2009-04-06 第171回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第2号
私は、やはり新聞記者諸君も含めてしっかり勉強してもらわないと、メディアの質が高くないと国民の生活を守れませんから。たくさん批判があっていいんです。政権に対する批判はどんどんやってください。しかしながら、状況をよく把握して、事実を把握した上でやらなきゃ、クオリティーペーパーという以上はクオリティーを高めてもらわないとだめだと思いますので、幾らでも議論しますよ。
私は、やはり新聞記者諸君も含めてしっかり勉強してもらわないと、メディアの質が高くないと国民の生活を守れませんから。たくさん批判があっていいんです。政権に対する批判はどんどんやってください。しかしながら、状況をよく把握して、事実を把握した上でやらなきゃ、クオリティーペーパーという以上はクオリティーを高めてもらわないとだめだと思いますので、幾らでも議論しますよ。
出ていってみましたら、最初は何かメンバーの方々のお写真を撮るために私を写真の台に使う新聞記者諸君がたくさんいらっしゃいました。頭のてっぺんにカメラを載せられて、私もさすがにちょっと小言を言ったのでございますが、大変私もそのときに妙な雰囲気を感じたところでございます。 保利先生あたりの大変な御努力で、一応その会議を務めさせていただいたわけでございますが、最初に橋本総理が演説をなさいました。
これからは略称で呼ぶとすれば、私ども食と農の再生プランということで発表しておりますから、食農省かな、そういうようなことを新聞記者諸君の前で、オフレコの場で、懇談の場で語ったことがあるわけでございます。 いずれにいたしましても、名前をどうこうするということじゃなくて、先ほどバイオマスの議論もございました。
その辺を私は新聞記者諸君にもよく言っているんですけれども、一面的に取り上げないでくれと。患者負担だけ国民負担。患者負担、じゃ、引き上げなかったら国民負担ないのかといったら、とんでもない、どこかで税金で負担する。あるいは、保険制度を持続できるのか、総合的に見ていただかなきゃならない。
マスコミによりますと、村上証人は、新聞記者諸君、あなた方には話さないが、KSDの問題については公の予算委員会の場で証人として、人間村上としてすべてを申し述べると、かような記事を私は読んでおります。この件につきまして、村上証人の存念を承りたいと思います。 ただいま被疑者云々というお話がありましたが、ここは国会であります。
○国務大臣(宮澤喜一君) この問題の新聞記者諸君との話し始めの部分は、後ほど御説明いたしますが、お互いにわかり合って問答をしておったわけですが、だんだん聞いている方がそれを少しストレッチしまして、いかなる場合にもそういうことをするのかというふうに一般化して報道した嫌いがございます。 つまり、話の初めは関西空港であるとかあるいは有料道路であるとかいうことであったわけでございます。
○宮澤国務大臣 先ほども新聞記者諸君に聞かれましたので、別段コメントする値打ちのない話だと申しておきました。 先ほど、二時ごろですが、市場は一ドル百十円、日経平均は百十円高といったあたりでございますから、別段市場が影響を受けているようにも見えません。
しかるところ、翌日、新聞記者諸君から、大蔵大臣は市中銀行に対しては何もしなかったのか、そういうふうな御質問がありましたから、それはそう言おうとしたのではなかった、私はそこは十分ではなかったなと、私の国会で申し上げましたことが。
その次は、広報をおやりになったときに、新聞記者諸君に、じゃ民間の方はどうですかと、こういう反論も多少はやっていただきたいし、各省庁も同じようなやり方でやっぱり官と民お互いが切瑳琢磨していく。競争原理で切磋琢磨していく中で、役人の方だけが公表されて、民の方はその都度警察の発表だけで全体的な発表はないんだ、大きな個別事件は出ますけれども。
そのことは第一回目の記者会見のときにも新聞記者諸君から質問が出て、私は、政局の動きはこの審議会の審議とは関係がない、我々は一番公正妥当と思われる案をつくるだけであって、あとは国会、内閣で処理されることであろうということを御返事したことがあると思います。
それが大き目に伝えられたといいますか、私の表現が大きかったことにつきましては、若干新聞記者諸君との関係におきまして不用意だったかもしれません。しかし、私が言ったことは確かでございます。
一方で、私は為替水準がもっと円高がいいんだと申し上げたことはございませんで、日本経済のファンダメンタルズにふさわしい水準であってほしいと願っており、その折々におきまして必ずしも日本経済のファンダメンタルズを的確に反映したとは言いがたい数字が出ましたとき、例えば新聞記者諸君から尋ねられました場合に、今私自身が申し上げましたような言い方を申し上げておるわけであります。
したがって、そのことが新聞記者諸君の中でもう十二月に出るものだと思った思い込みがあったんじゃないか。しかしそれは、先ほど来るる私どもが説明申し上げておりますように、非常に審議がおくれて結果的には国会に御迷惑をかけることになったということは申しわけございません。そういう事情があったということをまず申し上げておきます。
それについて日本の国会議員の皆さんはどう考えるか、これが今フィリピンの民衆、特に新聞記者諸君ですが、最大の関心事。それは突き詰めて言えば、一九九一年以後存続さした方がいいのか、もうなくした方がいいのかという議論で今沸騰しているというと大げさかもしれませんが、国論が沸騰していると言っていいほどの関心の持ち方だったと受けとめました。
○国務大臣(田村元君) あれは通産大臣としてしゃべったわけでもないんで、たまたまあるときに新聞記者諸君とおしゃべりをしておりまして、茶飲み話というか、酒飲み話のようなことで私は申し上げたのであります。ですから、ちょっと大げさになっていささか面映ゆい気持ちもいたしております。 実は、昭和三十年代でございました、私がまだ若き代議士時代、今は亡き河野一郎先生が我々若手を集められた。
この事故と比べてみますというと、日本で原子力の初期のころに新聞記者諸君が騒ぎ立てた放射能の量というものと余りにけたが違うというか、雲泥の差という言葉がありますけれども、日本の事故ではピコキュリーというようなものが何か問題になり、そういう単位ではかられる放射能が大問題になったことがあるんですが、チェルノブイルで放出された放射能というのは何兆キュリーだと言われているわけです。
その際に、新聞記者諸君との応答でどのような応答があったのか、これは私の関知するところでは、ございません。 いずれにせよ、国務大臣として憲法違反のことをやったというふうには理解はいたしておりません。
この電話番号簿は私だけが知っているだけじゃありません、新聞記者諸君もみんな知っているものですよ、間違っていますか。
ただ、私は出発の当初、新聞記者諸君に四年たったときに何人ぐらい卒業生が出るかというふうに聞かれましたが、二、三人だろうという答えをしました、何か記録に残っていると思いますけれども。とんでもない話でもって、恐らく千人近くの卒業生が出るだろうという話でございますが、調べてみますと、今二年間ですから、今のところ百二十四単位の中の半分の結局六十一単位以上取った者は何人という計算はしております。