1950-04-01 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第16号
○亀沢証人 私大体在ソ三年間、日本新聞の解説責任者、または新聞輪読会、そういつたものについて責任を持つてやつておりましたけれども、それとともに日本新聞の編集員でありました。編集員というのは連絡員であります。
○亀沢証人 私大体在ソ三年間、日本新聞の解説責任者、または新聞輪読会、そういつたものについて責任を持つてやつておりましたけれども、それとともに日本新聞の編集員でありました。編集員というのは連絡員であります。
この帰還者読本は、われわれがナホトカで船を待つ二十日間、朝から晩まで新聞輪読会として読まされておつたと記憶しております。
その他に新聞輪読会、これは赤化思想の宣伝で、日本新聞では凡そ新聞というものは宣伝、煽動の武器であると言つております。或いは日本共産党の機関者読本を出して、それを向うから数十回に亘つて一々研究させ、或いは自分の信念を言わせるまでやつております。その他、討論会それから政治部員の講話、政策部員の点検、これは口頭試問をやるようにして政策部員の何回かやつた成果をソ側の政治部員が点検するのであります。