1949-11-17 第6回国会 参議院 本会議 第13号
私は新生民主日本の歴史に、初代参議院議長松平恒雄の名は長く長く残ることを疑いません。 併しながら、この日夜を分たぬ御精励が禍いしたのでありましようか、去んぬる十四日午前は、音吐朗々、常と変らぬ議長のお姿に接し得ましたのに拘わらず、同日夕刻には俄かに御逝去の報に接したのでありまして、私共はただただ愕然として悲痛の念に打ちひしがれたのでございます。
私は新生民主日本の歴史に、初代参議院議長松平恒雄の名は長く長く残ることを疑いません。 併しながら、この日夜を分たぬ御精励が禍いしたのでありましようか、去んぬる十四日午前は、音吐朗々、常と変らぬ議長のお姿に接し得ましたのに拘わらず、同日夕刻には俄かに御逝去の報に接したのでありまして、私共はただただ愕然として悲痛の念に打ちひしがれたのでございます。
新生民主日本の黎明を告げるところの新憲法発布は、比類なき戦争の放棄と文化国家建設の理念を、国民の至高至大の目的として、世界に宣言したのでありまして、かつまた片山總理大臣も「国民に訴う」という書籍の十五ページに、「これからの日本人」という見出しのもとに「ただ口先だけで平和国、文化国というだけでなく、眞實の平和国民となりきらなくてはなりません。」と申されておるのであります。