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609件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2009-04-06 第171回国会 衆議院 決算行政監視委員会 第2号

私は、やはり新聞記者諸君も含めてしっかり勉強してもらわないと、メディアの質が高くないと国民の生活を守れませんから。たくさん批判があっていいんです。政権に対する批判はどんどんやってください。しかしながら、状況をよく把握して、事実を把握した上でやらなきゃ、クオリティーペーパーという以上はクオリティーを高めてもらわないとだめだと思いますので、幾らでも議論しますよ。

舛添要一

2006-06-06 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第10号

出ていってみましたら、最初は何かメンバーの方々のお写真を撮るために私を写真の台に使う新聞記者諸君がたくさんいらっしゃいました。頭のてっぺんにカメラを載せられて、私もさすがにちょっと小言を言ったのでございますが、大変私もそのときに妙な雰囲気を感じたところでございます。  保利先生あたりの大変な御努力で、一応その会議を務めさせていただいたわけでございますが、最初橋本総理が演説をなさいました。

西澤潤一

2002-06-05 第154回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号

これからは略称で呼ぶとすれば、私ども食と農の再生プランということで発表しておりますから、食農省かな、そういうようなことを新聞記者諸君の前で、オフレコの場で、懇談の場で語ったことがあるわけでございます。  いずれにいたしましても、名前をどうこうするということじゃなくて、先ほどバイオマス議論もございました。

武部勤

2001-11-14 第153回国会 参議院 予算委員会 第5号

その辺を私は新聞記者諸君にもよく言っているんですけれども、一面的に取り上げないでくれと。患者負担だけ国民負担患者負担、じゃ、引き上げなかったら国民負担ないのかといったら、とんでもない、どこかで税金で負担する。あるいは、保険制度を持続できるのか、総合的に見ていただかなきゃならない。  

小泉純一郎

2001-02-28 第151回国会 参議院 予算委員会 第3号

マスコミによりますと、村上証人は、新聞記者諸君あなた方には話さないが、KSDの問題については公の予算委員会の場で証人として、人間村上としてすべてを申し述べると、かような記事を私は読んでおります。この件につきまして、村上証人の存念を承りたいと思います。  ただいま被疑者云々というお話がありましたが、ここは国会であります。

岡野裕

2000-11-27 第150回国会 参議院 財政・金融委員会 第2号

国務大臣宮澤喜一君) この問題の新聞記者諸君との話し始めの部分は、後ほど御説明いたしますが、お互いにわかり合って問答をしておったわけですが、だんだん聞いている方がそれを少しストレッチしまして、いかなる場合にもそういうことをするのかというふうに一般化して報道した嫌いがございます。  つまり、話の初めは関西空港であるとかあるいは有料道路であるとかいうことであったわけでございます。

宮澤喜一

1996-11-20 第138回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

その次は、広報をおやりになったときに、新聞記者諸君に、じゃ民間の方はどうですかと、こういう反論も多少はやっていただきたいし、各省庁も同じようなやり方でやっぱり官と民お互いが切瑳琢磨していく。競争原理で切磋琢磨していく中で、役人の方だけが公表されて、民の方はその都度警察の発表だけで全体的な発表はないんだ、大きな個別事件は出ますけれども。  

守住有信

1991-04-09 第120回国会 参議院 大蔵委員会 第8号

一方で、私は為替水準がもっと円高がいいんだと申し上げたことはございませんで、日本経済ファンダメンタルズにふさわしい水準であってほしいと願っており、その折々におきまして必ずしも日本経済ファンダメンタルズを的確に反映したとは言いがたい数字が出ましたとき、例えば新聞記者諸君から尋ねられました場合に、今私自身が申し上げましたような言い方を申し上げておるわけであります。  

橋本龍太郎

1990-03-29 第118回国会 参議院 逓信委員会 第1号

したがって、そのことが新聞記者諸君の中でもう十二月に出るものだと思った思い込みがあったんじゃないか。しかしそれは、先ほど来るる私どもが説明申し上げておりますように、非常に審議がおくれて結果的には国会に御迷惑をかけることになったということは申しわけございません。そういう事情があったということをまず申し上げておきます。  

島桂次

1988-05-10 第112回国会 参議院 外務委員会 第7号

それについて日本国会議員の皆さんはどう考えるか、これが今フィリピンの民衆、特に新聞記者諸君ですが、最大の関心事。それは突き詰めて言えば、一九九一年以後存続さした方がいいのか、もうなくした方がいいのかという議論で今沸騰しているというと大げさかもしれませんが、国論が沸騰していると言っていいほどの関心の持ち方だったと受けとめました。

田英夫

1988-03-14 第112回国会 参議院 予算委員会 第6号

国務大臣田村元君) あれは通産大臣としてしゃべったわけでもないんで、たまたまあるときに新聞記者諸君とおしゃべりをしておりまして、茶飲み話というか、酒飲み話のようなことで私は申し上げたのであります。ですから、ちょっと大げさになっていささか面映ゆい気持ちもいたしております。  実は、昭和三十年代でございました、私がまだ若き代議士時代、今は亡き河野一郎先生が我々若手を集められた。

田村元

1987-09-02 第109回国会 参議院 科学技術特別委員会 第3号

この事故と比べてみますというと、日本で原子力の初期のころに新聞記者諸君が騒ぎ立てた放射能の量というものと余りにけたが違うというか、雲泥の差という言葉がありますけれども日本事故ではピコキュリーというようなものが何か問題になり、そういう単位ではかられる放射能が大問題になったことがあるんですが、チェルノブイルで放出された放射能というのは何兆キュリーだと言われているわけです。

伏見康治

1987-05-14 第108回国会 参議院 予算委員会公聴会 第1号

ただ、私は出発の当初、新聞記者諸君に四年たったときに何人ぐらい卒業生が出るかというふうに聞かれましたが、二、三人だろうという答えをしました、何か記録に残っていると思いますけれども。とんでもない話でもって、恐らく千人近くの卒業生が出るだろうという話でございますが、調べてみますと、今二年間ですから、今のところ百二十四単位の中の半分の結局六十一単位以上取った者は何人という計算はしております。

香月秀雄