうか。
それからまた、新門司地域の北側の方なんですが、白野江というのがあります。ここに人工島をつくる計画があるのですね。北九州市の港湾計画の中に入っておるのです。大体今年度の上半期ぐらいに工事が着工になるのじゃないか、こう言われております。これができますと、大体外貿コンテナ埠頭が四バース、それに内貿埠頭が数バースという計画になっております。
今御指摘のありました新門司地区という地域については、御指摘のとおり港湾整備がかなり進捗しておりまして、将来の方向を見ますとかなり船舶交通もふくそうする海域であるというふうな認識を私ども持っております。したがいまして、この港則法を適用する方向で関係の方々の御意見を調整しながら検討してまいりたいと思っております。
ところで、北九州の新門司の埋立地域がございますが、ここでは港湾建設工事の第一期がもう終わっております。そして、第二期の工事が行われておるわけであります。その地域にもう倉庫も建っておりますし、フェリーも小倉から移転して、四月一日からあそこが発着所になります。それからまた荷さばき場も整備をされております。ですから、港としての機能が大変高くなってきているわけですね。
また、この新北九州空港の開港見通しにつきましては、新門司沖の土砂処分場の推移、さらには自由にどこからでも進入ができるというMLSの進入方式の開発状況、こういったものを見ながら、順調にいけば、当時は昭和七十年代中ごろという御答弁がございましたが、現在ではたしか平成十二年ごろだと思います、西暦で言いますと二〇〇〇年、このときになるのではないか、こういうような見通しを含めた御答弁をいただきました。
と申しますのは、運輸省港湾局、特に担当の第四港湾建設局におきましては、第二期という言葉が適当かどうかわかりませんが、苅田沖の土砂処分場に併設をいたしまして、新門司地区のいわゆる土砂処分場、第二期工事であるわけでございますが、これをするための漁業補償に入ったわけでございまして、紆余曲折はございましたが、十七の漁業協同組合がこのテーブルに着きまして、今第四港湾建設局、大変な御努力をされておるわけでございます
新門司沖の第二土砂処分場の建設につきましては、先生御案内のとおり第七次港湾整備五カ年計画に基づく事業でございまして、関門航路などの整備に伴います土砂処分場としてこれを建設するという趣旨でございます。
空港整備事業としての着手でございますが、これは現在港湾事業として実施されております土砂処分場、新門司沖土砂処分場、これは新しいものになるわけでございますが、これの事業の進捗状況というものを勘案いたしまして、一方、先ほど申し上げましたMLSの実用化の状況というものを踏まえまして具体的な空港整備をいつごろから開始するかということについては決定をしていくことになろうかと思いますので、今明確に何年の何月からどういうふうにと
百五十三ヘクタール程度の処分場でございますが、これが造成されつつあるわけでございますけれども、引き続きましてその北側に第二の土砂処分場、これは新門司沖土砂処分場ということでございますが二百十八ヘクタール程度、こういうものが予定されておるということでございまして、こういう第一及び第二土砂処分場というものを活用していくというのが最も適当ではなかろうかというふうに考えております。
さらに先ほど申しました新門司沖の土砂処分場の事業、これは一般の埋立事業ではございませんで、しゅんせつ土砂というものを計画的に処分をしていくということでございますから、そちらの方の、もとになりますところのしゅんせつ港湾事業というものが一つそのスケジュールに影響してくるということでございます。
現在、新門司埋立事業及び新門司港の整備状況、それからいわゆる地域の利便性の向上度、それから道路公団の採算性、それからインターチェンジの設置の可否、これはいろいろ交通処理上のこともございますし、余リ距離が近いと本線上でトラブルが起こります、そういうことを総合的に判断しまして評価要素をつくりまして、最終的にいろいろと今検討を進めているところでございます。
ところが昭和四四年四月二四日、内局には何の相談もなく突如として管長職を新門に譲るから、 長男でございます。 新門に譲るから、その手続きを行うようとの趣旨の「開申」が出されたのであります。しかもこの開申の記者会見には吹原弘宜氏が同席していたと新聞が報じたのであります。なお、吹原弘宜氏は私設秘書としての立場だそうであります。
あるいはうわさによれば、新門、御長男ですね、新門を中心にして本願寺の一つの和解があるかもしれないから、だからそれを持っているのではないか。その和解があれば、もうすべて書類送検を受けたものは帳消しにするのではないか。また逆に、それを検察庁が指導しているのではないか。
新門司の開拓というのが一つの大きな北部九州の発展につながります、これは大分県のほうの発展にもつながります。金がかかると思いますけれども、ひとつ早急に計画を練ってもらいたい。私どもとしては、公害を発生する化学とか石油の会社、そういうものだけでは反対ですけれども、真に、ほんとうに地域開発のための、住民本位のための基本的な開発計画を早急にひとつつくってもらいたい。
また、北九州港については、背後圏の産業の成長に伴い五十年の取り扱い貨物量を一億三千五百万トンと推定し、これに即応した港湾施設として、太刀の浦にライナー基地、新門司にフェリー基地などを整備するほか、響灘等の工業用地造成に着工しております。 博多港については、背後地の福岡市を中心とした九州地域の大規模流通拠点港湾として、箱崎地区に外・内貿施設、フェリー基地等の整備を進めております。
まず、北九州港について申しますと、当港は、昭和五十五年の取り扱い貨物量を一億トンと推定し、これに即応した港湾施設の整備として田野浦、日明地区にそれぞれ水深マイナス十ないし十二メートル岸壁、洞海本航路地区防波堤等の外貿港湾を工事中でありましてその一部は、本年度完成予定であり、これと併行して新門司、日明地区等に臨海工業用地を造成しております。
(「新門辰五郎……」と呼ぶ者あり)
もちろん新労側及び会社側の被疑者は三川鉱の新門というところを入ります際の加害者としての疑いで逮捕をした。それから旧労側の十六名はこれは中に入った新労をあとから追いかけていってそこで暴行したという事件についてでございまして、数の大小はありますけれども、取り扱いの差別はもちろんやっておりません。
それで三川鉱の事件に至るまでの三川鉱における状況がどうであったかと申し上げますと、旧労側、いわゆる第一組合側は、午前一時ごろから、三川鉱の裏門付近にございます団結館と称する建物がございますが、そこに約二千五百名が集結いたしまして、そして正門、裏門、新門、こういうところに約三百名から四百名くらいのピケ隊員を配置しておったのであります。
あなたのお話では、大体二十八日の事件の起こる前、つまり午前一時ごろ二千五百名ぐらいの第一組合員の諸君が集まって、そうして新門、裏門、あるいは正門、こういうところにピケの配置をした。それから第二組合の方は、千三百名くらい午前六時ごろに諏訪公園付近に集結をして、そうしていわゆる第一隊の四百名が正門、第三隊の四百名が北門、第二隊のいわゆるこれが衝突した主力になったと思います。
次は、鹿児島に起きました事故でございまして、新門倉庫という倉庫で起きました事故でございます。これは国内米百七十八俵亡失でございまして、三十四年六月に発見されまして、三十四年七月に賠償金を徴収いたしました。それから埼玉で起きましたのは、千葉倉庫の国内麦一万七千二百五十二俵、これは賠償金につきましては、最近裁判上の和解が成立いたしまして、取り立てを進めておるわけでございます。